この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







雪は降る。
静かに家々を包む白い暈は
丸く柔らかく繭となる。


仄かなオレンジ色に灯る窓は
どれも飾り付けに
優しく通りを彩っている。



今夜のミサに集うため、
人々は
雪かきに声を弾ませる。


人みな
その家にあって
聖夜を待ち受ける優しい一日が動き出していた。



ホテルの中庭は
馬車を出すために綺麗に雪かきが終わっている。
客たちは届けられた熱い湯で
朝の身仕舞いを始めている。



外は雪だ。
雪に耐えかねた枝から雪は落ちる。

バサッ
石畳に散る雪は
落ちては
また新たな雪に覆われて
庭は静けさに白く円やかな場へと沈んでいく。


ホテルは
朝の活気を内包して
雪に抱かれていた。





グロリアの夫は、
戻った部屋から
また追い出された。


「ウィル、
 淑女のお着替えです。
 もう少し下にいってらして。
 あ、
 下でご一緒しましょ。
 グレンも呼びますからね。」





ベッドから抜け出して
バスケットを覗いていたアベルは
夫がドアを開けた瞬間、
ビクッとした。


短い髪にパジャマ、
少年の姿を見られることに
緊張があるのだろう。


夫、
いやウィル・バートンも、
なぜか緊張気味だ。



北部の片田舎に
小さな城を構えていたというバートン子爵は、
いつも妻の後ろにそっと控えている印象だったが、
このときばかりは
男の子を妻とすることに一言あったのだろうか。




一瞬、
少年と老人は、
見つめあったまま硬直し、
老人はまさに口を開こうとした。


が、

グロリアは素早かった。
すかさず夫の腕を掴み
またドアに向き直らせる。


開きかけた口は閉じて、
おどおどと
ウィルは妻を見下ろす。


その夫の頬に軽くキスをし、
グロリアは
先程の台詞を立て板に水と流し込み、
さっさと部屋から追い出したのだ。



ウィルは
グロリアの閉めるドアの向こうに消えた。




「さあ
 始めましょう。」


グロリアは上機嫌に
振り返り、
アベルは小さくなって尋ねた。




「あの……、
 グレンは困るかな。

 ぼく、女の人でなくちゃ、
 みんなの前に出られないって……。」




しょんぼりしたアベルの横で
可愛らしい磁器製の人形が
舞踏会の衣装で
恋人を見上げている。


その無心に見上げる少女同様、
この少年には
世の中は遠い。




グロリアは、
アベルの前に回って
その手をぎゅっと握った。



「グレンは
 任せてくれました。
 困ってません。

 私とウィルはお仲間よ。
 いいわね?」




そして
着替えは開始された。


つるん
裸に剥かれたアベルは
みるみる絹とレースに包まれていく。


グロリアの手際よさは
母のそれだ。
グレンは恋人の姿を愛でながら
着替えを楽しんでいたが
グロリアは違う。


アベルが
思い悩む隙もないほどに素早く
アベルはドレスアップされてしまった。



「はい
 座って」

鏡台の前に座らされれば、
鏡には、
妙齢の婦人の装いをした男の子が
戸惑った顔でこちらを見ていた。



グレンと覗いた鏡にいた
怖いほど美しい女性も
グレンの指を感じながら見た
窓に浮かぶ透明な眸を濡らす妖艶な生き物も
そこにはいなかった。



 ……ぼくだ。
 ぼく、
 やっぱり男の子だ。


アベルは
鏡に映る自分に納得し、
それがちょっと変な格好だな
と思った。


 髪が短すぎる。
 
小さな白い手が
そっと
その髪に上がる。



鏡を見ながら
困った様子のアベルを尻目に
グロリアはさっさと卓上に
道具を揃えていく。



「さあ
 付け髪は
 もうやめましょう。
 病気で短く切った。
 それでいいの。」


リボンに櫛。
グロリアの手は軽やかに動く。


髪は小さく後ろにまとめ
翠に透き通る羽をもつ蝶が幅広いリボンの花と共に
その髪に留められた。


前髪は
小さな花を象った飾り櫛に巻き取られ
その額の生え際の白さが
はっとするほどだ。



アベルは
鏡の中の自分を
ただ驚いて眺めていた。



「グロリア、
 ぼく……女の子になった。」


「そうよ。
 女の子になったわ。

 背伸びしなくていいの。」


グロリアは
仕上げに入る。


ピンクの唇は、
その色を生かして艶やかに
青い眸はよりぱっちりと
頬はかすかに紅を帯びてふっくらと。



「……人魚姫みたい。」

「可愛いでしょ?」

「うん!
 可愛いよね!」


アベルは
生き生きと鏡の自分と向き合った。
とびきり可愛くて
そして…………年相応だった。




「さあ、
 これを履いてみて。」


グロリアは、
低い踵の布製の靴を
クローゼットから出してきた。



「これはね、
 私が支配人に頼んで用意したの。
 足が痛くならないわよ。」



アベルは
そっと足を入れて立ち上がる。


ん?
小首を傾げる。


足を踏み出す。

あれ?
また踏み出す。


踏み出す足が止まらない。



トン
トトン


トン
トトン




陶磁器の舞踏会の少女が見上げる先を
ピンクのドレスの少女が
くるくると回る。




「痛くないよ!

 グロリア、
 痛くない!」


ようやく足を止めたアベルが
グロリアを振り返る。


屈託のない笑顔が
短い髪にも
その愛らしい髪飾りにも
よく似合った。




「これはね、
 練習用の靴なの。

 明日渡すつもりだったのよ。
 私からのクリスマスプレゼント。
 気に入って?」




グロリアが両手を差し伸べると
アベルが飛び込む。



「すごく嬉しいよ!
 グロリア
 ありがとう!!」



その背を撫で、
健やかに立つ足元と
年相応の幼さに明るい声に
グロリアは満足した。




リーンゴーン……



食堂のベルが鳴った。




「さあ
 朝食よ。」

グロリアは
アベルを優しく見上げる。


アベルは
はっとし、
ドアを見やり、
足元に目を落とし、
そして、
グロリアを上目遣いに見た。




「朝食…………グレンはどうするの?」

おそるおそる
アベルは尋ねる。




「あなたは
 どうしたい?」

グロリアは
いかにも優しげに
アベルの気持ちを気遣うかのように問い返す。





答えがもらえず、
アベルは
またドアを眺める。


大きなリボンが
ゆらゆら
揺れる。




廊下から
人のざわめきが伝わってくる。
朝食へと客たちは動き出した。





「…………怒ってないんだよね?」

アベルは
尋ねるともなく呟いた。




「もちろん。」

グロリアは
明るく笑った。




階段へと
ざわめきは移動していく。




「ぼく、
 一緒に食べる。」


そのざわめきが消えぬ内に
その声は上がった。



「歩いて下りるよね。」

そして、
そっと確かめるように
声は続いた。


ちょっと心配そうに
青い眸が
揺れている。


新しい靴が
歩こう!
誘っているのだろう。



「グレンに
    そうしたいって言えば
    させてくれるわよ。

    私もプレゼントした甲斐があるわ。

    自分で言える?」


グロリアは誘う。



アベルは俯く。
ドレスの中で小さな足が
もじもじしている。



「…………足を痛めてることになってるし…………。」



うーん
グロリアは頭を傾げてみせる。


「ずっと
    抱っこでいることになるけど……。」



言いさした言葉に
アベルは
プルプルと頭を振った。


グロリアは莞爾と笑う。



「ただ歩き出しても
    分かるとは思うわ。」


その宣言に、
アベルは
ほっと顔を上げた。




「じゃあ
 迎えに行きましょう。」

グロリアは
ドアを開けた。


廊下は
もう静かだった。



グロリアの前を
ハイネックのピンクのドレスが
ふわりと抜ける。


蝶に留められたリボンの花は
ボリュームがあり、
短い髪が可愛らしさを引き立てている。


グロリアは、
改めて
自分の仕事に満足した。


 とても可愛いわ。
 若奥様にも
 見えるしね。



ドアの前で
アベルは
グロリアを向いて
小首を傾げる。


頷いて
寄り添うと
安心したように歩き出す。
危なげない足取りに
グロリアは
また満足する。




歩きながら
グロリアは思う。



 あなたは
 驚くかしら
 グレン

 あなたの知らないアベルを
 あなたは見た方がいい。


恋は
近すぎても始まらないものだ。
それをグロリアは知っている。

憧れは
未知のものへと膨らみ
焦燥は
手に入らぬ時間が生む。


そして、
何より、
恋は意思ある者に生まれる。
お人形に恋はできないものだ。




雪は降る。
一日はゆっくりと過ぎていく。
恋をする魂には
長い長い時間になってくれるだろう。



グロリアは、
毅然とノックした。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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