この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





明かりを点ける。
玄関から続く廊下が明るく浮かんだ。


左手奥のドア
前に伸びる廊下に向かい合わせたドア。
一つは浴室だ。
突き当たりのドア。


やや近い左手奥に向かう。
ドアの位置からして
最も広い部屋だ。


リビングだった。


明かりに浮かぶ室内は
オフホワイトの壁紙が真新しい。
角部屋の公園に面する壁は
ほぼ全面を窓が占めているようだ。
カーテンは深い青だった。


廊下に沿う狭くなった部分は
ダイニングキッチンだ。
ローボードで仕切られているが
広々とした印象がある。


ダイニングとリビングに
それぞれ
テーブルセット
ソファーセット。



 確かに生活の面倒は
 みてくれるようだ
 申し分ない


少年は
ひっそりと後ろについてきていた。




「そのジャージは着替えた方がいい。
 奥の部屋を探してみるんだ。
 見つけられなかったら
 戻ってこい。」

「あの……シャワー浴びたいです。」

「わかった。
 困ったら呼びにこい。
 食事の用意をしている。
 食べるのを見届けたら俺は帰る。」


少年を見送り
佐賀は
食器棚から食器を出し、
食器洗い機に入れる。


夕食を食べさせることが
先決だった。



一応の調理器具は
収納の中にそろっていた。

食材はなく、
冷蔵庫に
ミネラルウォーターだけが
入っていた。


棚にあったインスタントコーヒーと紅茶を出す。
さすがにコーヒーメーカーはない。


水音が響き出した。


ふと気づいて
給湯システムを探す。
OFFだった。
ONに切り替え風呂場に向かう。



ガチャッ……。

ドアを開けると
すりガラスに
白い細い体が透けて見える。


水音は単調で
体は動かない。



「給湯がOFFだった。
 だいじょうぶか。」

佐賀が声をかけたときだ。



あつっ……。

白い影が揺れた。



佐賀は飛び込み
自身の体で湯を受けながらコックを閉めた。


もうもうと湯気が上がる。



温度調節のつまみが
いっぱいに回されていた。



つまみを戻し
再び水を流す。



自身も水を浴びながら
少年を抱き寄せる。
肩がわずかに赤みを帯びている。
熱湯をかぶったのは一瞬だろう。
自分もだ。


湯気が一気に鎮まる。
二人、
水に打たれながら、
寄り添う形になっている。


少年は
熱湯に驚いたのか
佐賀のなすままになっていた。



「痛みはないか?」

佐賀は尋ねた。

「……はい」

少年は小さな声で応えた。


湯気が収まれば
その白い体が
心細く震えているのがわかる。


 怖かったろう


そう思うと
胸がまた痛んだ。
チクッではなかった。
ジンジンと染みるように痛みは深まる。


ん?
目が止まった。

胸に仄かにピンクの花があった。
それが何であるかは分かる。




はっと
細い手が上がり胸を押さえ
後ずさった。
目を止めたのはほんの一瞬なのに
少年は気づいたようだ。



 下がるな
 だいじょうぶだ


そう言ってやるわけにもいかない。




寄り添っているときは見えなかったものが
見えてしまう。



眸は見開かれ
胸にあてられた腕はあまりにも細かった。

今にもくず折れそうな華奢な体は
〝見られた〟という羞恥に
下腹の仄かな茂みすら隠せぬまま
ただ震えていた。






ザーーーーーッ……。


浴室に再び水音が響く。
佐賀は
すっと目を離し
コックをひねり湯の調節をしていた。


湯気が上がる。
優しい湯気が少年の隠したいものを隠してくれる。



「俺も
 ここで脱がせてもらうぞ。
 びしょ濡れだ。」

佐賀は
さっさと身に付けたものを脱ぎ捨てた。



「あっ……背中…………。」

小さな声がした。
佐賀の背も微かな赤みを帯びている。
熱湯は佐賀が背中で受けていた。


「水で冷やした。
 たいしたことはない。」

脱いだものをまとめて
佐賀は脱衣スペースに上がり
すりガラスの戸を閉めた。


少年は
今夜
どうしても体を洗いたいのだろう。
洗わせてやりたかった。


〝ここに来るまでも
 少々苦労しました。

 口をきかないんですよ〟

宮本ののっぺりした顔が
白々しく
したり顔で話しかけてくる。


この金のかかった部屋も
金のかかるスケートクラブも
使い放題のカードも
…………その全てが忌々しかった。


保護者がいない。
そのことが、
この少年に何をもたらすか
その胸のピンクの刻印が語っていた。


 一つだけだった……。
 〝苦労〟させたはずだ。
 ……だいじょうぶだ
 だいじょうぶ


そこに置かれたランドリーに
脱いだものを放り込み
乾燥にセットする。


唸りを上げて動き出したランドリーの上は
作り付けの棚だった。
バスタオルとバスローブが置かれている。


幸い二枚置かれていたタオルを取り
バスローブを取る。
ひどく小さいが仕方ない。


それを体に巻き付けた。


「居間で待ってる。」

佐賀は
すりガラスの向こうに声をかけ
浴室を出た。



〝指導者と保護者は
 別種の生き物よ〟

そうだな
ナンシー
保護者にならなければ守れないものがある。


居間には時計があった。
時間を確かめ、
佐賀は携帯を出した。


用件はすぐに済んだ。
気分の良いものではなかったが
欲しいものは手に入れた。


ふう
息をつく。


今夜は帰ってやらなければならない。
そう決めていた。
少年の裸体が甦る。
蠢くものは抑えた。


少年には
それを呼び起こすものもある。
それは何なのか……。


 人形のようだ
 意思が感じられない
 いや
 拒むこと
 スケートをすること
 その意思はある……。

 だが…………人形のようだ。


カチャッ


居間のドアが開き
バスローブの少年が立っていた。
目を丸くしている。

何だ?
思うと
クスリと笑った。


 笑った…………!!

佐賀は驚いた。
その佐賀を見て
少年はクスクスとさらに笑う。



それはとても可愛らしかった。
よかったと思いつつ
佐賀は戸惑う。
何を少年は笑っているのだろう。





「佐賀さん、
 バスローブ小さすぎですね。」

ああ
佐賀は初めて自分を見下ろす。




バスローブから突き出た長い脚は
コンパスさながらで
ギューギューに寄せてようやく閉じた身頃は
いかにも窮屈そうだ。


「ああ
 ちゃんちゃんこ
 って感じだな。

 悪いが
 服が乾くまで居させてくれ。
 さあ食べるぞ。」


少年は
ほとんど食べ物を口にしなかった。

長旅をし、
空港からスケートクラブに直行し、
そこに放り出された少年だった。


 疲れているのかもしれない。


佐賀は
スープだけは
完食させた。


食器を片付け
脱衣スペースに行き
服を身に付けると
佐賀は車のキーを取り上げた。


「朝食の準備はない。
 明日の朝、
 また来る。

 暮らしていく準備が必要だ。
 そして、
 君はここからクラブへの行き方を知らない。
 いいな。
 ちゃんとドアを開けろよ。」


佐賀は少年のアパートを
後にした。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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