この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




廊下が
やけに狭く感じる二人連れが
TTW高等学校5階廊下を渡っていく。


職員室から
大人クラス寄り合い所まで
延々と続く個別学習室の並びは
TTW高等学校を渡るに似ている。




変わり種揃いの大人クラス寄り合い所は
職員室の階にただ一つの
一般教室だった。



この校舎の幅広い作りは
基本昼夜間定時制の形を取り
全日制に変わらぬイメージをもたせる狙いがある。


パンフには
明るく笑う高校生男女の大写しに
黒板と机とイスが
さらに
霞んだように声優やらスポーツやらの特別授業風景が
ぼかしたように写っている。


平日5日間コースもあれば
大人クラス同様に
1日コースもある。
随分と多種多様な生徒が集まることは
容易に想像が付く。


全日制編入も
育ち直し真っ最中の瑞月にはあり得ないものだが、
ここは天宮瑞月の学びの場となった。


なぜか。


そもそも
瑞月が
この学校を選んだのは
高遠豪あればこそだ。
だが、
鷲羽なりに
瑞月を守るに都合のよい利点が
あったからでもある。


まず、
同年代ひしめく教室では
なかったことだ。
高遠豪は大人クラス在籍だった。


そして、
廊下でも接触は困る。
そこも
自動的に回避できた。



TTWは
生徒の住み分けを考えて
コース選択を提示する。


義務教育修了時点で入学してくる生徒には
日曜日1日コースの選択は
提示していない。


これで
ほぼ
接触の心配はなくなる。



もちろん、
学校としての住み分け方策の方針は
瑞月対応のためではない。
学校事情というものだ。



長い長い教室への道のりは続く。
この個別学習室も
日曜日には
都合よく空っぽだ。
教室入場の前に
日曜日グループ住み分けの事情を
書いておこう。




端的に言うなら
学生のライフスタイルの違いだ。
平日働いている者と
平日にすることがない者。

学生の抱える悩みも
そこに大きく違ってくる。



そのために
個別学習室が大活躍するのは平日に限られ、
その結果
まあ
日曜日の個別学習室は空っぽで
鷲羽警護班の控え室に借りられるわけでもある。



学習室というのだから
学習に使うのだが、
それが個室でなければならない者は
日曜日にはいない。




諸事情により
通信制課程には学習の積み上げがない生徒が
多数やってくる。


レポートで済むだろう?
いやいや
そのレポートをどう書いたらいいかが問題だ。

九九も覚束ない生徒が
さほど珍しくない。
様々なサポートが必要だ。
個別にだ。


それを
クラスという形の中で
人と空間を共有してできるなら
ここは必要ない。

人と空間を共にできる生徒たちは
クラスで学ぶ。
教室内に複数の教師が配置され、
それぞれに付く。
学習は個別だが
空間の共有は当たり前だ。


土日においては、
基本、
仕事をもっている生徒がやってくる。
勉強は今イチかもしれないが、
社会に出て奮闘中だ。
個別学習室の必要はない。



個別学習室は、
自宅の自室から一歩を踏み出す勇気のために、
あるものだ。

人の顔を見ることが厳しい。
人の視線が怖い。
ここは、
そうした課題を抱えた生徒が
人と空間を共にするために準備をする繭だ。



〝生きてくんだからさ〟


土屋校長の持論だ。
生徒たちは生きてく勉強しに来てる。
自覚の有無は関係ない。
それが一番肝心だ。
そう常々演説に
もとい指導に際して語っている。


それが故に
〝マサさん〟斉木政五郎は
ここがお気に入りなのだ。


社会に出ているからこそある壁もある。
むしろ、
経済的及び
時間的には
学び続けるには
壁が多い。




大人クラスは
級長マサさんが率いる〝人生負け組〟にして、
〝人生負けないぞ組〟であり、
〝人生楽しもう組〟だ。


身を寄せ合い
励まし合い
彼らは生きている。




まず、
稼ぐに忙しい面々が
なけなしの時間を費やして
それぞれの切羽詰まった状況を打破すべく
〝高等学校卒業資格〟を得るために
ここに来ているところが
平日コース教室とは一線を画す。



十代高校中退組も
また
二階から四階に教室があるが、
彼らもそこは同じだ。



彼らは
既に
社会で
足掻きながらも生きている。


ここは
一つのコロニーだった。



〝生きてくんだからさ〟

コロニーは必要で、
コロニーの中で互いに支え合う関係も
構築される。
日曜日コースの教室は
社会を生き抜くための運命共同体でもあった。



スケートの練習があるとはいえ、
まだ学生である高遠豪は
大変希な変わり種であったのだ。
一つに
当時の高遠には同年代を避けたい思いがあった。
特に荒くれ者も多い通信制では
無理もない。


そして、
日曜日のマサさん組に編入となったには、
土屋校長の野生の勘が働いたのかもしれない。


高遠豪は、
マサさんの系列の男だった。
情のある狼で
守ることを性としていて
どこか捌け口を必要としているもどかしさがある男。


そして、
それは証明され、
高遠豪はマサさんの弟子筆頭株となっている。


天宮瑞月は、
級長斉木政五郎の庇護と
絶対保護者たる高遠豪のもと、
ここでは安全な〝通学〟が期待されていた。


先日の襲撃に、
警護は揺らいだが
心の守りと好奇の目からの守りは
変わらず安泰だ。

むしろ、
コロニーの団結は強まり、
大人クラス寄り合い所は意気盛んであるのは
既に見た通りだ。



〝大人クラス寄り合い所〟
プレートが
その文字も読める距離に近づく頃、

「鷲羽さん、
 働くために悩んだことは
 あります?」

土屋校長が
何気なく尋ねた。

ふと思い付いたのだ。
大人クラスのメンバーの顔が浮かんでいた。




「いえ
 ありません」

鷲羽海斗は答える。




「中学校を出るとき、
 ボクシングを選びましたね。
 なぜですか?」


土屋校長は続ける。
〝ない〟
だろうと予測はしていた。

が、
大人クラスは
日々をその悩みに苦闘する面子ばかりだ。


思い付いた問いは
次の問いに繋がっていく。


少なくとも、
一度は
自分で進路を選択した。
そのときのことを
確かめたくなった。




「……看板を見ました。
 住み込みができるとありました。」

海斗は答えた。


「住み込みできるところを
 探していたんですか?」

校長は尋ねる。


「いえ。
 ただ身元を引き受けてくださった方には
 ご迷惑をかけていると思っていました。」


海斗は答える。



「……よく
 すんなり入れましたね。」

校長は促す。
この自分に興味のなかったらしい男は
いったい
どう社会へと踏み出したのだろう。
そこが大切だった。


海斗は淡々と続けた。

「看板を見た
 と
 言いました。

 屯していた連中に
 じゃあ相手をしてやるよ
 と
 囲まれました。

 かかってきましたので、
 相手をしました。

 奥からオーナーが出てきて
 入らないか
 と
 言いました。」




人になじまぬ身体能力と知能。
それが発するオーラ。
それは恩恵というよりも
トラブルに繋がる災いの種だ。


その場面はトラブル以外の何物でもなかろうに。
血生臭い話だ。
校長は尋ねる。


「何人かかってきたんですか。
 大人げない。
 怪我はありませんでしたか?」




3人?
4人?
ボクシングをかじった荒くれ者に
ふらりと入ってきた中学生が
囲まれる。

一人だとしても
中学生に勝ち目はないはずだった。




「さあ、
 7人か8人か……。
 怪我は……したかもしれませんが
 覚えていません。」

海斗は答える。



「…………かかってきた連中は
 どうしましたか?」

「倒しました。」

それは、
無用な問いだったが、
確かめずにいられなかった。



その連中は、
信じられなかったろう。
なぜ、
自分達が無様に転がっているのか。


これは、
次のことを知るための確認にはなった。
どちらに
どんな熱があったのか。
この男がボクシングを選んだ時に。



「ジムに入るときは?
 子どもを相手に決められることでは
 なかったでしょう。」

校長は切り込む。
もう
大人クラスは間近で
中では
賑やかな歓声が上がっているらしい。
洩れ聞こえる声は
〝お帰りなさい〟に沸いていた。


廊下の会話は
しんしんと過去を辿り
校長の心に沈んでいく。


切なかった。
中学の担任と膝詰め談判したかった。
こんな進路選択があるか!
…………だが、
自分が担任だったとして、
この男に考えさせることなど
できたろうか。

〝君は何になりたいの?〟と。



「オーナーが引き受け人のところに来ました。」

そうだろう。
それしか、
この男の位置を動かす手段は
なかったはずだ。



「あなたは……その時はどうしていたのですか?」


言ったのだろうか。
ご迷惑をおかけするのが心苦しいと。

もはや、
それは言ったかどうかも
さしたる違いを呼ぶものではなかったが、
己の進路に己の言葉があってほしかった。



「話が決まるのを待っていました。」

やはり…………。

校長は
我知らずため息をついていた。


「ジムに入りたかった?」

また
問うまでもないことを
尋ねていた。



「もう中学校は出なくてはなりませんでした。」

そうだ。
出ていかねばならなかった。
それだけのことだったのだろう。
行き場所は
周りが決めてくれる。


その超人的な能力。
この男自身には
さしたる意味もなかったであろう能力は
本人の意思に関係なく人を引き寄せる。

そして、
この男には自分の進路など
どう決まろうが
どうでもよかったはずだ。



大人クラスの戸口を前に
土屋校長は立ち止まる。


鷲羽海斗は
中にいる瑞月の声を追っているようだった。

もう
顔はわずかに仰向き
瑞月の声に眸は明るい。




土屋校長は考える。


今は違う。
もう
どうでもよくはない。
この男は選択の基準を手にしたようだ。


「天宮君、
 大事なんですね。」

自分の声が
温かく響くのを聞き、
校長は
自身が担任バージョンになっていることに
改めて気づいた。


「はい。」

揺るぎない答えだった。


まだ多少の
いや
かなりの社会不適応は感じるが、
それは何とか解決していけるだろう。


〝聴講生〟鷲羽海斗。
土屋校長の評価基準でいうなら、
最大級問題生徒は、
ともかく〝生きる〟を選択し
歩み始めている。



「入りますよ。」

校長は
気合いを入れ直すように
海斗に声をかけた。


普通教室に入るには
魅力が過ぎる生き物は
既に一人
中でキャッキャと笑っている。


次の一人。
長身のスーツ姿に
力のオーラ眩しい狼を
クラスに入れなくては。

しかも
この無駄に溢れるフェロモン。
入れていいやら迷う代物には違いない。


が、


〝生きてくんだからさ〟


王者には王者の自覚が欠かせない。
それは、
人と共にある己を知ることを土台とする。


傲慢とは縁遠いが
一般人の感覚とも縁遠い。
子どものままの心に
この能力と風貌。


 さあ
 みんなに感謝を伝えますよ。


校長は
ひどく優しい気持ちになっていた。
鷲羽海斗にも
ここは必要な学びの場となりそうだった。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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