この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




エレベーターに黒猫を抱いた美少年。
何をしても絵になるからの美少年ではあるが、
職員室前を通過するには障りがあるものだ。


いや、
職員室から説得を始めるべき状況だが
探す相手は校長で
校長室は
職員室の先にある。


とにかく
校長室に入り込んで
身を隠すのが先決だった。


何気なく隠したいのか
ガタイのいい二人の男性が職員室側を歩くが、
廊下というものは360度から見えるものだ。


しかも、
そのがたいのいい壁の一人は、
とんでもない美形で
えらく高級な仕立てのスーツで
その所作には無駄なまでに色気がある。
隠す用途には
ちと不向きも過ぎる素材だ。


つまりだ。



真ん中に
天使もかくやという猫を抱く美少年。
脇には盲目ながらTTW高等学校に水澤あり!
と隠れもない水澤教諭。
それを固めるは伝説の騎士かの美貌の主に
学校には不似合いなTHEガードマン。



集団として目立たないわけがない。




「天宮君!」

職員室に座っていない校長は
この時間は
登校してくる生徒を狙ってうろついている。


巨大生物というか
ヒグマ
シベリア虎
にしきへび
大型肉食動物の風情漂う土屋校長は
迫力がある。


探すまでもなく見つかってよかったのか悪かったのか
土屋校長は瑞月を目指して
つかつかと
いや
どかどかと近寄ってくる。


もう一つ土屋校長の希に見る特質として
女性でありながら
鷲羽海斗のフェロモンに反応しないことが
挙げられる。


目もくれない。
生徒ではないからだ。


これが
侵入者なら
ちゃんと見てはもらえたろう。

鷲羽海斗は保護者だった。
なら
校長として見るべき相手だろう?

それはそうだ。
たっぷり見てもらえる。
ただし、
事態を収拾した後だ。

残念ながら
鷲羽海斗は
子どもに甘すぎる保護者として認識されていた。


どのくらい甘いかというと、
瑞月が学校でどうしているかと
警護を出し抜いて学校に忍び込んだ前科がある。
それを警護の訓練と称して行ったのだから
その甘さは言われて仕方ないものだった。


こうした校則違反を問われる場面では
話を聞くに足る存在ではない。


「その猫
 貸しなさい!」

瑞月の手から
ひょいと
黒を取り上げる。



「あっ 
 黒ちゃん!」

瑞月が声を上げるが、


「うん
 黒ちゃんね。
 名前は聞いてるわ。

 教室行きなさい。
 あ、
 水澤先生、
 咲さんから頼まれてるからだいじょうぶ。
 鷲羽さんも黒ちゃんも
 引き受けたから
 教室行ってくださいな。」

以上、
土屋校長は、
問答無用で一息に言い切った。



そして、
ギロリ
見回す。



「天宮君、
 行こう。

 私たちは教室だ。」

水澤は
すっと瑞月の手を取る。

水澤は土屋校長が怖くない少数の一人だ。
そして、
その決断の速さを重宝にも思っている。
この場合、
長居して得なことは何もない。


海斗と伊東をそこに置き
水澤は瑞月を連れてさっさと動き出した。



名残惜しげに瑞月は振り返り振り返りするが、
今、
海斗と伊東の前にいるのは、
巨大肉食獣だ。

現実は厳しく
乗り越えるべき関門はある。




「じゃ、
 校長室にどうぞ。」

黒を抱いた土屋校長は
ようやく
鷲羽海斗に目をくれた。

土屋校長に抱かれた黒は
ずいぶん小さく見えるものだな。
海斗はぼんやりと考えた。



校長室のドアが開いた。



黒は校長の腕に抱かれ
こちらを見ている。
その姿が
そのドアを抜けていく。



登校時間8時半を前に
生徒の登校ラッシュが始まった。
エレベーターが開き
どっと生徒が溢れてくる音が聞こえる。



「総帥!
 入りましょう!!」

ほとんど伊東に押し込まれるように入った海斗の背後で
廊下は
登校してきた生徒で一杯になった。



バタン!



伊東は校長室のドアを閉め
ふうっ
息をついた。



ニャー………。

黒の鳴き声が長閑だ。



「間に合ったわね。」

どかっ
椅子に腰を下ろしながら
校長は言った。



間に合った?
何が………?
戸惑う海斗を尻目に
伊東が
深く頷く。


「はい
 なんとか。」



黒は
ぴょん
デスクに飛び上がり
校長の手に頭を擦り付ける。



「ああ
 賢い猫さんだこと。

 あなたにもわかるわよね。」

土屋校長は
黒の喉をコチョコチョ擽ってやり、
海斗を見上げた。




海斗は
静かに見つめ返す。


「あなたは
 うちの生徒には目の毒です。

 鷲羽財団総帥だからじゃありません。
 〝すごくハンサムな〟有名人だからです。
 朝の登校時間から
 職員室前をサイン会の会場には
 できません。

 そちらも
 こんなところで名前を売るわけには
 いかないでしょう?」


土屋校長は語った。



海斗は〝すごくハンサムな〟は
よく分からない男だった。

が、

分からないながら、
伊東にも言われ続け
拓也には眉を上げられ
気にしなければならないらしいとは
思うようになっていた。




「申し訳ありません。」

海斗は
頭を下げた。



土屋校長は
手を振る。

黒は
テーブルから
ソファーへと飛び移り
丸くなった。



「いいの。
 咲さんとも話してるし、
 水澤さんとも話したわ。

 今日はとても大切な日。
 そうですね?」



海斗は
素直に頭を下げた。

「ありがとうございます。」



そして、
土屋校長はぐっと身を乗り出す。

「それは、
 私もよーく分かるの。
 協力はする。

 でもね、

 ここは闇の攻撃も受けたし
 大人クラスの皆は
 瑞月君を探して街を歩き回った。

 大した犠牲ではあるのよ。
 それを
 彼らは
 喜んで払ったし
 後悔していない。

 でもね、
 犠牲には違いない。

 あなたは
 彼らに
 何を返せる?」

土屋校長は
海斗を
じっと見つめた。

海斗は考えた。

海斗も
また
土屋校長が怖くない一人だ。
その機嫌を取ろうとか
意を迎えようとか考えたわけではない。


〝何を返せるか〟
その言葉を考えていた。



聞かれたことにそのまま答える。
それは海斗の特質だった。


海斗は全てに無関心だった。
自分にも他人にもそれは同じだった。

人並み外れた能力と無関心。
それを剥き出しに生きることは
賢い身の処し方とは言い難い。



剥き出しであることは
昔も今も
変わらない。

中身が変わってきただけだ。
だから、
答えも変わってきた。


海斗は目を上げた。


「私は
 人に何かを返すということを
 知りませんでした。

 人と関わったことがないんです。

 自分も人に望まず
 自分が人に望まれるなど
 考えたことがありませんでした。」


伊東はドキッとした。
出会った頃の海斗は
まさに
その通りだった。

指導教官として、
そこが
一番変えてやりたくて変えられないところだった。



「道子という女性に出会いました。
 彼女は
 私が寂しがり屋だと言いました。

 私が寂しがり屋かどうか
 それは
 今もわかりません。

 ですが、
 自分が彼女にもらった温かさは
 覚えています。
 温かいものをもらいました。

 でも、
 それは、
 彼女が亡くなったときに消えました。

 私は
 もうそれで
 誰かに何かをもらうということは
 ないものと考えていました。」


海斗の声は
少しも変わらない。
その時の慟哭は
静かに昇華されていた。

伊東は
顔を上げているのが
辛くなってきた。

長い長い話を海斗は始めていた。



「瑞月を知りました。
 心から瑞月を望みました。

 瑞月には
 その温かさが
 必要でした。

 私は
 瑞月に生きてほしくて
 そのためなら
 何でもしようと思いました。

 だから、
 今、
 こうしています。

 瑞月は鷲羽の巫で
 瑞月を守ることが
 鷲羽の長の務めであり願いであるからです。」


そうでした。
あなたは
鷲羽の財にも力にも興味がない。

だから………危うい。
誰より危うい。
あなたには
瑞月さんしかないのだから。

伊東は切なくなっていた。



「今、
 瑞月が私を守りたいと言ってくれます。

 私は驚きました。
 私は守るのが務めで
 その私を守りたいなどと
 誰であれ
 言ってもらう言葉とは
 考えてもいませんでした。
 
 そして、
 瑞月は言うのです。

 ぼくたち、
 大好きな人がたくさんできたね

 そう言います。

 私は
 気づきました。

 何も返すものをもたなかった私に
 多くのものをいただいています。

 弟に
 この伊東に
 咲さんに
 鷲羽の老人に

 私は今の幸せをもらいました。」

伊東は
思いも掛けぬ言葉に
伏せていた目を上げた。

海斗の背は揺らがない。
愛されることを受け入れて
そこにあった。

伊東は
にわかには信じがたい思いで
その背を見つめた。



「あの日
 クラスの皆さんが
 西原を連れてきてくださいました。

 心から心配くださって
 そうしてくださいました。

 そういうこと
 一つ一つが
 私は有り難い。

 有り難いことだと
 感じています。

 私が返せるのは感謝です。」


伊東は
ふと自分の頬を伝うものに
気づいた。

自分は泣いている………。

この人は
本当に歩き出した。
それが
こんなにも嬉しいのか。



「分かりました。
 あなたは正直な人ね。」

校長はにっこりする。
そして、
声を改めた。


「鷲羽海斗さん、
 あなたは天宮瑞月君の保護者ですが、
 水澤先生の授業の聴講生でもあります。

 クラスに行かれますか?」


クラスに行く
感謝のために行く
それを認めたとうことだろうか。

その目は
やけに優しげで
大きな草食動物みたいになっていた。

象の目みたいだ………。
伊東はぼんやりとそう思った。



「ありがとうございます。
 あの………この姿で構いませんか?」

海斗は生真面目に答える。


「何か着替えはありますか?」

土屋校長も大真面目に応じた。
実際、
今の知名度にこの姿は
困るには違いない。


海斗が伊東を振り返る。

自分の顔をいぶかしげに見る海斗に
大急ぎで涙を仕舞い込み
伊東は
持ってきた着替えを考えた。


「ジャージがあります。
 たぶん
 廊下ですれ違う生徒さんは
 誰も気づかないでしょう。
 騒ぎは起きません。」

伊東は応えた。


「気づかない?」

土屋校長の目は
象さんからにしきへびに変わった。



嘘ではない。
できるだろう。
お茶の子さいさいだ。
伊東は動じない。

「はい
 警護のスキルをお持ちです。
 影となって移動することがおできになります。
 だからこそ、
 こちらに忍び込むことがおできになりました。」



おお
土屋校長は頷く。

自慢にならないが、
誰にも気づかれず忍び込んだことは
この場合信用に繋がる。

「では、
 着替えてください。
 いつもの学習室を警護の方に
 お貸ししています。

 教室へはご一緒します。
 いいですね。」

鷲羽海斗は
改めて
頭を下げた。


ニャー………。

黒が起き上がり
ぐうっと
前肢を突っ張るように伸びをする。


校長室の関門は越えた。
次は大人クラスだ。

感謝を伝える。

海斗は校長室を出た。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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