この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






この男は誰だろう。
そんな違和感が教室を包んだ。



長身だった。
 そうだ背高さんだったよな。

整った顔立ちだった。
 そうだすごく綺麗な顔で……。

目が吸い寄せられる。
 そうだ吸い寄せられるんだけど……。



おずおずと足を踏ん張り立ち上がる
生まれたての小鹿が
立ち上がった世界の高さに目をしばたく。


鷲羽海斗は
〝教室〟に
生まれて初めて足を踏み入れていた。




「海斗!」
明るい瑞月の声が迎える。


見慣れた顔に迎えられ
励まされる転入生のように
海斗は
瑞月を見遣り微笑む。



「いらっしゃい
 海斗さん。」

級長が
面白そうに
そして
温かく声をかける。


海斗は
義理堅く立ち止まり
礼をする。


そして、
涙が止まってしまった坂田を
しっかり見詰めた。


「ありがとうございます。
 何もできなかったのは私です。

 瑞月は守っていただきました。

 出会った頃
 抱き起こしてくれる手は、
 この子が知らないものでした。

 それを与えるのは
 自分だけだ。
 そう思って夢中で過ごしていました。」

海斗は
ふっと言葉を途切らせた。

小鹿は急に高くなった目の位置に戸惑うように
周りを見回す。


作業服の坂田、
ぐっと地味を心がけたサヨの家政婦スタイル、
派手な戦闘服に返り咲いているアキ、
着なれないYシャツに着られているような渡邉、
くたびれた背広の男たち、
そして、
カーキ色の上っ張りの政五郎…………。


繁華な駅前のYOSAKOI会場に現れた
謎の一群は
なんとそこで浮いていたことか。


手を振り回し
瑞月の名を呼び
西原をがっちり囲んでいた
賑わいに不似合いな様々な日常を背負った大人たち。


そして、
まっしぐらに駆けていく瑞月が浮かぶ。



「この子も
 わたしも 
 知らないことばかりです。

 私が一番知らなかったことは
 皆様に支えられて
 瑞月が笑っていたことです。」

海斗は
大人クラスを見回した。
そして、
深々と頭を下げる。


「坂田さん、
 ありがとうございました。
 瑞月を気にかけてくださり
 守ろうとしてくださり
 守って下さいました。

 皆様も同じです。
 あの雑踏の中に
 この子がいられましたのも、
 ここの皆様が
 この子を守ってくださっているからこそだと
 今
 心から思っています。」


鷲羽海斗は、
思いがけない眩しさに驚きながら
そこにいた。


「どうです?
 アキさん」

水澤が振り、

マサさんがその背をポンと叩いた。


些か厳しすぎる荒波を潜ってきた
人生の精鋭たちに
その声の真実は伝わっていた。

伝わらぬはずもない純粋さが
そこにはあった。


が、
一同口下手である。
ここは、
アキの出番だった。


「えっと
 ありがと……。

 うん
 こっちこそ
 ありがとう。」

海斗の視線を真っ向から受けて
海千山千の夜の蝶々の頬が
真っ赤に染まる。


海斗は
どうも
その真っ赤の意味は
まだ分からぬらしい。


視線は逸れないし
アキには
使命があった。


コホン
小さく咳払いし、
きっと顔を上げ直す。


「あのね、
 私たち苦労人ばっかりなの。

 人生厳しいことばっかりよ。

 だからね
 だから暗くなることもあるし、
 悔しくて悲しくて
 心が真っ黒になることもあるの。

 でもね、
 やっぱり笑って生きたいじゃん。

 瑞月ちゃんはさ、
 こんな綺麗で
 こんな可愛くて
 ほんとは
 すごく綺麗なとこで大切にされてるお姫様って
 感じでしょ?

 なのにね…………。」


アキまでが
言葉に詰まった。

ポロリ
涙が溢れる。


ようやく探し当てた職場は
ずいぶんと場末の小さなバーだという。



「瑞月ちゃんが……ほら、
 俺の手を握ってる。」

坂田が
ポツン
呟いた。


瑞月がキョトンと坂田を見上げた。

「だって
 坂田さんに
 ありがとうって言いたいんだもの。」


坂田がそっと手を外して
瑞月の頭を撫でた。


「……嬉しいよ。
 俺は嬉しい。」


アキが復活する。


「…………あたしね
 瑞月ちゃんも
 鷲羽さんも
 ほんとはこんなとこ来る人じゃないって
 感じたりしてたの。」


はぁー
息をつく。

よほど思い切って言ったのだろう。
首まで真っ赤になっていた。



「ええっ!?
 ここ、
 ぼくのクラスだよ。
 
 そうだよね。
 ねぇ。」


瑞月が坂田を見上げ、
みんなを見回す。

あせった坂田は頭をポンポンしてやり、
マサさんはずいっと出る。


「ここは
 瑞月ちゃんのクラスだ。
 それに海斗さんのクラスでもある。
 聴講生って奴だ。

 みんな覚えとけよ。
 これからも楽しめるぞ
 犬のお巡りさん。」

ぷっ
サヨが吹き出し
一同が笑い崩れた。



そして、
アキは言葉を続けた。



「このクラス最高なんだけど
 みんな
 自分に自信なかったりもするの。

 自分なんかって
 何回も思って
 もう
 自分なんか最低って
 何回も思って
 そんな自分が嫌で
 やっと見つけた先へ進む場所なのよ。

 ほんとに支えられてる。

 でもね、
 それでも思っちゃう。

 自分なんかって…………。

 瑞月ちゃんは、
 そんな私たちに
 フツーに言うのよ。
 
 大好きって。

 すごくない?
 そういうことよ。

 鷲羽さんの
 〝ありがとうございます’〟も同じ。

 さっきの
 〝ありがとうございます’〟
 録音して
 毎朝聞きたいわ。

 私、
 あの鷲羽さんに
 ありがとうございます’って
 言われたのよって。〟


アキの演説は終わった。

どうよ!?
アキは肩をそびやかす。


みんなが頷き
海斗をみつめた。


聴講生〝鷲羽海斗〟は
改めて頭を下げる。

そして、
顔を上げてしっかりと言った。


「鷲羽海斗です。
 音楽の時間をご一緒します。

 どうか
 よろしく
 お願いします。」

出発を前に
もう一つの出発を
鷲羽海斗は済ませた。

思いを共にする。

その学びがそこに始まった。


画像はwithニャンコさん作成の