この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






パーティー会場のざわめきは
ぐっと盛り上がった。
一面の夜景が
壁面と見えていた壁に広がる。




遠く弧を描く光の河は
首都高だ。
林立するビル群れが遥か下方を色とりどりの光に彩り
会場はさながら光の海を望む天空の城となった。



「どうぞ
 皆様お楽しみください。
 当ホテル自慢の夜景でございます。

 私、
 御前からの伝言をお預かりしております。
 代読させていただきます。」




支配人が
ステージ脇のマイクから一同に呼び掛けた。


やはりな
頷き合う招待客一同は
夜景の前へと進み出る支配人を待ち受けた。




燕尾服の支配人は
すっきりと伸びた背筋に
ゆっくりとした足取りでそこへと進む。


懐から出した封書を開け
シュルッ
と一息に広げて両手に捧げ持った。



 〝皆の衆
  新年あけまして
  おめでとうございます。

  新たな年、
  集うてくださる皆様のお心
  有り難いことと
        手を合わせております。
  
  甘えさせていただいております。
  どうか
  今しばし
  この老人を待ってやってくだされ。

  春を迎える頃、
  必ずや良き便りを携えて
  皆様にご挨拶できることと思うております。
 
  
  この年が
  皆様に良き年となりますよう
  心からお祈りしております。〟」


読み終えて
支配人は拍手の中に
頭を下げる。




最上階の廊下は人影が消えた。
それが
タイミングというものだ。



最上階のエレベーターが
するすると開く。
受付は既にその役目を終え
クロークに詰めるスタッフを残し
そこは無人であった。



開くドアに
スタッフが奥から出てきたが、
白々と明るい箱が
ぽかんと腹を開けているのみ。
箱にも階にも人の姿はなかった。



ん?


戸惑いながらも
スタッフは奥へと戻る。
ホールに異状はなく、
パーティーはまだ終わらない。

クロークの仕事は
まだ始まらぬ。





長身の影が
階段の手すりを飛んで
カメラの上を舞い
その真下に着地する。


音はしない。





「伊東
 俺は29階東奥だ。
 確認しろ」

佐賀は
階段を降りてきた風情で
ゆっくりと廊下に姿を見せた。




〝映りません。
    当たりですね。

 上から行かれますか?〟

「ああ
 エレベーターから入る。
 停めておいてくれ。」

〝分かりました!〟



佐賀は西へと階を進み
エレベーターに入る。

さらに鉄の箱の上に上がり、
29階の天井裏へと移る。



正装した体を窮屈に折り曲げ
インカムに手を触れると
小さく灯りが点った。



「入った。
    じいさんを探す。」


〝分かりました。
     私を入れて4人、
    突入のため待機します。
    
 指示をお待ちします。〟


「分かった。」


29階は東西に延びる鉄の地平だ。
佐賀はエレベーターを起点に西へと動いた。
東は既にないと判断していた。




階上の闇に室内の様々は滲む。
子どもが笑う
恋人たちは語り合う
アナウンサーの声は機械的に終わりの挨拶を告げる。


  ……8時か。





「……紛れて出るんだ。
   どいつもこいつも車で乗り付けてるからな」

佐賀は
跳ね板の位置を指に探る。



僅かに開けた隙間から
背を丸めた男と
その見詰める画面が見える。

鷲羽の警護たちが
ハウスキーピングを装って空き室を回っていく姿が
佐賀にも確認できた。


「あのガキ、
    もったいないな」

「楽しむさ。
    後腐れはないしな。」


「順番を決めよう。
    時間ないからな。
    さっさとぶち込んで出して交代だ。」


 ……無事だな
    よかった


跳ね板は閉じた。



「伊東
 突入準備しろ。
 俺の位置はわかるな?

 二人ともここにいる。」

「は?
 二人?」



答えず
寝室へと進む。






「ぼうやは
 佐賀さんが大好きなんじゃな。」

    ……じじい。



老人の声に
不思議な安堵が湧き上がる。





〝サガちゃんが大好きなんじゃもの〟

あっけらかん
真っ白なひげを引っ張りながら
老人は晴れ晴れと言うのだ。



繰り返し繰り返し聞いた
老人の嬉しそうな甘え声が
変わりなくそこにあった。




 くそじじい!



途端に
忌々しさも戻ってくる。


 俺を当てにしやがって!!
 どれだけ心配かけたら
 気が済むんだ?!


忌々しい
忌々しくてたまらない




その声に包まれることに
泣けてきそうなほどに安堵する自分が
忌々しかった。


 くそっ
 くそっ


そう思いながら
佐賀は
瞬時屋根裏に小さな子どものように
踞りたくなる。





「うん」

甘いアルトが応えた。
今、
大好きを訴え
老人に受け止められているのは、
瑞月だ。



そう思うことで
佐賀は
冷静になった。




「じゃ
 佐賀さんも
 ぼうやを好いとるのかの?」

「うん」

「佐賀さん、
 来てくれるんじゃないかのう」

「……うん」



僅かに遅れる返事に
ちりっと
胸が痛くなる。




 行く。
 待っていろ。




ガチャッ……。


ドアが開いた。
下卑た笑い声と共に
男たちが寝室に入ってきた。




佐賀は
めまぐるしく計算する。



 エレベーターに乗り込む鷲羽警護、
 それが
 上がってくる


 地下駐車場には
 応援部隊が合流し
 車と廊下に分かれた男たちを包囲する




まだ早い
まだだ

 


きゃあああああああっ

悲鳴が上がる。
心臓を掴まれ握り潰される。





「やめといた方がいいぞ」


老人の
とぼけた声がする。
どんなときも極楽トンボのクソじじいだ。


 じじい!
 お前こそやめろ!
 挑発するな!!


佐賀は
心臓が冷たくなるのを感じた。



男たちが
老人を囲む気配が
ひしひしと伝わってくる。





 瑞月を守ろうとしているのか……。



老人に手を出すことはない。
ないはずだ。
そのつもりなら
もう手を下している。


が、
五体無事に済むかはわからない。
奴等にすれば、
あんたは生きていればいいんだからな。
わかってんのか!!





佐賀は入り口に近づく警護班の動きを
ただ計算する。


 伊東を待てないかもしれない。




「あんたらのために
 言っとるんじゃ。

 やめておけ。
 あの男は容赦せんぞ。」


じいさん……。


こんなドスの利いた声が出るのか。
男たちが
瞬時止まるのがわかる。





ばんっ……どっ……。


何だ?
もう一人いる。





プッ
一人が吹き出し、
老人の生み出した緊張が緩む。



じりっ
男たちの輪が縮む気配が
きな臭い。




〝着きました!〟

インカムに
待ち望んだ声が入る。

「突入だ!」

囁くと
佐賀は身を躍らせた。



やめろおおおおおおおっ

いやああああああああっ
佐賀さん!



ベッドに瑞月が見えた。



張り裂けそうに見開かれた瑞月の眸に溢れる恐怖。

ブラウスにかけられた男の手の甲に生えた毛が、
ひどく汚ならしく視界いっぱいに広がる。





 老人を囲む三人
 瑞月にのしかかる一人
 順番は考えるまでもない。
 


伊東たちが居間に飛び込む気配を感じながら、
佐賀は瑞月に手をかけている男の下腹を蹴りあげていた。


ふっとぶ体が
二人を薙ぎ倒す。


ふわりと
佐賀の体が浮く。



無慈悲な襲撃者は
殲滅するつもりで舞い降りたのだ。



回した足が
ぼんやりと目を泳がせる男の首に叩き込まれる。


ぐらっ
首から横様に壊れた人形のように
男の体は捩れながら
床に畳まれた。



返す足先は、
先ほど薙ぎ倒された一人の
亀の子のように上げた顎を蹴り上げる。
 


哀れな亀の子は
首から釣り上げられたように伸び上がり
弧を描いて跳び
頭から床に落ち直した。


もう一人は
後頭部に逆落としに落とす踵の一撃をくらい
うつ伏せのまま床にバウンドする。




殲滅した無頼漢らの呻き声と吐瀉物のすえた臭い。
力なく床をのたうつ体には
もう何の力もない。



佐賀は
飛び付くように
ベッドに震える瑞月を
抱き起こした。





   あっ
   いやああっ


細い手を突っ張り
背を反らし
瑞月は泣き叫ぶ。






抱き締め
その耳に繰り返す。



「俺だ
    大丈夫だ。
    瑞月
    瑞月
    …………。」



あっ
見上げ
今度はかじりつく。

もうさっきまでの憎まれ口はない。




「佐賀さん……佐賀さん、
 来てくれた…………。」



佐賀は
己の胸から切れ切れに洩れる甘い声に
ただ愛しさばかりが
溢れる思いだった。



 間に合った……。


汚されることなく取り戻した宝が
その腕にあることが
ただ有り難く
その背を抱いて
佐賀は動かなかった。



が、

そんな甘い情景は
長くは続かないものだ。





「チーフ!
 ご無事ですか!?」


居間の男たちを取り押さえた伊東たちが
雪崩れ込んでくる。


そして、
固まった。


 鬼とも呼ばれた
 伝説のチーフ佐賀海斗は、
 ベッドで
 胸に美少年を抱いている。






これ以上ないほどお邪魔虫の自分たちを
どうしたらよいのか。

そんなマニュアルは
警護にはなかった。




   コホン……。


小さな咳払いに
伊東たち警護の男らは
ギクシャクと頭を動かした。



老人が
得意気に
えへん!と
ふんぞり返っていた。



「わしは
    ちゃんと言ってやったんじゃよ
    やめとけと。」



佐賀の肩が
ピクッ
動いた。



腕の中で
柔らかく身を捩る瑞月は
佐賀の宝だった。




「……佐賀さん?」

見上げる瑞月は、
不思議そうに
佐賀の顔を窺う。




ゴオオオオオオオオオッ……


佐賀の胸は
いっそ清々しいまでに荒れ狂う風を抱いた。



どっどど  どどうど
怒りは
胸を吹き渡る。





何回叱りつけたか分からない
食えない
ろくでなしの
古狸の
そのくせ
やりたい放題でガキ丸出しの
この
この
くそじじい!!




にこにこと
嬉しくてたまらない
いうように
老人は待ち受ける。


叱って
叱って
ほら叱ってね





そして、
今、
鷲羽総帥の執務室に座り、
佐賀海斗は
振り返ることがある。


老人は
いったい瑞月が巫となると
わかっていたのだろうか。


その思いを
咲の声が断ち切る。



「総帥、
    瑞月は、
    今日はマサさんたちと合唱練習に
    出しました。

    よろしいですね。」


あくまでも
事後報告だ。

鷲羽財団は総帥の指揮下にあり、
鷲羽の屋敷は咲を女王にいただく。


「……合唱は
   私も出ます。」

佐賀海斗は
微かな抵抗を表明する。


「総帥に練習の必要は
    ございませんもの。
    海斗に負けたくないもん!
    と
    張り切っておりました。」

「誰が……。」

「高遠さんと西原がついております。」

「………………。」


しょせん
無駄な抵抗というものだ。





佐賀海斗
もとい
鷲羽海斗はときに思う。



     なんだか
     ちょっと息苦しい……。



森を駆け抜ける自由が
欲しくなる……。
ただ瑞月を抱いて
どこまでも走りたい……。



「今夜は
     二人だけの夕食に
    してさしあげますね。」 


咲は
にっこりと
PCの脇にコーヒーを置く。



     二人だけ?
     ……嬉しい。



狼は
ささやかな幸せに酔い
思い返す。


幸せだ
俺は幸せだ
確かに幸せだ

鷲羽の屋敷は
こうして平穏に過ぎていく。




闇との攻防はあれど、
家族の平穏な暮らしは幸せを与える。


鷲羽海斗は幸せだった。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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