この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





唇が唇に重ねられる。
待ち受けていたそれは軽く開き
待ちかねていたそれは深く貪る。


白は窓辺に揺らぎ
二体の彫像は
くっきりと互いの美をそこに刻む。


筋肉がゆったりと動き
恋人を愛撫する男の背を描き出す。
唇が吐息を洩らし
その愛撫に震える恋人を形作る。


接吻が
雪に包まれた部屋を
優しい隠れ家に変えていく。



「………どうしたい?」


唇が離れると
男は優しく尋ねる。


「お部屋がいい。」

早すぎる返事に
起きていたことは容易く知れる。


「待っていたの?」

男は尋ねる。

「うん」

少年の応えは素直だ。


「キスは好き?」

男は確かめる。


「グレンも好きでしょ?」

少年は尋ね返して応えに代える。



恋人は
キスと恋を結びつけられない。
男は既に承知している。
その幼さが
今の男には切なくも愛しくもある。


額に唇をあて、
少年を抱き起こす。



「ぼく、
 ベッドでぬくぬくしたいな。」

望むところだった。


「待っておいで」

呼び鈴の紐を引き、
男はガウンを羽織る。



待つ間もなく
ひそやかにノックが響き
男は朝食を受けとる。


枕とクッションで
ベッドにふかふかの背もたれを作り
そっとビスクドールを座らせる。


「どう?」

「うん!
 グレンも来て!」

分かっているのかいないのか
アベルは
ごく当たり前に
その肩にグレンの温かみを求める。


自分は
ベッドサイドに椅子を引き寄せて
小卓に置いた朝食を
二人でとる。


アベルは卵は
とろっとしたものを好む。
柔らかい唇から黄身がつうっと垂れる。
グレンが顔を寄せ
それを舌で受ける。





そのまま顔を見つめ
「気を付けて」
言うと
「うん!
 ありがとう」
アベルは明るく応えるのだ。


誰かと食べたことのない子は
屈託なく優雅にパンをちぎる。



マナーは知ってる。
ないのは、
共に食事をする者の視線への意識だ。



今は要らないが………。
グレンは
隠れ家となった部屋を見回す。



「アベル、
 千夜一夜物語を
 読んだかい?」


「うん!
 ドキドキしたよ。」

「じゃぁ、
 今日は千夜一夜物語の話をして過ごそう。」

「ずっとベッドでいい?」

「いいよ。」



グレンはタペストリーを指差す。

「綺麗だろう?
 ペルシャはね、
 すごく栄えたんだ。

 都は壮麗でね。
 王の宮殿はね、
 高い高い石の柱が何本も聳えていてね、
 階段には衛兵の行列がレリーフで
 どこまでも続く。

 そして、
 王の謁見は百柱の間といってね、
 六段も家臣のレリーフが刻まれた
 一番上に王が謁見に望むレリーフが
 刻まれた柱が見守ってるんだ。

 砂漠を越えた向こうに
 夢の国があったんだよ。」


アベルの眸が深くなり
ゆらゆらと
グレンの声に誘われていく。


「………砂漠の向こう?」

「そうだよ。」


挿絵に描かれた世界が
アベルの中に
広がっていく。


「どうやって行くの?」

「駱駝に乗っていくのさ。」

「すごく遠い?」

「遠いよ」

「………これ、
 砂漠を渡ってきたんだね。」

「そうさ。」


グレンは語る。
アベルは尋ねる。

やがて、
ペルシャの姫君は、
豪奢な天蓋の下で王に語り出す。


幾つもの恋物語が
タペストリの夢に浮かぶ。



「あのね、
 王様は恋をしたの?」

「しただろうね。」

「お姫様に?」

「きっとね」

「………どうして?」

「側にいてほしい人だって
 気づいたのさ。」


アベルは
ふうんと小首を傾げる。

腕の中でうとうとと眠りかけるアベルの頭を
そっと枕に移し、
グレンはキスをする。


吐息が甘く香り
アベルは眠りに落ちる。



君はいつ気づいてくれる?
可愛いシェへラザードは眠りに落ち
恋する王は愛しげにその髪をかきやる。



幼い姫君は
しなやかな裸身をくねらせて
ふううん
甘え声をあげる。


その身を抱くことはできても
その心は王のものではない。


悩ましい王は
それでも
この雪に守られた隠れ家の幸福を
こよなく愛する。


時間はたっぷりある。
王は
そっと姫の額にキスをする。

画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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