この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






秘密を守る奥深い懐をもつホテルは、
秘密を託した客たちの財に潤い、
秘密を格式に包み込み、
重厚な佇まいを見せている。





一階から二階への階段は
たいそう広い。



紳士は淑女の手をとる。
淑女のドレスはふんわりと膨らみ、
肘までを包む手袋に覆われた美しき手は、
優雅に紳士の手に乗せられる。


そうした男女の習わしのために、
この階段は広い。




少し前に
紳士淑女たちは、
習わしに従い、
にこやかにこの階段を下りてきたところだ。




彼らは、
既に食堂に腰を据えている。


紳士らは
黒ではないスーツに寛ぎを演出し
淑女らは
肌を被ったドレスに慎ましさを纏っている。





その中にあって、
ラウンジに
ぽつん
いるのは、
些か心許ないものだ。




バートン子爵は、
手持ちぶさたに食堂に続くラウンジで
アドベントカレンダーを
覗き込んでいた。




イブの窓からは、
たいそう愛らしい天使が
小さな手にキャンドルを差し出している。



 ……かわいいものだな。



実は、
こうしたものに縁遠い暮らしをしてきた彼には、
その天使がつくづくと愛らしいものだった。



アリスも、
また、
そのつくづく見てしまう憧れの象徴に分類される。




 …………男の子だったが。




憧れのクリスマスを
ここ数年、
こうして過ごしながら
ときに裏通りを寒々しく籠を抱えて歩いた自分が
脳裏をよぎる。




小さな手には重すぎる籠。
破れた靴に雪が冷たかった。






バートン子爵には、
彼なりの憂鬱もある。




グロリアは
とても楽しそうだった。


こうして世話を焼くのが
いや
采配を振るうのが
グロリアには
よく似合う。




似合うのに…………。




子爵は、
ときに不安になるのだ。
そして、
動くわけにもいかず、
妻を待つ。



ウィルはグロリアを
たいそう愛していた。






「ウィル!」

グロリアの声が
誇らかに響く。




見上げて
ウィルは、
グロリアが望んだ通りに
口をあんぐり開いた。




あっ
すぐ閉じはしたが、
目は見開いたままだ。




グロリアの後ろを
一対の男女が
ゆっくりと下りてくる。





長身の美丈夫は、
二十歳を過ぎている。
落ち着いているが、
年齢はそんなところだ。


眸が若い。
エスコートしながら
そのキュッと纏めた髪の下に覗くうなじに
ドレスをつまむ指先に
その眸は
誘われている。





前を下りていく老婦人の
背をピンと伸ばした姿が語っていた。


さあ
私の子どもたちよ
綺麗でしょ?





 グレンだ…………。
 こんなに若かったのか。





ウィルは自分の目に
少々自信を失った。




30は越えている。
そう思い込んでいたのは、
なぜだったのか。




 穏やかな声
 揺るがぬ眸
 無駄のない所作
 ………………。

忙しく数え上げ……気づいた。




壁だ。
壁がない。




己に踏み込ませない威を
彼は壁としていたんだ。
その壁を取り払い、
今、
踏み込ませている。




…………グロリアに。






ウィル自身は、
色をなくすことで壁を作っていた。

ひっそりと妻の後ろに隠れる気弱な夫。
影の薄い己を壁として、
秘密を守ってきたのだ。





そして、
〝アリス〟だ。
この子は
見た目よりかなり若い。
それは分かっていた。




品はあるが
ぎこちない所作は
社会に触れたことのない子どものものだ。
病気のためと取り繕われてはいたが、
あどけなさの残る頬から顎のラインは、
隠せない。



子どもの歯の成長とともなって変わる顎の形は、
年齢を正直に語るものだ。




今、
年齢相応の愛らしさを
神から与えられた何よりの衣装とし、
その姿は輝いていた。



愛らしい。
一生懸命目を見張っているのは、
足下が心許ないからだろう。
それを
また
グレンが見事に支えている。



おっ、
自信がついたかな。
上気した頬で
グレンを見上げた。



 …………可愛い。
 天使のようだ。
 無垢のまま輝いている。



え?


     ……染まった。


グレンがアリスの笑顔を受けて
頬を染めていた。



また
一心に階段を一足一足下り始めた少女と
頬を上気させて
その歩みを見守る青年。





恋人に見えた。
とても微笑ましい恋人たちに見えた。



年若い男は
出会った少女に夢中になった。
そして、
とても初々しい夫婦ができあがった。



そんなところだろうか。



聖夜を迎える朝、
一つの奇跡が
このホテルに起きたらしい。



客たちは喜ぶだろう。



優しい傷を抱えた
裕福な客たちは、
今年迎えた二人を、
歓迎する。


それは、
新しい息吹を感じさせるからだ。



ひっそりと結ばれた二人の
小さな恋の成就。



それは、
彼らの見守るべき若い何かを
もたらしてくれる。



 ……ともあれ、
 男の子ということは、
 内緒だな。




ウィルは、
階段下で片手を組んで
妻に差し出した。

グロリアは
その腕に
自分の手を預ける。




「どうかしら、ウィル?」


「とても素敵だ。
 君も
 二人も」




さあ
食堂への入場だ。
ウィルはグロリアをエスコートし、
二人の前を進み出した。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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