この小冊は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




 あ、
 おたかさんだ。



幅がありすぎて
戸口の向こうに隠れきらない
おタカさんの広がったスーツの肩先が
廊下を見通せる戸の上部の四角い窓に
ちらり
見える。



高遠は
教卓周辺の瑞月を囲む輪から離れ
それを眺める位置を取っていた。


くすり
小さく笑う。


うろつき回る校長、
それが〝おたかさん〟だった。



こっそり覗くなら
ちょっと減量した方がよいと
常々高遠は考えていた。



まあ
食事制限は受け入れるとは思えない。
ついでに
運動はかなりしているからな。
そう思う高遠だった。




〝生活指導〟と括られるほとんどを
校長が自ら出張ってしている。
その事情も
高遠は理解していた。
斉木政五郎は
高遠にはそうした話もしてくれる。




通信制高等学校の内情は苦しい。
少人数クラスに加え個別対応が多い。
人件費がとんでもないことになる。


結果、
人手が足りない。
生徒の対応ができない教師が
相当数いる。





平日コースの荒くれ者たちは
生半可なことでは
従わない。

そして、
ここ大人クラスも
違う意味で従わない。




通信制なんて
と見下すアホな若造を
クラスのドンたる斉木政五郎は受け入れない。

〝みんな
 山ほど世間で踏まれてる。

 でもな、
 ここには
 踏まれるために
 来てるわけじゃない。

 踏みつける世間で
 頭を上げて生きていくために来てる。〟



大人クラスに回された青二才は
大学出をふりかざして
マサさんに一刀両断されたという。


高遠が入ったときは、
大人クラスの事実上の担任は
級長の斉木政五郎だった。


今は違うけどな……。
そして、
ふと思う。


 …………長いな。

〝遠慮〟とか〝気後れ〟とか
そうした美徳に縁のない校長にしては
スーツの肩は
動かなすぎだった。


高遠は
そっと
教卓前の華やかな輪を抜けて
戸口に向かった。


覗き窓でもある戸の上部に
どかっと横幅をとる校長と
その後ろに
天井が低く見える長身の海斗が見えた。

校長は
軽く目をつぶり
何やら唇が動いている。



 うちの廊下
 こんなに狭かったか



苦笑しながら
高遠は海斗を見上げた。
しばらくぶりのことだった。


 やっぱり格好いいな
 海斗さん


朝食に
瑞月を連れて現れる。
老人と自分
海斗と瑞月
穏やかに朝食を終えては別れる。



海斗も不在。
自分も不在。
瑞月はお留守番のしばらくが
思い返される。


〝お前が長となれ〟

〝いやです〟


そのやりとりの夜を境に
その生活は始まった。


 俺たちの運命は
 やたらキラキラ飛び回ってますよ



高遠は海斗に目礼し
海斗は応える。


校長が
目を開き
高遠はもちろん軽く頭を下げた。
礼儀はマサさん率いる大人クラスの鉄の掟だ。


校長が
そっと手真似で開けろ
言う。


高遠は
後ろを振り向き
教室を確かめ
そっと戸を開けた。






今、
水澤が
マサに耳打ちし
すっと近寄っていくのは
瑞月誘拐未遂現場に不運にも立ち会ってしまいった坂田だった。


みんなの目が
そうだ
そうだった
水澤に向いていく。


その輪に
そっと遠くから入るように
校長と海斗が
そして
高遠が外輪となった。


 不思議に
 校長は気配を消せる。
 …………海斗さんもだな。


大切な瞬間を見つめながら
高遠はそう思っていた。




作業服姿で
学校から職場直行の坂田は
瑞月の姿を見て
嬉しそうにしながらも
輪から外れていた。


今、
その輪が、
坂田を迎えて温かい。



「瑞月……ちゃん」

そっと出した手を
坂田は
はっとしたように引っ込めた。

あの日
瑞月を抱き起こしてくれた手は
節くれだって
染料が染み付いていた。


「坂田さん!」

瑞月の
真っ白な手が
飛び付くようにその手を握る。


「ありがとう!
 あのね、
 転がっちゃったときね、
 坂田さんが起こしてくれたでしょ?

 すごく心配そうな顔だった。
 ぼく、
 ありがとうって言う暇なくて……
 ごめんなさい!
 
 ありがとう!!
 嬉しかった!!!」


みんなの可愛い子に
みんなも笑顔を添える。



「ほら!
 言ったでしょ?」

アキが
胸を張る。



「サカタサン
 イテ
 ……ヨカッタ
 ヨカッタ。」

渡邉が
訥々と口を挟む。


じわっと
玉になって吹き出す涙が
年の割りに深い皺を伝って
その渋皮色の肌を流れていく。


坂田は
病院の廊下を
西原を追って泣きながら歩いた日以来
久しぶりの涙に
顔をくしゃくしゃにしていた。


その手は天使に握られて
温かかった。
その目は天使に見つめられて
止まらぬ涙を溢れさせた。



「あ、あんな女に…………
 男の俺がいながら…………瑞月ちゃん
 ごめんよ。

 トムさんにも
 すまなくて………………。

 なんで俺……何もできなかったんだって
 …………ずっと思ってて………………。」


坂田は
言葉を詰まらせながら
胸のつかえを吐き出すように
語る。

無口な坂田がこんなに喋るなんて
みんながじんとした。



「ありがとうございました」


教室に
低く声が響いた。


えっ?
驚いてみんなが振り返る中、


「鷲羽さん
 どうぞ」

水澤教諭の声が続く。


高遠は、
自分の脇を通り
前へ踏み出していく狼を
見送った。


その背中は大きく、
そして
不思議なほど無防備に見えた。




画像はwithニャンコさん作成
瑞月と海斗です。



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