この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





髪を上げる。
うなじの生え際が透き通るように美しい。

キュッ
まとめると黄金の滝は
私の手に流れる。

だいぶ伸びたね。
でも
まだ足りない。
付け髪をしようね。


ほら
君は若き淑女だ
少しだけ大人っぽくするよ。
横に張り出して頭頂にレースの飾りを付けた帽子を留めよう。


ああ
臈長けた貴婦人だ。



口紅は
赤にしようね。
その白い肌が映えるように
濃いめにするよ。


写真は
そのコントラストを反映する。
唇はそこにアクセントをつけてくれるだろう。



丸い肩は白くドレスから覗き
その細い首へと繋がるラインが優雅に描き出されている。

私は
その首にピジョン・ブラッドの首飾りを
あしらった。



アベルの鎖骨の窪みが
深紅に重厚な首飾りを受けて
白磁の艶を陰影に帯びる。



レースの長手袋に包まれた手を取り
そっと立たせる。


姿見の前に立った君は
目を丸くした。


「これ……ぼく?」

「そうだよ。」

「…………すごく綺麗。」


絵から抜け出したような貴婦人が
深紅のドレスを纏って
そこに佇む。


フロックコートの私は
その手の先に口づけた。



「さあ
 写真を撮ってもらおう。」



写真屋は
居間に担ぎ込んだ機材を
大事そうにあれこれ調節していた。



ギッ……。


扉の開く音に
満面の笑顔で振り向いた彼は
口を開けたまま
動きを止めた。



こらこら
しっかり仕事をしてもらわねば困るよ。


「やあ
 待たせたね。
 よろしく頼むよ。」


用意された椅子にアベルを座らせ
私は
その椅子に寄り添って立った。




「は、はい!」

男は、
はっとしたように動き出す。

レンズを覗き
今度は
レンズ越しに私たちを凝視する。

そして、
吸い寄せられるようにカメラのレンズを覗いたまま、
また黙ってしまった。




「これで
 いいのかな?」

私は促す。



「…………はいっ!」

返事が遅く
かつ
声が跳ね上がる。

写真屋は
実直な男のようだ。
今度は
上げた顔が動かない。


何か考え込むように、
私たちを見詰めている。





私は
私の容姿に有頂天になり
滝のように世辞を浴びることに
慣れている。

アベルを連れて歩くようになり
それは
むしろ減ったかもしれない。


きちん!
椅子に座る君は
もう
自分の姿を忘れているのかな。


ちゃんと言われた通りにしなくちゃ
生真面目にまっすぐ前を向いている。


その生真面目は
化粧に演出されて
蠱惑を湛えているんだよ。


見詰められたりしたら
相手は石になってしまう。


アベル
君の美はね
人を無口にする。




「では、
 頼むよ。」


私は
努めて優しく
写真屋を励ます。


古びたツイードの上着から
アイロンのきいたシャツが覗く。

茶色の髪を撫で付け
慣れぬポマードをてからせて
目をしばたたかせる四十がらみの男は
改めて
私を見詰めた。


「あ、
 あの、
 正面を向いたお二人で
 よろしいのでしょうか。」


おずおずと
彼は言った。


「そうだね。
 二人で撮りたいと
 妻が言ってくれた。
 
 ポーズは
 こんなものでどうかな?」

私は答える。


すると、
写真屋は
思い切ったように続けた。


「あの……あの……
 
 何枚かポーズを変えて
 撮らせていただきたいのですが……。」


「構わないよ。
 あまり時間を取らなければね。

 そうだ。
 ネガもいただくよ。
 大切な記念だからね。
 大事にしたい。」


私は
努めてさらりと答えた。

写真を残すことは
冒険ではあるが、
何枚撮ろうと
ネガの回収さえできれば
問題はない。



男は顔を輝かせた。

「ありがとうございます!
 お二人が
 本当にお美しくて
 自分が
 それを写真に残すんと考えたら
 何だかたまらなくなりました。

 一枚では自信がありません。
 いえ何枚撮っても
 自信はない。
 ああ
 何枚でも撮りたい気分です。
 ちゃんと残せるように。」


ポマードが板につかない写真屋は
どうやら芸術家肌の職人だったようだ。



「あの……そんなに綺麗ですか?」

アベルが
男を見詰めながら尋ねる。

写真屋は真っ赤になった。


「それはもう
 私は
 こんな美しい方にお会いするのは
 初めてです。

 女神のようです。
 ああ
 こんな機会をいただくことは
 もう一生ありますまい。

 私が撮っていいんでしょうか?」


まるで愛の告白だ。
アベル
君は
どう聞いたかな?


「あの、
 撮ってください。
 撮ってほしいです。
 写真が欲しいんです。

 その……一緒だなって
 一緒にいて幸せだなって
 写真を見たら
 確かめられるかなと思いました。

 ……いいですか?」


男は
頷いた。
何度も頷いて
レンズを覗いた。


「ここを見ていて下さい。
 動かないで…………はい!」

ボン!
フラッシュが焚かれる。



「じゃあ、
 あの、
 奥様、
 旦那様を見上げてください。

 旦那様は奥様をご覧ください。」


アベルが
私を見上げる。

ああ
君に見詰められては
一溜まりもない。

私は
幸せに酔う。




手を握り、

顔を近づけ、

肩を抱き、

幸せの瞬間は切り取られて焼き付く。



フラッシュが焚かれる音は
それから何度あったろうか。



写真屋が持ってきたガラス板も
限りがあった。
ひどく残念そうに写真屋は終わりを告げる。


私は
アベルを寝室に入れて
ドアを閉じる。


「では、
 何枚になったかな。」

私は確かめる。



「ああ
 七枚です。
 ありがとうございます。
 ありがとうございます。

 お写真を撮らせていただいて
 幸せです。」

上気した顔に汗が浮かんでいる。
そうか。
七枚だね。


「では、
 ネガもいただくよ。
 忘れずにね。」

私は
ちょっとした冒険も
しなくてはならないだろう。


「はい
 明日にはお持ちできます。
 ああ
 現像するのが待ちきれません。
 どんなに美しいでしょう。」


「私も
 楽しみにしているよ。」


写真屋は
いそいそと帰っていく。
彼は現像するだろう。
そして、
こっそりと宝箱にしまう。

すまないね。
私は
君にそれをあげられない。


この世のものとも思えない美しい二人は
君の思い出にだけ
しまっておいてくれたまえ。


さて、
撮影で上気しているのは
アベルも同じだろう。



私は寝室のドアを開ける。

アベルは
姿見の前にいた。


「グレン……。」

アベルは
姿見から目を離せずにいた。


私は
そっと
その背から肩を抱く。


姿見の向こうから
それは美しい二人が
私たちを見詰め返していた。



「ねぇ
 あちらからは
 ぼくたちって
 どう見えるんだろう…………。」

君は
魅せられたように呟く。

恋人よ
君は
鏡の世界に引き込まれているんだね。


「君は
 どう感じるの?

 きっと
 あちらの君も
 同じように感じているよ。」

私は
そっと
その肩に口づける。

白く丸い肩が
小さく震えた。



「さあ
 どう感じる?」

私は
唇をその喉に移す。



「…………夢中みたい。」

君は応える。


「そう。
 そう見えるんだね。」

私は
そっと
そのうなじを唇で辿る。


そして
その耳に囁く。

「誰が?
 誰が夢中なの?」



アベルは
私にしがみついた。
プルプルと
その体は震えている。


私は
その背を優しく撫でた。

「私は
 君に夢中だよ。

 さあ
 顔を上げて。」

私は
恋人のキスをする。

そして
姿見に映る恋人たちを眺めた。


そうだね
君は夢中だ。
鏡の魔法に囚われてしまったんだね。


私は
片手に
そっと姿見に覆いをかけた。


もう怖くない。
怖くないよ。


「ドレスは
 これでお仕舞いだ。
 さあ
 疲れたろう?

 お茶にしようね。」


私は
その頭を抱えて
優しく言い聞かす。


恋は
時々怖くなる。
でもね、
その森に足を踏み入れなければ知ることのない
深い深い悦びもある。


今は
解放してあげるよ。
鏡の魔法を解こう。


君は綺麗だ。
そして
私は綺麗だ。


素敵な魔法は
まだまだ終わりはしない。
恋は続く。
いいかい。
恋は続くんだ。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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