この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



ザッ‥‥‥‥
細い真っ直ぐな軸が白い光跡を残して
リンクを渡っていく。


居合わせたスクールのメンバーの顔も
その光を追って動く。
佐賀はリンクサイドでそれを見つめていた。


ガッ……。
着氷の音で
リンクは時間を取り戻した。


両腕を
白い翼のように広げ
着氷した橘瑞月は氷上に緩やかな軌跡を描き
リンクに拍手が鳴り響く。



佐賀は時計を見上げた。
ロッカー室からリンクへ
新入りが講習を受けるまでのあれこれを思うと
滑り出して10分とないはずだ。


リンクに入るや
目前に舞い上がった橘少年は
アップというものを考えていないことになる。
佐賀は引き受けた少年を
つくづくと見つめた。




コーチの一人が何やら話しかけているが、
橘少年はただ目を伏せているだけだ。




今日は
もうさしたる時間は残っていない。
夏季なのだ。

 間もなく練習は終わるはずだが……。

佐賀は、
とりあえず終わりを待つことにした。




リンクの向こう側のやり取りは分からない。
コーチの一人が身ぶりを交えて
橘少年に語りかけていた。
その腕の動きからして
制止をしているとわかる。


いきなり滑り出し
そのまま跳んだ……。
そういうことだろう。




ふっ
橘少年が動き出す。


その先に、
年少の子どもらが
コーチの後について滑り出していた。

橘少年は
その後についていく。




話しかけていたコーチは
木かベンチでもあるかのように置き去りにされた。



 この子は
 見たものに反応している。
 それも興味のあるものにだけだ。
 そして
 それはスケートだけらしい。


佐賀は
改めて時計を確認し、
少年を見つめた。


 見事だな……。

そう思った。
周囲も同じ感想を抱いているようだ。





姿の美しさは
リンクに入ってしまえば集団に埋もれる。
ここで美しいのは協調だ。


一同は
意表をつかれたまま
次のステージへと目を奪われる。





コーチは
お手本を示し
生徒は写しとる。


小さな子どもらを挟み
橘少年は無心に鏡となっていた。





重心は滑らかに移動する
その腕は滑空する翼のように同じ風に乗る。

小さな渡り鳥の群れは重厚なリーダーを先頭に
たおやかな若鳥を後尾にし、
リンクを周回する。
それはそれで練習は流れ始めていた。


新入りの飛び入りはあるが、
まあ
ともかく流れている。
それも見事に。




そこここで
中断した講習が
それぞれに始まり出した。



ここは
一流を目指すスケーターが集まるリンクだ。
無駄に浪費する時間はない。

とりあえず、
新入りは、
ここに入る資格を十二分に披露した。
言葉の不自由はあるらしいが、
それは珍しいことではなかった。



佐賀は
目を移さない。
しばらく眺め、
そして、
さっと脇に置いた靴を取り
ベンチにかけて手早く紐を結んだ。




佐賀が
自らスケート靴を履くことは
めったにない。
リンクに降り立つ佐賀に
おや?
視線がチラチラ留まる。



真っ黒な狼は
ひっそりと踞る場所を
氷上に移した。



子どもらの周回は終わった。
スーーーッ
橘少年は
コーチの前に止まる子どもらの脇を滑り抜けていく。



佐賀が動いた。

ジャンプに踏み切った少女の後ろを抜け
先ほどの子どもらに向かうコーチの脇を通り
その先へと黒い風が吹き抜けるに似ていた。



そして、
佐賀は抱き止めた。


真っ白なジャージが
ゆらりと揺れ、
崩れ落ち、
佐賀の腕に収まっていた。



どのコーチにもつかず
氷上をただ滑っていた少年は
佐賀の腕の中で
意識を失っていた。



佐賀は
軽々と抱き上げた少年を
リンクサイドに運んだ。




それは
あまりに非日常で
逆に
どう反応してよいか分かる者はいなかった。


佐賀のスピードも驚くしかなく
新入りの失神も戸惑うしかない。



そもそも数秒もかからぬ出来事だった。
橘少年が倒れたことすら気づかず
レッスンを続けている群れも
リンクにはあった。



佐賀は
サイドに戻ると
唖然と見つめていたトレーナー仲間に
橘少年を預け手早く靴を脱いだ。



つつき合い
視線が集まり
しんとしていくリンクを
そもそもの案内役だったコーチが
滑り寄る。




「続けてください。
 私が対応を任されました。
 スケート以外の全てです。

 後は
 私が対応します。」



美しすぎる荷物を押し付けられ
目を白黒させていた男から少年を抱き取り
佐賀はリンクを後にした。





新入りは
なかなか見事なスケートをする。
それだけは分かった。
皆はそれで納得した。




そもそも
ここは
そのための場であり、
スケーターはその技を磨くために集まっている。


リンクは
どのグループも
最後の仕上げに入っていった。



 すごい子だね

 体弱いのかな

 …………なんて名前なんだろう?



小さなざわめきを残し
新入りは佐賀に抱かれてリンクを後にした。




この一件で
佐賀の黒づくめの姿に
また
周りを黙らせる威力は増した。


突発事は
ときに起きる。
この五年間に、
そうしたときの佐賀の存在は
染み通っていた。


揺らがない者が
その場を収める。
佐賀は揺らがない男だった。




そして、
今日は、
もう一つ新たに
伝説が付け加わってもいた。




すぐ横を抜けていかれた者にも
佐賀の姿は残っていない。

ただ
佐賀は
瞬時にそこにあったのだ。
それは目に止まらぬものだっただけに
スピードだけが印象に残った。



 不思議な男だ……。

その感慨は
また降り積もる。





ごく少数の者、
少年と滑った子どもらだけが
佐賀が橘少年を抱き止める瞬間を
目にしていた。








真っ黒な騎士が
真っ白なお花のような人を
抱っこしていた。


 お伽噺みたい……。
 すごくドキドキした


子どもらは
その夢のような一瞬を
そう思い返していた。




黒い騎士と白い姫君は、
とても美しい姿をしていた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。





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