この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



ステージ脇に
ショールを巻き付け
腰をかがめた女が
よっこら
よっこら
リズムをつけて現れた。



そして、

ぐいっ
腰を伸ばす。


「さあーーーあ みなさん!」

おタカさんの世界は
そこに始まった。



 ねぇ
 みなさん

 私の話を聞いておくれ!!




観客はベッドにいた。
小学校高学年から高校生まで、
同じ病をもっている。


ベッドは
その背を立てられ、
中央に向かい
子どもらの頬も口も額も向いている。
視線は向いているともいないとも
言えなかった。






お芝居ボランティアも
もう何回したか
おタカさんは振り返る。
経験上
モチベーションの維持こそ壁と知っていた。


 さあ
 最後の最後まで
 声に思いを乗せるからね
 瑞月君
 見てなさいよ

教え子が
この場で共演する。
それが
おタカさんには
なかなかのモチベーションだった。



観客を見回し
大きく肘をはって目を丸く指で囲む。

 ねぇ
 目がかすむよ

台本を取り上げて
ぐううっ
目から離す。




 このお尻もねぇ

くいっ
顎を突き出し
曲がった腰をさらに
ボン!
突き上げる。

 昔は
 そりゃあ
 きゅっ
 と締まっててねぇ
 


クスッ
クスッ
………

二十人を越えるボランティアに
くすくす笑いが
小さく
広がる。

 

突き上げた尻を
ぶるんと
震わせると
太った体に巻き付いたショールも
ぶるん
揺れる。


 さあて

おタカさんは
一歩!
一歩!
ベッドの前を歩く。



 あたしゃ
 魔法使いなんだよ

そう
言うや
ぐきっ
背を伸ばし

おっとっと
よろけ、

また
えっへん!
両足をコンパスを開いたように
踏ん張った。


ウフフ

ウフフ

太った体が短い脚の台に乗ってるみたいな姿に
また笑いが上がる。


おタカさんは、
生徒、
これは高遠豪の台詞だが、
ある種
恥を突き抜けたところが恐ろしいという。


少なくも
己の容姿を最大限生かすあたり、
教え子の前で
校長が演ずると見れば、
大した突き抜け方には違いなかった。


いきなり満面の笑みになり、
左手を
遠くを眺めるようにかざすと

上半身が
ぐいいいいいいいっ
ロボットのように左にずれた。



 そこのお若いの
 元気そうだねぇ

 大学生かい?


狙いをつけられたのは
気配を消した二枚目
西原だった。


関心に
その顔立ちにも関わらず
なんとも凡庸な表情を保ちながら
西原は進み出る。


 さぁ
 並ぼう!

おタカさんは
その
腕をつかむや
ピチピチの女子高生かのごとく
腕を組んで
ウィンクすした。




 ねぇ
 ベッドのみんな
 
 魔法使いでもねぇ
 自分のことは
 変えられないのさ。

 この彼氏と
 恋を楽しむ年に戻りたい!!

ここで
タンゴよろしく
西原を抱いて押し倒す。


わかって選んだ人材だから当たり前だが
西原は耐えた。

ギャッ
なれば素が出る。
だから石仏のごとく無になる。
また、
倒れたら目立つ。
足を引き
突出した腹筋背筋のキープ力は
適度に震えてみせて誤魔化す。


ふっ
体勢を戻し、
とーん
西原を突き飛ばして
腕を組んだ。



 でもね
 幸せな女の子を
 不幸にするのは簡単にできるんだよ。

 だって
 騙されやすいんだから。



にやり
笑って

ショールを巻き付けた腕を
さっと翻す。


魔法のように
見る者の目はショールを追い
次に
おタカさんの背を向けて動かぬ姿に
ぴたっ
止まった。



怪優といって
恥ずかしからぬ演技力で
その場を圧していたおタカさんは
ステージ下で
客に背を向け、

向けたなり
一本の柱のように動かなくなった。




両開きの赤い幕が
するすると
開いた。


おおっ………。

子どもが主役。
〝君〟と一緒にと
ボランティアは
努めて自分を出さずにきたが
ここでは
嘆声をあげた。


お人形さんみたい………
ボランティア?

きれい………
きれい………………
きれい………………………

胸元はレースに覆われ透けていた。
同じく透ける袖に
その下の肌のきめ細かさは知れる。


細ーい
なんて細いの

おタカさんの巨体を見た目には
まるで
違う生き物が現れた感があった。




美しすぎる。
鷲羽総帥は
恋人の美しさに懸念していた。

まるで幸せの詰まった砂糖菓子のように
見えないだろうか。



お人形が立ち上がった。



肘まで隠すグローブに
慎ましく包まれた指先が
真っ白なドレスを摘まむ。



すっ

すっ

運ぶ一足一足に
花が咲くようだった。



グローブは
花嫁の無垢を意味するという。

汚れなき無垢
幸せの象徴とすら見える姿が
ステージを降り
子どもたちの前に立った。


 さあ
 かわいこちゃん

背を向けたおばあさんの声が
会場に響き渡る

 挨拶するのよ。
 いいーい?
 ちゃんと
 一人ずつ手を取りなさい。

 あなた
 きっと
 わかるって
 マサじいさんから聞いたわ。

 触るとね
 分かるんでしょ?

 さあ
 さあ
 ご挨拶よ


その声量は
背を向けているとは
思えない。

が、
声は
まるで
下から湧いてくる。


それが背を向け
微動だにしない体から
そう感じるのか



ねっとりと
絡み付くような声に
そう感じるのか


会場に
魔法使いの魔法が
まさに
感じられた。


〝幸せな女の子を不幸にするのは
 簡単にできるんだよ〟


魔女が
その杖を振るい
女の子はベッドに向かい
歩き出す。



瑞月は、
本当にわかるんだろうか。
鷲羽総帥は
消した気配の中に沈みながら
考えていた。


自分には
恐ろしいほどに反応した。
迷いや不安は
瑞月に現れ悪夢となった。


俺が揺らがないこと
高遠が揺らがないこと
二つの錨にようやく保たれた小舟のバランス。


その繊細な音叉


ピイイイイイイイイイイイイン………………。


その響きを聞くようで
鷲羽海斗は
恋人のあまりに華奢な姿に
恐れすら感じていた。


 こんばんは

 こんばんは

 こんばんは

 ………………………。

挨拶し
何か耳元に囁いて
それから
手を取りじっと目をつぶり
ありがとうをする。



ドレスの衣擦れと
甘いアルトの
〝こんばんは〟と〝ありがとう〟
しばらくは、
そればかりが響いていた。




回っていく瑞月の
どんな変化も見逃すまいと
穏やかに細めた目の奥に
海斗は炎を秘めて見つめていた。



 どお?
 挨拶してみて


魔法使いは
含み笑いを込めて訪ねる。


 えっと
 嬉しいです

瑞月は
何を聞かれたか戸惑うように
答えた。


 誰か
 あなたを見てくれた?

図星を刺す。
そんな響きがあるなら
これだろう。

誰も見なかった
それは
お前の挨拶なんか聞きたくないってことだ


会場の大人は凍りつく。
ボランティア初心者は合宿の付き添いには
ならない。

全員が知っていた。


何か要求があるときは
目は動く。

ほしい
いらない
いやだ
これがいい



だが、



その場限りの社交辞令に
子どもたちは
目を動かさない。
少なくも
動くのを見たことがなかった。



自身の偽善を責められているようだ
いっては
活動を去る仲間を何人も見てきていた。



進行していく病を見ているのが辛く
その辛い病に対しできることがない自分が辛く
何もできないくせに心を開いてもらえないことに傷つく自分が辛く
このボランティアは
やめていく仲間が多かった。



 はい
 あ、
 でも、
 手が温かかったです。

瑞月は
はにかんだような声で
答えた。


え?
ベテランたちは
自分の付き添う子どもを
そっと眺めた。

固定され
頭は舞台を向き
その表情は読めない。


おタカさんの
長年の熱演も届いていたのかいなかったのか
分からなかった。

面白い?
聞けばまばたきで返す子もいた。

が、

どこが?
何が?
語る術をなくしたあたりからは
その内心を浮かべる眸にも
厚いカーテンが
下りるようになっていく。


今の挨拶に
何かを返すほどの気力は
もう
どの子にもないのではなかろうか。
めいめいが秘かにそう感じていた。





 ああら
 手に触らせたくて
 触らせてるんじゃないのよ。

 あなたが勝手に触ったんでしょ。

 ちゃんと
 許しをもらったー?

魔法使いは
さらに魔法をかける。





その魔法が
ベテランたちに掛かり始めた。

〝ここ 来たかった?〟
〝読むの この本でよかった?〟
〝これ やりたかった?〟

その意思に関わりなく
よかれ
よかれ
してきた様々が胸を刺す。


〝頼んでないし〟
〝おもちゃじゃないし〟
〝勝手に決めて満足した?〟

そんな言葉が
勝手に脳内で再生されていく。

ほとんど
顔色も青黒く変わっている何人かは
ちょうど
そんな自分が辛くなりかけていたメンバーだった。

大人たちは
女の子の答えを聞くのが
辛くなっていた。




 あの
 お願いをしました。

その塞ぎかけた耳に
また
アルトは響いた。




 で、
 あの
 嫌だったらごめんなさい
 って
 言いました。


考え考え
少し舌足らずな可愛い声は
丁寧に答えを出す。




大人たちは
救われたように感じた。

そうか
〝お願いする〟
心からお願いする
〝ごめんなさいする〟
心から謝る




お人形さんは
いつの間にか〝女の子〟に
〝頑張ってほしい女の子〟に
変わっていた。


魔法使いの呪いと戦う女の子を
大人たちは
手に汗握って応援する気持ちになっていた。


 
 ねぇ
 じゃぁ
 最後の質問よ

 正直に答えてね

 この魔法はね
 うそついて逃げると
 十倍に膨らんで帰ってくるんだから


最後………最後か。
大人たちは
固唾を飲んだ。




 なんにも返ってこない
 気持ちも返ってこない
 自分が何しても
 なんにもならない


魔女は歌った。
節を付けて歌った。

邪悪な歌が
しんと静まるホールに響き

「やめろ!
 おタカさん!!」
藤波喬の悲鳴が
それをつんざいた。

「ああら
 弱虫さん
 そんなに図星だった?」

あーはっはっはっは

魔女の勝利の笑いが
それに続く。



 どう?
 かわいこちゃん
 そう思ったんじゃない?

 そうじゃないなら、

 何が返ってきたか
 答えなさい!


最後の命令は
ホールの壁を
びりびりと震わせた。



大人たちは呻きを噛み殺した。
そして、
その呻きを聞かれたような気がして
そっと
自分が付いた子に
目をやった。



あっ
あっ
あっ
………………
小さな驚きの声が
広まっていった。


その声は
次の波を起こす


ボランティアたちは
たがいに呼び合い
確かめ合い

そして
振り返った。



「藤波さん!」

「藤波さん!」

「藤波さん!」


立ち上がり
涙を流しながら
両手が振り回される。



藤波が
奥から駆け出した。


ほら

ほら

ほら

子どもらは
瑞月を見つめていた。



藤波は
みんなに揺すられ
肩を叩かれた。

退会を相談していた仲間は
子どもの手を握り
ただ泣いていた。


「藤波さん
 答えがまだよ。
 そこをどいて
 子どもたちに
 聞かせてあげて」


おタカさんの声が
優しく
響いた。


大人たちは
そっと
脇に控え
瑞月は子どもらに見つめられて
頬を染めた。


「お嬢さん
 どうか
 答えを教えてくれんかの」


瑞月は
子どもたちを見回して
大きな声で答えた。



 お願いして
 手を握ったら
 ちゃんと温かくて
 ぼくの手も暖かくなりました。
 ぼく
 温めてもらったなって
 思いました。


会場が
拍手に満ちた。

子どもたちの眸にもらった
温かな温かな拍手が
大人たちの心を満たし
拍手となって溢れていく。


ああれえええええええ

おタカさんが
絶叫を上げ
背を向けたままばったりと伏せた。


「先生!」

瑞月が駆け寄ると
ぴょん!
ぜんまい仕掛けの人形のように
起き上がる。


「さあ
 悪い魔女は
 あなたたちが
 見つめたら
 ちりぢりになりましたとさ」

ショールを外し、
腰を伸ばし
おタカさんは子どもたちに向かった。

子どもたちの視線は
はっきりと
おタカさんを見つめ揺らがなかった。


「みんなは
 もう
 いろいろなことが
 わかります。
 人は強くも弱くもなれる。

 それは、
 誰しも同じです。

 皆さんには力がある。
 思いの力です。

 あなたたちを大好きという人に
 大好きを返す勇気を
 もちなさい。

 命は短い。
 それは悲しいことです。

 でも、
 命を粗末にするのは
 もっと悲しい。

 いいですか?
 生きるというのは、
 思いを抱くことです。

 あなたの大好きを
 その眸で伝えるだけで
 この場所は幸せに包まれました。

 勇気をもって
 自分の思いを大切にする。

 最後のその日まで
 あなたの大好きを大事な人に
 伝えながら生きてください。」


そして
藤波が
おタカさんに抱きついた。

小柄な藤波がおタカさんに抱きつくと
まるでセミが木に止まっているようで
みんなが笑いだした。



温かな拍手と笑い声に
今日の瑞月の舞台は終わった。

公平は
王子様の衣装のまま
そっと出てきて瑞月に並んだ。

「ちょっとだけ
 並んでみたくて」

照れ臭そうに言う公平に
大向こうから
声がかかる。


「よっ
 三代目!」


会場の一部に
一瞬
何やらざわめきが広がったが
それも静まり
〝君と一緒に〟合宿の夜は
静かに更けていった。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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