この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




高遠は
秘かな驚きを抱いていた。


〝瑞月ちゃんは真ん中。
 下の子達には
 見せたくないからね。〟


アキさんが
せっせと
皆の配置を決め出していた。


瑞月はキョトンとし、
マサさんが
にこにこしている。


これは
アキさんがやるから意味があるな。
高遠は
マサの笑顔に
それを確かめていた。



瑞月と海斗。
鷲羽の名前と結びつけるなら
それは雲の上の他人様だ。

クラスメイト、
それも
実はかなり手のかかる新人となると
俄然意味が違ってくる。


〝この子、
 鷲羽の子よ!!〟

駅前の
YOSAKOIに集まる群衆の中、
その声から
次々と掲げられたスマホの砲列。


〝あっ
 お前!!〟

坂田の声に
みんなが団結した。



無用な好奇心から守るには
大人クラス一人一人から生まれる〝守る〟が
何より大切になる。



それが
本当に皆の当たり前に
なってくれていた。



ちょっと声を抑えて
大人クラスは
階段を上がっていく。



下の階のざわめきは遠い。


6階音楽室ドア!!


ガチャリ……バタン!



 はあああああっ…………。


皆の口から溜めていた息が洩れる。


待ち受けていた長身の前に
やや草臥れたいい大人たちは
天使を無事6階まで移動させる使命完了の緊張から解放され
どっと
力が抜けた一群となって
なだれ込んだ。




「さあ
 音楽室だ!

 もうだいじょうぶだぞ。」


「下の階の連中には
 絶対見られてないですよ。」


え?
え?
きょろきょろする瑞月の頭をポンポンし、
一人元気なマサと
一人嬉しい驚きに顔が綻ぶ高遠が
みんなに声をかける。



その騒ぎに
海斗の口からも感謝が零れた。

「ありがとうございます。」



自然な海斗の笑みに
アキとサヨは
正直に赤くなる。



これは、
二人の乙女部分が反応しているのだが、
そこには気づかぬ振りをするだけの慎みが
男たちにはあった。




「皆さん
 早いですね。

 余裕をもった移動は
 良いことです。」


水澤が声をかけ
クスリ
サヨが笑い出す。

それは
すぐにアキに伝染し
さらにマサさんの笑いに迎えられる。


 いやー
 面白かった!


同じ校内ではあるが
ここに秘密の砦は
がっちり築かれた。




「ねぇ
 何が面白いの?」

ついに、
その口がとんがった瑞月が
仲間外れに抗議する。



「先生が褒めてくれたでしょ?
 ちゃーんと
 早く来れて嬉しくないの?」

アキが
顔を突き出し、

「ほら
 海斗さんよ。」

サヨに
押し出され
瑞月は
海斗に受け取られた。




「皆さん、
 お前を守ってくださってるんだ。
 俺は有り難い。」

そっと
海斗が囁くと

「瑞月ちゃん、
 ここは
 一つ飲み込んでおくれ。

 わしらは
 瑞月ちゃんを守ってる。
 特別親衛隊だ。

 大事なもんは、
 やたらに人に見せられない。
 もうこないだみたいな思いはさせないよ。
 そういうことさ。」

政五郎が
覗き込む。



あっ
みんなを見回して
瑞月は真っ赤になった。


「あの……
 ありがとう!!」

ぺこり
お辞儀する瑞月に
皆は微笑み返す。



内緒の楽しさに団結する大人クラスは
天使の感謝に満足し
それぞれの席に陣取り始めた。



「高遠君、
 ちょっと手伝ってください。
 皆さんは
 パート別に座ってください。」


瑞月はアキに引っ張られ
海斗は政五郎に捕まる。


もしかして、
思いながら前に出た高遠は
予想通りの楽譜に
ちょっと息を引いた。



「これ、
 おたかさんのリクエストですか?」

「そうだよ。
 私が呼ばれた時点で
 もう一つ頼まれたことだ。」

「瑞月と海斗さんも入れてですか?」

「うちの生徒だからね。
 瑞月君、
 女装を気にしないそうだし、
 海斗さんは
 目立たないこともできるそうじゃないか。

 だいじょうぶ。」


事も無げに
水澤は言った。


この先生は
きっと
いや
もう知ってるけど
とにかく凄い先生だったんだろう。


その楽譜を
パート別に分けながら
高遠は思う。



その視力が失われたとき、
その絶望は
どのくらいだったんだろうか。


水澤は
ピアノの前に座り直し
確かめるように
その指で鍵盤をなぞる。


視力…………。


高遠の
楽譜を揃えていた手が止まる。
上げた視線が渡邉を捉える。


共に
みちのくへと向かう二人に共通する
〝喪失〟の一点。
そして
〝遥かな記憶〟。


それが
繋がって
ぐるぐると渦を巻き
高遠の中に
勾玉を浮かばせていた。




水澤和俊。
その視力は
もしかしたら
こうして瑞月の担任となるために
失われたのではないか。


そして
渡邉勝彦。
その言葉は
巫に出会うときまで封印されていた。
それは既に確かなことだった。



春浅いこの音楽室……。

現れた闇を前に
水澤教諭と渡邉勝彦は、
当たり前のように
闇に対抗する祭儀を始めた。



高遠は拒むように頭を振る。



もし
そうなら
瑞月の勾玉は
二人の人生を引き受けるだけの意味がなければ
おかしいことになる。


水澤の視力は
教師としての道を
渡邉の声は
その喜びだった歌を
この出会いまでの長い期間
その人生から奪っていた。





高遠は
自分の手を離れ
ひらひらと舞う蝶々を眺めた。

〝アルトよ
 アルト。

 一緒に歌いましょ。〟


あーーー
あーーー
試しに出す声が甘く響く。




 瑞月は強くなった。

 瑞月は
 海斗さんを守りたいんだ。


〝誰か
 海斗を助けて

 たけちゃん
 お願い…………。〟

腕の中で響いた
あの夜の声が
切なくよみがえる。




すうっと
瑞月は変化した。


今の瑞月は、
水澤と渡邉が知る世界に
そのまま立って舞う気がする。

知っている
知っている戦なのだ。



それを呼び起こすために
何かの力が
準備をしている。



〝決まり〟
〝務め〟
それは、
これを見届けるということなんだろうか。



高遠は
思わず
ピアノの前の男を振り返る。



「高遠君、
 まず、
 今を生きましょう。

 私も今を生きています。

 この歌もその〝生きる〟ですよ。」



高遠は
楽譜を配った。

チャイムは鳴り
大人クラスは礼をし、
音楽の授業は始まった。


 ええーっ?
 無理無理無理……

を経て
いつしか
それぞれに必死に楽譜とのにらめっこは始まり、
海斗のバスと渡邉のテノールが響き渡り
男たちはその二人を囲んでパート練習を始め
アキとサヨと瑞月はピアノを囲む。



「では、
 CDをお渡ししておきます。
 だいじょうぶ。
 本番は秋です。」


にこやかな担任の宣言と共に
音楽の授業は終わった。



画像はwithニャンコさん作成の