この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





建物を貫くエレベーターの箱を守る柱は
道路に向いた側は外壁に閉じられている。

各階に止まるとぽっかりとガラス窓に
回廊が浮かぶので、
そこに待つ乗客の姿は確認できる。




建物は浄化された
祭儀の歌い手は言うが
警護としては一つ一つの安全を確認する。


伊東は
上がっていく階の回廊とともに
緑の向こうに遠く煌めく街の灯りを
見ていた。





動きやすい。
地の利がある。
あの光の中に秦はいる。

明日を総帥がどう使われるにしろ
ここは拠点として格好の場だ。




伊東は今夜にも始まる何かの胎動を感じていた。
海斗は動く。
狼の野生のままにあの煌めきの中を。
その狼を解き放つために
砦は必要だった。




〝撤収します〟
インカムに西原の声が入った。




「お前も上がってこい。」

この砦は闇には知られている。
その前提で一同は腹を括っていた。
追尾はなかった。
今はそれでいい。




ニャー

猫が鳴く。
見ると
黒が瑞月の胸から
伊東を見ていた。


 この見透かしてる感じが
 どうも居心地悪い

そうは思うが
警護はこの猫を要する。
かなり切実に要する。
伊東は精一杯の愛想笑いをし
黒はふっと目をそらしてくれた。




扉は開き
伊東は先に立つ。


民は
瑞月に小さく手を振り
閉まる扉に消えた。




エレベーター前の一室は、
水澤と渡邉の部屋だ。

「先生、
 渡邉さん、
 こちらです。」

武藤補佐が気軽にドアを開け、
中に入っていく。




「では、
 また後で」

軽く会釈し二人は消えた。
武藤補佐も消えた。


伊東は
残された。



ここからだ。
武藤補佐が消えたのは計算外で
伊東は心中狼狽える。


海斗
瑞月
高遠の三人が部屋割りを待っていた。





総帥は武藤補佐と同室。
瑞月は高遠と同室。
そう決まっていながら伊東は緊張する。



「武藤補佐のお部屋は
 こちらです。
 総帥はこちらにと伺っています。」

さりげなく言ってみた。


海斗は無言だった。
表情は平静だ。



「瑞月さんと高遠さんは
 そのお隣です。
 こちらにいる間は
 お二人で一部屋です。
 よろしいですか?」


伊東は
こころもち早口の自分を感じた。



「そうなの?」

瑞月は
驚いたように
海斗の方を向く。


「ショーがある。
 高遠と一緒に動くんだ。
 俺も拓也と動く。」

海斗が
静かに応えた。




「久しぶりの同室だな。」

「……うん。
 ほんとだ。
 久しぶり!」

高遠が瑞月の肩を抱く。
瑞月は
戸惑いをおさめて
はしゃいだ声を上げる。




高遠は
瑞月の世界観を作る。
いつもながら見事だった。


保護者にして友人。
高遠は
その距離感を事も無げに調節してみせる。

この瞬間から寮時代に同じく
一瞬も離れない守りが
高遠に委譲された。




瑞月は
高遠に肩を抱かれて安らぐ。
これは鷲羽の日常だ。
しばらくぶりに見るが
日常は変わらないから日常だ。



「あのね、
 ぼく
 たくさん寝たから
 ご飯食べたら練習できるよ。」


瑞月の声は屈託がない。
その頬は高遠の肩に寄せられる。
見上げるんだから
そうなる。


「時間は短めにするよ。
 移動は意外と疲れが残るんだ。」

高遠が答える。



「やん!」

瑞月が
顔を高遠の胸に押し付ける。



風が回廊を吹き抜けた。
伊東は目を細め
わずかに風をさけた。

視界の端に
端然と立つ立像が
瑞月を見つめる姿が入り
伊東はずきっとする。


その髪を風に巻き上げさせ
海斗は
静かだった。




高遠の手が瑞月の前髪に上がる。
そっと帽子をとり
その指で
髪をすく。

いつも通りにその髪に頬に
高遠は触れる。




この漠然と拓也を待つ時間は
悪戯な風に長さを増す。
やけに長い。




伊東は思う。
ある意味
この慕情は
枷でもあるかもしれない。
甘い枷だ。


守りは託された。

そして、
それでもなお
海斗は見つめる。
そして
高遠はそれを受け止める。




「びっくりしちゃった」

この甘い声を
この無垢な魂を鷲羽は守る。




それは伊東も同じだった。
とりあえず、
このバランスを守らねばならない。
瑞月は高遠に預けられたのだ。





カチャッ
ドアは開いた。

空気が抜けていく。
長い長い甘い呪縛が消えていく。



「では、
 夕食はご一緒に上がりましょう。
 失礼します。」


部屋の奥へと
最後の挨拶をかける拓也の姿が覗く。



カチッ
ドアは閉まり
拓也は振り向く。


伊東の顔に
おや?
恋人たちをそれぞれに見やる。



そして
ふふっと笑った。


「瑞月
 海斗さんは俺が借りるよ。
 名残を惜しまなくていいの?」


あっ
瑞月が海斗を見る。


黒が
その腕から
ストッ
と回廊に下りた。



「行っておいで」
高遠は
蝶々をそっとその手から放つ。

ふうっと
高遠の腕を抜け
蝶々は回廊を舞った。


抱擁はしばし続いた。
その囁きは
待つ者の耳には届かなかった。



 見ているな
 見ているんだろう?


見ればいい
伊東は思った。
この少年はこの方のものだ。
渡すつもりはない。

 


海斗は
瑞月が黒を抱いて部屋に入るのを見届け
高遠と目を交わし
拓也の開けたドアに消えた。



伊東は最上階に向かった。


練習は
西原がつく。
伊東は海斗につくつもりだった。

鷲羽海斗は
狼に戻らねばならなかった。
その甘い枷を外し
狼は咆哮を上げる。


その段取りは
武藤がつけているだろう。
自分はそこに従うだけだ。
警護だからな。

伊東はそう腹を決めていた。


画像はwithニャンコさん作成の
瑞月人形です。




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