この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





無人の個別学習室。
日曜日のこの一画はひどく静かだ。
この日も静けさは変わらない。

が、
静謐に力をみなぎらせ
このTTW高等学校及びスポーツジム全てに神経を張り巡らす男たちがいた。


机は撤去され
壁際はモニターに繋がる機材を置くための幅を取らない台が
ぐるりと置かれている。



背中合わせに男たちはモニターを見つめ
奥まったところで
その両方を見られる椅子に
伊東がいた。



片側に屋敷
片側にTTWビル


屋敷には老人がいた。
咲に手の者はつけたが
主力はこちらにある。

老人は言った。

〝心配いらんよ
 もう祭儀は済んだのじゃもの。
 わしはだいじょうぶ。 
 ま、
 決まりみたいなもんじゃ。〟


 何の決まり…………?
海斗以下
男たちの頭に?は浮かんだ。
浮かんだが、
消した。


海斗が瑞月を連れて戻って以来、
いや
勾玉が二人を選んで以来、
老人の様々は
時に理解を超えるものがあった。



それを尋ねたとして、
老人はただ笑うだけ。
その繰り返しに
否応もなく男たちは慣らされていた。


 この〝決まり〟とやらも
 その類だ

そう海斗は考え
伊東も西原も習った。

高遠だけが
ニヤリと笑った。

〝じゃあ、
 俺は
 自分の務めを探します。〟



ぎょっとした。

高遠も
母屋に移り住んだことで
老人の不思議が伝染したのか。
そう感じたものだ。



ともあれ、
そう言われたからと
警護を疎かにはできない。


モニターは
鷲羽本山とTTWの双方を映していた。



中央に立つ長身は
片側を向く。
これは致し方ない。


〝警護にお借りした部屋で
    結構です。〟

上機嫌な土屋校長に
校長室に来たら
誘われたのを有り難くお断りし
鷲羽海斗はここにいた。





画面の中に
瑞月は
うつ向く。


ふっ
顔を上げ見回すのは、
西原を探しているのかもしれない。


高遠は
静かに本を読んでいる。


応えない。


うーん
瑞月は考え
また問題を見詰める。




高遠はページを繰る。
瑞月の小さな頭はじっとうつ向く。


 二人生きている
 それぞれに
 生きている



海斗は
そう感じて
どこか苦しい。




自分で瑞月に言い聞かせてきたことだが
それが
いざできているとなると、
まだ苦しさはあった。



が、



ここで
〝たけちゃーん〟
甘い声を聞いても
また別の苦しさがある気がした。




〝センセー
 だって分かんないもの…………。〟

甘ったるく声は響く。
教室にいる教師たちは
大人たちの相手で
忙殺されているようだ。



二人、
しーんと課題に取り組む。
それが
とても自然な教室の風景だ。





時折
海斗は微かに身じろぎ、
モニターに映る新しい顔触れは
警護のチェックを受ける。


それは
どれも危険をもたらすものではなく、
スポーツジムに散らばるチームからも
異変は伝えられない。


静かに
時間は過ぎた。





トゥルルルルル
トゥルルル…………。

「何だ?」


〝海斗さん、
 大事な打ち合わせを
 忘れてました。〟

のんびりした声が響く。



「…………。」

海斗は無言で待つ。




〝今夜は俺の部屋に泊まりませんか?
 瑞月はたける君がいる。

 だって
 ほら
 カナダの時と同じじゃないですか。
 しちゃだめでしょ?〟




「………………。」


沈黙は
ずん!
重くなる。




〝西原も
 同じ部屋にすれば……。
 ね、
 安心だ。

 どっちの意味でも……。〟


「わかった。」




沈黙を破る返答は
何がどう安心かまで待たずに
された。



くすくす笑いに
武藤は続ける。


〝あっ、
 それとね……。〟


プツッ


何が続くか分からない
食えない弟の電話は切られた。




 面白がりやがって

腹立たしくもあり、
どこか嬉しくもあるのが不思議だった。



出陣の緊張の中にも
するり
日常は入り込む。

武藤は
それを思い出させる男だった。




海斗は
また
モニターに目を戻す。



瑞月は
問題を解いたようだ。
答えを見て
にこにこしている。


高遠は
静かにページを繰る。



今夜は
高遠に預ける。
それは、
こんな光景の続きなのだろうか。



やや
胸苦しいものの
海斗は
教室全景を眺めた。





〝やーだ
 なんだ分かったよ
 センセー〟


自分を受け入れて
演説したアキも、
瑞月が手を握っていた坂田も
それぞれに苦闘しているようだ。


ふと
思い付いて
海斗は
その難問らしきプリントを
大写しにしてみる。


 ………………一次方程式?????
 中学校でやった気がする……。


海斗は
次に
瑞月のそれを覗いた。

 空間座標とベクトルか。
 瑞月の教科書にあった。
 たぶん
 高校の数学だ。


学校で学んだわけではないから
実際にどこで学ぶものか実感はなかったが
高校の課程には違いないだろう。


そう確かめて
胸を撫で下ろす。




武藤の電話が
もたらしたものだろうか。
海斗の中に何か人に惹かれるものが引き出されていた。




どちらも
難問であると思ったことのないことは同じ海斗だった。



その苦闘に共感は
できない。

が、

共感できるところもある。



一問解いて
ご満悦のアキは

〝ねぇ
 次の音楽楽しみよね〟

横の坂田に声をかけ、
まだ苦闘中の坂田に無視される。



 これは
 あれだな。

 瑞月が
 本に夢中で
 振り向かない時みたいなものだ。



アキは
坂田の腕を引っ張り
ねえったら!
強引だ。


 これは……俺はできないな。


海斗は
その神経の半分を
瑞月とその周りを思うことに遊ばせていた。




天使は
無心に次の問題を見つめている。

人になじまぬ狼は
大切なものを得て情を学んだ。
些か的外れも含むのは
致し方ない。




武藤の声は
海斗に思い出させる。
自分の一番苦手なことを。


狼は
平和な日常に
まだ慣れていなかった。

そして、
その日常が
ひどく慕わしかった。



 そうだ
 今夜の食事は……俺が作るんだろうか。


海斗は
もう一度スマホを取り出し
今度は
こちらから掛け直した。


備えながらも
日常は続く。

夕食はどうなるのか。

大事な問題だった。


画像はwithニャンコさん作成の