この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






二人、
部屋に戻る。


窓から差し込むガス灯の明かりが
床に影を落としている。



アベルが
そっと腕に滑り込んだ。
トクントクン
私の胸に心音が伝わる。


小さな淑女は
そっと待っている。
グロリアが教えてくれたんだろうか。




その小さなあごに
そっと指をかける。

「いいかい?」

私も学んだ。
私は許可を得る。



 いいかい?
 アベル
 その唇を許してくれる?


眸がとじる。



私は
唇を重ねる。


小さな唇は
そっと開く。
私はその扉を抜ける。


唇を離せば
甘い吐息が洩れる。



胸に凭れる華奢な肢体は
そのドレスの分だけ
持ちおもりする。


そのドレスのスナップに
そっと手をかける。



カチッ

一つを外すと肩口は開く。
白い肩がランプも灯さぬ仄明かりに浮かぶ。
腕を差し入れ
体を支え、
広がった肩口からその腕を抜く。


 シュルッ……サラサラ……。


ドレスはその重みで落ちていき、
薄闇に黒い花びらとなる。




私たちは
もう
口を開かない。


腕の中に残る細く白い体は
トクントクン
優しい心音に私を許してくれる。



胸を包むコルセットを外し
ペチコートを取り払い
私は
そっと膝をつく。



ガス灯の仄明かりが
ふうっと色を失い
部屋は差し込む銀色の光に満たされた。


空を渡る月が
私たちの窓辺を覗いていた。




光の波に誘われ、
アベルの眸が上がる。
のどから胸へ
胸から腹へ
仄かな茂みへと月光は注ぐ。



息を呑む。




「綺麗だね」

アベルは月光を見つめる。

「ああ
 綺麗だね」

私は月光の中のアベルを見つめる。



そっと
その手を取ると
アベルは目を私に戻す。



「アベル、
    許してくれてありがとう。
 それだけで私は幸せだ。」


欲しかった。
その心が欲しくて
ただ欲しくて…………すべてを失いかけた。



喪わずにすんだ。
それだけで
どれほど幸せかわからない。


アベル、
君がここにいてくれる。
それだけで
心は満たされる。


私はもうそれだけで十分だ。
染み入るように伝わり深まる思いに
ただアベルを見つめる。


アベルの眸が
月光を吸い込んで光を湛えていた。


「グレン、
 ぼく、
 まだ知らないことが
 いっぱいみたい。


 ……だからね、
 待っててくれる?」


私は
静かにアベルを抱き締めた。



「湯が用意されてる。」

「うん。」



アベルはパタパタと
浴室に向かい、
私はドレスを片付けた。


月を見上げる。


浴室から
湯を使う音が聞こえる。
そこにアベルがいてくれる。



 一人ではない…………。


〝待っててくれる?〟

待つことが
温かいものとなった。



抱いてむしろ遠くなるものもある。
こうして、
その水音を聞きながら待つことが
心楽しいものであるように、
わたしは待てる。



キッ……。


振り向くと
ポタポタ
髪から滴を落としながら
アベルが困った顔をしている。


そうだ。
君は
何がどこにあるかも
知らないよね。


クスリ
笑ってしまう。


「だって……。」

君は膨れっ面を覚えた。




いつもの手順も
まだ必要だった。
急にお喋りになったお口は
色々注文をつける。



「あのね
 抱っこは好きだよ。」

上目遣いに甘えるのは、
どうしよう。



私を気遣っているんだろうか
その顔を覗き込む。


「ねぇ
 早くぅ。」
お口が尖るところを見ると
本当に甘えたいのか。


私は
そっと抱き上げて
ベッドに運ぶ。




「グレン
 ありがとう」

首にしがみつく腕が可愛く、
〝ありがとう〟が嬉しい。



上掛けから
小さな顔が覗き、
小さな指先が二つ
その左右に覗く。

胸がキュンとした。



「グレンも
 早くね。
 待ってるから。」

…………私を待つという。
そう当たり前のように口にする。



「ああ
 大急ぎで戻るよ。」


私は微笑み、
急いで踵を返した。
涙が滲む。


 待ってるから

 待ってるから

 ………………。



浴室に飛び込み
私は
流れる涙に身を任せた。



…………私を待つ人がいる。



それは
ないのが当たり前で
考えてもみなかったことだった。



私は何を乞うていたのだろう。



小賢しく
アベルを得ようとした己が
どんなに愚かであったかがわかる。


欲しかったものは
ただ共にある体ではない。
〝待ってる〟
この一言だった。




キイッ……。


私は
部屋へ戻った。

大急ぎと言いながら
ずいぶんと待たせてしまった。


静かにベッドに近づくと、
アベルは
静かな寝息を立てていた。




アベルが
楽しみにしてきた
アドベントカレンダーが
枕元の小卓に
移されていた。


24人の天使が
アベルの寝顔を見詰めている。





私は
そっとベッドに入った。



 んっ…………。

アベルが
応えるように声を上げ、
私の胸に頭を寄せる。



「…………グレン……遅いよ。」


その背を撫でてやると、
アベルは
また
穏やかな寝息に静まっていく。


私の胸に
小さく畳まれた手が
寄せられた頭が
愛しい。


愛しくて
そして
有り難いものだった。


神よ
あなたの摂理にそぐわぬ私にも
聖夜の奇跡はありました。


「いい子だね。
 もうお眠り…………アベル。」

私は囁き、
静かに目を閉じた。





画像はお借りしました。
ありがとうございます。


人気ブログランキングへ