この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






ざわっ


息を呑む音
一瞬止まり損ねた会話の切れ端
手が揺れてぶつかるフォークにナイフ

その後には静寂が訪れた。
輝かしい静寂だった。



一行が
最初のテーブルの脇を抜け
グロリアが気品溢れる微笑みを振り撒いたときから


ざわっ

生まれ、



二つ目のテーブルの客らが
一行の微笑みを拝するあたりから
静寂は始まり、




「ごらん。
 どんな画家が描いたものやら。
 眼福だ。」


まるで
聖堂の中で聖母像を見上げ
そっと交わされるような
場を弁えた小声の囁きが温かな空気を溢れさせた。





 そうだわ
 そうだね




大人たちは、
遠巻きに見ていた
希にしか現れない若夫婦に
新たな絵を堪能する。







美しく儚い時

初恋に震える心





愛らしい少女のドレスの衣擦れ
若々しく恋しか目に入らぬ眼差しの若者






そっと腕を若者に預け
羞じらいに頬を染めて歩く少女は
グロリアの露払いに温かく笑顔溢れる歓迎に
はにかみながら微笑みを浮かべる。




その微笑みに
また
大人たちは頷きで返すのだ。




 素敵よ
 なんて可愛らしいこと






食堂は、
がらりと
空気を変えていた。




あまりに美しいものは、
否応なく
その場に影響を与える。

グレンは、
その意味で圧倒的だった。
これまでも今もだ。





聖なるものを捧げもつかのごとく
ひどく美しいガラスのお人形を抱いて現れる
これまた卓越した美に
周りを拒むかのような男。



そこに
果敢にも話しかける老女は
きっと
憚るべきものが
無邪気さゆえに分からぬのだ。


そんな印象が
この四人にはあった。





が、




老婦人は、
そのベールを脱ぎ、
若いものを従える家長の風格をもって
先を自然に歩いている。



従う二人が
なんと若いことか。





若者の
静かで熱い眼差しは
腕にエスコートする少女との道行きに
この若者がどんなにときめいているかを語って
余りあった。




若者は
また
驚いているようでもあった。

その美に威を纏って
孤高の存在と見えた彼には
大人たちの訳知り顔は
戸惑いを与えた。




威というものは、
俗世でこそ反応が得られるもので、
そこを離れた場所では
ぐっと効果が落ちる。




暮らすに不自由なく
名誉を離れて
ひっそりと余生を楽しむ大人たちは、
初恋の情熱を愛おしく見詰めるばかりだ。






グレンは
その人としての生を終えた時に凍りついていた何かが
溶け出すのを感じていた。





〝若いな
 待てないのか?〟


諭す言葉は届かず
飛び込んだものは永劫の薄暮の世界だった。





それは短慮だった。
だが、
交わす言葉は失われ
ただ漂ってきた時間は
グレンをそのままに時の氷河に凍らせていた。




恋…………。



熱い眼差しがそれだというなら、
厭むほどに
投げ掛けられた熱い視線は
グレンを溶かすことなく今に至る。



だが、



秋の終わりに
止むに止まれず拐ってきた少年は
グレンをゆっくりと溶かしていたらしい。



若者を
ただ若者と見るグロリアの威は
人生の先輩として圧倒的だった。

アベルを怖がらせ
よるべなく
ただ焦がれていたグレンを
グロリアは導く。






支配人が待ち受けるテーブルは、
既に四人が囲むものに
セットされていた。





グロリアから
恭しく椅子は引かれる。
不思議な秩序に
テーブルは
落ち着いていた。


四人を見回して
グロリアは
食前の祈りを
執り行う。


アベルは
一瞬きょとんとし、
すぐに年長の友に従った。




「さあ
 アリス
 アドベントカレンダーの窓も
 残り一つよ。
 楽しみね。」


グロリアは
優しく話しかける。




「ええ!
 楽しみです!!」

みんなの温かい注目の中、
自分の足で歩いてきた高揚感に、
アベルは弾んでいた。





「問題はね、
 プレゼントよ。

 大切な人に贈るプレゼント。
 何が大事か分かるかしら?」


この問いを、
グロリアは視線をグレンにあてて
静かに発した。




グレンは
フォークを静かに置く。




アベルは
それに気づかず
うんうん
小さな頭を傾げていた。


そのリボンが傾いて
横に座るグレンに
〝どう?
 この子可愛い?〟
でも言っているようだ。





真剣に考えようとしながら、
出会ったばかりの健康な少女のようなアベルに視線を取られ、
グレンは咳払いをする。




「奥様の可愛らしさ、
 今、
 気づいたんじゃなくて?」


くすっ
グロリアが笑う。




ここは退けないと
グレンが
姿勢を正した。




「いえ!
 アリスがまだ幼い頃、
 もう決めていました。

 この人しかいないと。」




言い放つ強さに
若さが漂い
周辺のテーブルでは
恋の匂いに耳がそば立つ。




それを感じて
グレンは表情を固くする。





 
 アベルを見た瞬間の思いが
 誰に分かるものか。


そんな頑なな若さに
また
周りが
うんうんと頷く。





「恋したのね。
 恋は
 突然やってきて
 人を押し流すもの。

 でもね、
 今日、
 あなたはびっくりしたでしょ?」



グロリアはたじろがない。
優しく
グレンを見詰める眸には
道の見えている大人の落ち着きがあった。





小首を傾げていたアベルが、
ひどく小さな声で
悲しげに呟く。


「わたしなんて…………やせっぽちで、
 誰にも構われてなくて…………。



グレンが
はっとしたように
アベルを覗き込み声をかけようとする。





「あなたは、
 とっても綺麗よ。」



グロリアの声が
凛と響いた。
世界の真実を告げるかの宣言に
アベルもグレンも
思わず顔を上げた。





隣のテーブルの紳士が
すっと立ち上がる。


「小さな奥様」

恭しく声がかけられた。




え?
見上げるアベルに
紳士は優雅にお辞儀をした。




「あなたほど美しい方に
 そんな悲しい時があったことを
 悲しみます。

 この老人に
 それを悲しませてやってください。

 しかしながら、
 奥様、
 そのお美しさ、
 それはご主人を射抜くには十分だったと思いますぞ。

 これは、
 私めが
 保証いたします。」




グロリアが
悠然と微笑む。

「ありがとうございます。
 ミスター・ウォード。」



紳士は
グロリアに
にっこりと微笑み
また優雅にお辞儀をして
ゆったりと座り直し
中断した食事にかかった。





毒気を抜かれたような二人に
グロリアは
続けた。



「小さなあなたが
 どれだけ可愛かったか
 想像するだけで
 抱っこしたくなるわ。

 さあ
 今はまた違う魅力があるのよ。
 グレンはまた骨抜きね。」


やや蓮っ葉に
グロリアは
宣言を続ける。



また視線はグレンに当てられた。


「もう
 アリスは
 自分の足で歩けます。

 するとね、
 どんどん元気になるのよ。
 心が元気になります。

 もうベッドにいなくていいんですもの。
 そんなアリスは初めてでしょ?」




グレンは応えず、
ただグロリアを見つめ、
そして目を伏せた。


グロリアは微笑み、
今度は
アベルへと視線を向けた。



「そして、
 あなたもよ。
 どう?
 アリス。

 歩くあなたを見る旦那様は?」




ぼうっとしていたアベルは、
突然かけられた問いに
あたふたとする。


思わず
さっきの紳士を窺うと、
紳士は応援するように微笑み返す。




アベルは
おそるおそるグレンを見た。



グレンは
態勢を立て直し
その眸に微笑む。
やや気弱な笑みであることは
言うまでもない。




「あの……かわいいです。


小さな小さな声が
すぼめた肩も愛らしい少女の口から零れた。





グレンは
頬を染め、
ついに
ウィルが笑い出した。




「グレン、
 恋は動き出したんだ。
 君は、
 赤くなったり
 青くなったりしてる。
 恋する男は可愛いものさ。」


こうした状況に慣れていないグレンをよそに、
アベルは無邪気にウィルを向く。



「恋する?」

「アリス、
 君が動いたから
 恋は芽吹いたんだ。

 グレンの心臓から飛び出して
 今や走り出した。

 君がグレンを揺らしてるんだよ。
 アリス、
 よく歩いたね。

 とても生き生きして可愛いよ。」




ウィルは、
静かな夫の位置から踏み出した。
声には力があり、
幼いアベルはうっとりと聞き入る。



グレンは
また
そのアベルを見詰める。





その横顔に、
恋の哀愁を堪能するグロリアと
一帯の客たちだった。




「グレン……あの……嬉しかったの。
 なんだか
 ほんとに綺麗になった感じで
 見つめられて嬉しかった。」




アベルが
一生懸命グレンに話しかけ、
グレンが
「ありがとう。」
応え、
食事は和やかに進み始めた。



そして、


この疑似家族の家長となったグロリアが
イブの過ごし方を皆に伝えた。


「さあ、
 では今日は
 恋の始まりの日。

 二人とも
 お互いの気持ちをしっかりと贈れるように
 準備してね。

 アリスはわたしと一緒よ。
 男性陣は男性陣で
 プレゼントを考えていてくださいな。」



朝食は
少々狼狽え気味のグレンを包み、
優しく終わった。



また、
その腕にエスコートされるアベルは、
少しだけ自信がついたように
周りの微笑みの中
頬を染めながら歩いていく。




いきなり広げられた扉に警戒しながらも
グレンは前を行くグロリアに従う道を選んでいた。



アベルが眩しかった。
驚くほどに眩しかった。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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