この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







街は
音もなく降り積もる雪の中にあった。




雪はさわさわと
夜を徹して降り積もり
なおも降る。



街は
家族を
恋人を
その家に抱いて
静かにクリスマスの門を潜ろうとしていた。




明日はクリスマス


夜はミサに行き、
子供達は早寝する。




雪は降る。



小さな街の古いホテルも
雪の中だった。





ウィーン
ウィーン
と低くヒーターの唸りが響く。



そっとクリスマスを過ごす客たちのため
働き者の小人たちが
今もせっせと働いている。



 お客様は寂しい方々だ。
 温もりを求めておられるんだからな。



毎年
この季節に訪れる客たちは
それぞれに事情がある。


ここは
それを語ることを求めない。
〝いらっしゃいませ〟
〝よろしく頼みますよ〟

その時間は
ただ優しくあればよいのだ。




食堂に集い
互いにそっと微笑みを交わし
その抱えるものに触れぬ大人たちのクリスマス。



二人の籠った繭は
グロリアたちのような優しい大人に守られて
ふわりとそこに紡がれていた。




暖かな部屋
雪に降り込められて夜明けは
部屋に届かない。



まだ夜の闇に包まれたベッドに
そっと起き上がる影があった。




小さな影は
しばらく隣の寝息を窺うと
こそっとベッドを抜け出した。




ピンクのスリッパをつっかけ、
暖かなガウンを胸に抱き
ベッドを見詰めながら後ろ足に後ずさる。


ベッドに残る影は
背を向けたまま動かなかった。


小さな影は廊下に滑り出た。









コンコン……

コンコン……





老夫婦は
ドアを叩く音に
眠りを覚まされた。





明け方の薄闇は
室内では夜の闇と変わらない。


コンコン……

コンコン……


小さなノックは続く。





「ちょっと
 待ってくれ」

夫は
グロリアに頷きガウンを羽織った。




「どなたかな?
 こんな朝早くから…………。」

ドアを開け、
目の高さあたりにいるだろう相手に話し出した夫は、
脇を抜けていく影に驚いた。






「グロリア……。」

心細い声が
二人の耳を打った。






甘いアルトは
夫も聞き慣れたものだった。
食堂で
席を共にする若夫婦。
その幼い妻はグロリアのお気に入りだ。






「まあ!
 アリスなの!?」



慌ただしく
グロリアは
ベッドから飛び起きて
枕元のランプに灯を点す。





「君は……。」



驚きに途切れる夫の声がした。






自分も急いで振り返り
グロリアは見た。





愛らしいアリスの顔が
波打つ金髪に縁取られて灯りに浮かんでいる。
その髪は短く、
肩を越したあたりで
くるんと巻いて終わっていた。




      髪を切ったのだろうか?



グロリアは
驚いた。





「その髪、
 どうしたの?」


 ……そして、
 どうして
 この子はパジャマ姿なの?


その質問は、
口に出なかった。





か細い体は
あまりに華奢で
その眸は
あまりに…………。





「グロリア……。
 わたし……。」

アリスは、
必死にグロリアを見詰める。





自分の姿のことは気づいているのかどうか
ただ震える腕でパジャマの胸を抱き締めながら見詰める眸に
グロリアは自分を取り戻した。






「アリス、
 さあ来てちょうだい。」

優しく腕を開くと
アリスは胸に飛び込んできた。





胸に抱くと
この子が少年であることは
はっきりとわかった。



   


「いい子ね
 よく私を思い出してくれたわ。
 もうだいじょうぶ
 だいじょうぶよ。」


優しく
しっかり抱き締めてから
グロリアは夫に目配せした。




もう夜は明けていた。
老夫婦には
もう一度眠る必要はなかった。





夫は
静かに
妻に任せた。




ガウンを脱ぎ、
ツイードのスーツを着る。

何事につけ、
人との関わりは妻の領分だった。
夫は
静かに部屋を出た。





カチャリ……。





ドアが閉まると、
アリスは
ふうっと息をついた。



    ああ
     やはり
     この子は緊張していた。



グロリアは
かつて
家族を切り盛りしていた頃に
戻っていた。


頭は
目まぐるしく働く。





アリスは少年だった。
が、
可愛らしい顔も
幼さも
変わらない。





  あの人、
  気づいたかしら。




グロリアは
ちょっと考える。



夫は
余計なことは言わない。
ここは
お互いに踏み込んだりしないのが大切な宿だった。
騒ぎにしては失うものが多い。
だいじょうぶだろう。






グロリアは
アベルにも
グレンにも好感を抱いていた。


自分が応援している幼妻が少年だったことは、
重大な秘密に違いない。
だが、
ここで大切なことは、
〝アリス〟が助けを求めてきたことだ。





そして、
アリスはグレンを嫌ってはいない。
それは、
二人を見ながら感じてきたことだ。
グレンには可哀想なほどに
その思いは
幼さに儚いものだったが
嫌ってはいない。








この子にとって、
グレンは……一緒にいる人間だ。
なぜ一緒にいるかは考えたことがないように
感じていた。



では、
恋に似たものはなかったかといえば
そうでもない。


出会いを語るときのアリスの頬は
仄かに染まった。






男神のようなアリスの夫、
彼は美しい。

グレンもまた
この上なく美しく
力に溢れた青年だった。


アリスは憧れたのだ……。
それはわかった。






グロリアは
とりあえずすべきことを決めた。
話を聞こう。
秘密は守る。
守らねば聞くべきことも聞けはしない。


グロリアは
二人を守る腹を固めた。







     どういう事情で
      妻に偽装して連れ歩いているかはわからないが、
      グレンはこの子を大切にしている。






グロリアはアリスを促し、
ソファーに
並んで座り、
その手に手を重ねた。






ガウンは大きめで
その中の体の細さを印象づけて余りある。
浅く腰掛けた少年は
今にもソファーから転げ落ちそうだ。
ピンクのスリッパはちょこんと
パジャマの裾から覗く。
  




グロリアは
囁いた。

「綺麗ね
   素敵な金髪だわ。」


え?
見上げる眸は
戸惑っている。


やはり、
今の姿を意識してはいない。





「…………綺麗?」


おずおずと少年は尋ねる。





グロリアは
満面の笑みでポンポンと
その手を軽く叩いた。


「ええ、
    いつもより
    ずっと綺麗よ。
    金色の渦があなたの顔を包んでる。
    うっとりするわ。

    いつもは……付け髪していたのね。」





はっ
髪に手をやり
少年は狼狽える。


グロリアは
顔を背け
背を強ばらせた少年の肩に
優しく手を回した。




「ずっと病気がちだったから、
 短くしていたのね。
 かわいそうに。」


グロリアの説明に、
そっと揺らされる肩に
少年は
また
おずおずと振り返る。





「あなたはアリス。
 私のお友だちよ。

 こんな時間にやってくるってことは、
 グレンに内緒の相談があるのね?」



グロリアがそっと抱き寄せると
少年は
そのまま頭を胸に寄せた。





グロリアは待った。





「…………わたし、
 グレンが欲しいものが
 わからないの。」

微かな声が
呟きのように耳に届いた。





グロリアは考えた。


     アリスと名乗る少女は
     夫婦の営みを
     知らぬのではないか。




それは
密かに思っていたことだった。
こうして、
少年とわかってみれば
なおさらのことだ。






誘拐?
浮かんだ考えは
グレンの佇まいに消えていく。





事情は分からない。
分からないが、
この病弱な少年を伴うには
それなりの事情があったのだろう。






そして、
少年をそっと起こして
その顔を覗きこんだ。



涙に潤んだ眸が
じっと見つめ返していた。


胸を突かれた。
この子は恋を知らないまま
グレンを喜ばせたいのだろう。
それは、
難しいのではないだろうか。



恋ではないのだから。





そう
グロリアは
それを感じてグレンを応援してきた。

だって
二人は夫婦だと考えたから。





夫婦ではなかったが……、




グレンはこの子を離すことはすまい。
また、
この子も離れて生きることはできないのだろう。





「……知りたい?」


そう聞き返しながら
グロリアは迷っていた。





どうしよう。





グレンの眸が浮かぶ。
少年を見つめるそこにあるのは
切なくなるほどの慕情だった。

少年を迎えにくるときの
抱き上げる仕草に
その心情はあまりにあからさまだった。





それでも、
不思議なほど恋人らしい風情はなかった。
この子は
いつも
無邪気に抱かれて帰っていった。






それは、
病弱な妻を労る夫であるため、
その営みを控えているためだろうか。
グロリアはそんな印象を抱いていた。





グレンはこの子に恋している。
そして、
この子は恋を知らない。




それでも、
一緒に過ごしていくのはグレンしかいないとしたら、
この二人はどうしていくだろう。





「ええ。」

少年はしっかりと答えた。
初めてその意思を少年は示した。






少年の眸を受け止めて
グロリアは決意した。





「今日は
 一緒に過ごしましょう。
 二人で考えなければなりませんからね。

 グレンには私が話してきます。」





少年は
あっ
不安げになる。

ドアに向く眸に
グレンと離れることの不安だと
容易に知れた。




「だいじょうぶ。
 食堂で会えますよ。」


グロリアは
少年をそっとベッドに寝かせ、
自分は着替えをした。



クリスマスイブだった。





グロリアは
しゃんと頭を上げる。


どういうわけか
逃避行にも似た道行きをしている二人に出会った。
その事情には口を挟むつもりはなかった。


ただ、
その二人は迷宮に迷い込んでいた。
グレンは恋をしているのだもの。






「グロリア……。
 グレン、
 悲しんでるかもしれない。

 あのね、
 わたしのこと……大好きなの。」


ベッドに
素直に入った少年は
訴えるように話しかける。




「はいはい
 旦那様を安心させてくるわ。」



グロリアは明るく応える。




 悩ましいわね。
 あなたは、
 とても綺麗だわ。






グロリアはカーテンを明けた。
この二人にも
優しい聖夜をプレゼントしなければ。





 それは、
 恋の夜になるのかは
 わからないわよ、グレン。



そう心中に呟く。





でも、
聖夜は
みんなにやってくる。



空から舞い落ちる雪は告げていた。

 さあ
 今夜は長い長い靴下を用意するんだ
 プレゼントは何かな






グロリアは
少年に微笑んで
颯爽と部屋を出ていった。



子どもたちは旅立ち
しばらく忘れていた感覚が
帰ってきていた。


 いい子ね
 今夜はイブ。
 明日はクリスマスよ。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。

☆イギリスでは、
 イブは普通の一日なんですって。
 クリスマスが特別な一日。
 で、
 物語も長引くわけです。
 すみません。
 やばい。
 えっと
 恋も愛も自覚なしには進みませんでした。






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