この物語は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。



弁当とポットを盆にのせ、
綾子は雑巾がけで転んだ場所を目指して
優雅に歩を進めた。


お下げは可愛く
黒縁メガネも愛嬌がある。
ただ、
所作があまりに美女然としているため
アンバランスでもあり、
また
鷲羽屋敷においては突出しておかしみがある。



そう、
〝おかしみ〟だ。



綾子はたいそうな美少女だ。
髪を結いメガネを外したなら
鷲羽女衆のお仕着せ姿も何のその
ここが表参道のスカウトストリートなら
その効果は十分に期待できる。

ただ
慣れとは恐ろしいもので
お屋敷の住人は
美貌に対する反応は鈍くなっている。


しかも、
主であるカップルはとんでもない美貌の持ち主ではあるが、
二人が二人とも自身の美貌を知らない。
結果、
それを意識した所作などできようはずもなく、
それが
また
二人の魅力でもあった。




綾子の所作は
基本
名家のお嬢様のそれだ。

お嬢様として身に付いた仕草とは
自分の価値を知る女性のそれとなる。



結果、
アンバランスは
いやが上にも目立つ。



モニタールームの軽口を
付け加えるなら
こうだ。


「なんで、
 あんな咲さんみたいな歩きなんだろ」
ぽそっ
一人が呟けば、

「うーん
 強気が光ってるなぁ」
一人が受ける。



が、
綾子もまた、
自身がどう見えるかには頓着しない性格だ。
自分は自分らしくしているだけのこと。
何しろお嬢様はお嬢様なのだ。



「お前ら
 気が緩んでるぞ!」
叱責する西原チーフも
また
気は緩んでいた。


先程の瑞月失神。
その間、
奥の廊下はもとより
瑞月の寝かされた和室の画像も
断固として切断されていた。


気も狂わんばかりとは、
この間のチーフの心情を表す言葉と言える。




極限まで張り詰めたモニタールームでは
うっかり落としたペンが

カラッ……カラカラ…………。

音を立てたときなど
全員の心臓負荷もまた極限まで跳ね上がった。


〝す、すみません!〟
おろおろ上がる声も
それを聞く耳も
映らぬ画面を睨むチーフの背中に青白く燃え上がる炎に
凍りついたものだ。



高遠の言葉に
モニタールームでは
全員が一斉に吐く息で
二酸化炭素過多気味となったのでは
思われる。


緊張からの解放は
弛緩に繋がる。


夕食という日常も
剽軽な行儀見習いも
警護班一同には、
取り戻された平和を感じさせてくれた。

ぼんやり浮かぶ軽口くらい
致し方ないというものだろう。




そして、
高遠の居室前廊下に
綾子は辿り着く。


「失礼します!」

優雅な所作に似合わぬ
元気な声は
綾子の一生懸命の現れだ。



「あっ、
 ちょっと待ってください。」

高遠は、
気の短そうな
また
待つことの苦手そうな行儀見習いが
襖を開ける前にと
急いで制止した。



綾子は
素直に襖の前に立ちんぼとなる。



自室は映らぬはずだが、
そこに綾子が入るとなると、
モニタリングの可能性もあった。



 あのあたりだったよな

襖を開ける前に
頭に廊下のカメラの位置を叩き込み
高遠は
襖を開ける。



「どうぞ!」
綾子を遠し、
高遠はカメラに向かい両手で❌を示し、
頭を下げる。



瞬時に
西原はモニターの〝切〟を
確認する。

「ここはいいだろう」

「えっ?
 あの、
 この子は要観察対象では?」

新人が
思わず問い返す。
聞いて楽しい綾子語録もお楽しみだったろうが、
指示に一々疑問をぶつけてしまうところが
まだ青い。



「指示には
 まず従う!
 組織として動く基本だ!」

「はいっ!」

緊迫感の名残で
西原からビシッと飛ぶ声に
新人はビクンとした。



西原は苦笑して
固まった新人のおでこをツンt突いた。


「この子は
 御前の預かりなんだ。
 半分は客人だ。
 家人が御一緒の際は
 干渉するな。

 いいな。」


 何しろ〝三枝〟だぞ。
 そこは内緒で終わりたい


高遠の合図を幸い
西原は
〝お見合いなんですか?〟拡散を
予防させてもらったのだ。




高遠は
襖は開けたまま、

「ありがとう
 散らかっててすみません。
 適当に置いてください。」

綾子がそのまま出てくれるのを期待するように
振り向いた。

綾子がそのまま出て行ってくれるなら
モニタールームへの気遣いは無用だった。



だが、
そうは問屋が卸さない。

綾子は
畳に膝をつき
ゆっくり
ゆっくり
卓の上のものを下ろしている。




高遠は
ものを積み重ねる。

卓でも
端の机でも
そこには地層の傘なりさながらに
あれこれが堆積していた。




綾子は一つ一つ
改めながら下ろす。
丁寧だ。
真っ直ぐに揃えて積まれていく
本やらレポートやら。


綾子は
間違ったことはしていない。

食べ物は卓に置く。
だから
片付ける。

そこに、
手際よさが加われば、
片付けも悪くはないのだが、
あまりに遅い。




高遠が襖を開けて待っていることは
綾子には意味がなさそうだった。



高遠は
ふうっ
ため息をつき、
襖を離れた。



すたすた
すちゃっ
綾子の横に膝をつく。


ざざーっ
片手で卓の上をワイプ、
とんとん
両手で様々な高さのものを
強引に揃え

どん
畳に置いた。



「じゃ、
 いただきますね。」

お弁当を卓に置き、
ポットの味噌汁を椀に注ぐ。



「俺、
 一人でだいじょうぶですから」
高遠はさりげなく退去を促し

「はい!
 では
 お済みになるのを
 お待ちしますね。」
綾子は明るく応じる。




「ほんとに一人で平気ですよ。
 座敷で食べてるわけじゃない。
 お代わりもしないし
 このポット
 二段構えです。
 お茶も下に入ってる。」

高遠は
再度
綾子は不要であることを
優しく噛み砕いて説明し、


「はい
 ですから
 控えております。

 どうぞ
 召し上がってくださいな。」

綾子は
動じることなく応える。




高遠は
ちら
襖をみやり
諦めた。


襖は開いている。
男女二人で閉めては余計な想像を招くが
開いていれば
そこはだいじょうぶだろう。
高遠は
さっさと食べる道を選んだ。




「いただきます!」


両手を合わせ
頭を下げ
一気に食べ始めた。




気持ちのよい食べっぷりだった。
ぱくぱく
美味しそうに食べる。



「すごく美味しそう……。」

綾子は
感心したように呟く。

そんな
あからさまに見物していては
見られる相手は食べにくいものだが
小間使いやら執事やらに囲まれての食事が当たり前の綾子には
それは通用しない。




「美味しいですよ。
 ここの皆さんは本当に
 美味しいもの食べさせてくれます。」


高遠が
笑顔で応える。


美味しさを思うと
残念なほどのスピードで
高遠豪の夕食は終わった。


熱いお茶を
ふーふーして啜り
カチャリ
コップを兼ねる蓋を置く。




飯粒一つ残さず
綺麗に食べ終えた弁当の蓋を
両手できちんと被せ
ポットを添えて
綾子に差し出した。


「ご馳走さまでした。
 ほんとに美味しかった。
 ありがとうございます。」




ぺこり
頭を下げる高遠に

「お粗末さまでございました。」
応えながら、
綾子は
逡巡していた。



高遠は
笑顔だった。

だが、

お勝手口の灯りに浮かんだ顔は
厳しいものだった。
何より自分の耳に残る声が
気になっていた。




「高遠さん
 瑞月さんは
 大切な人ですか?」

口をついて、
そんな言葉が出ていた。


出てしまってから
綾子は気付く。
これが聞きたかったんだ。

女衆の言葉ではなく
高遠の言葉に確かめたかった。
あの厳しい顔の真実を。





気付くと
高遠は
笑顔を引っ込めていた。



その真面目な顔つきに
綾子は
ひどく居心地が悪くなった。



聞いてよかったのか

聞きたいことだったが、
…………すごく大切なことは、
簡単には手に入らないものかもしれない。

そんな気持ちが生まれてきた。



 大切なものは
 ちゃんと
 木箱に入れて紐をかけて
 土蔵にしまうもの。


高遠の顔に押され
昼間のお道具入れ替えの作業が
場違いに
ふと
浮かんでくる。




「お許しください。
 私、
 聞いちゃいけなかったんですね。
 あの…………
 私…………。」

綾子は素直な性格だ。
反省したとなれば謝らなくては
思うことができる。

ただ、
きっと聞いてはいけなかったのだとは
わかるものの、
なぜいけなかったかは分からないので
しどろもどろになる。



すっ
高遠は立ち上がり
襖を閉めた。



そして、
元の位置に戻り
きちんと膝を揃える。


「大切ですよ。
 一番大切です。

 瑞月の声を伝えてくれて
 感謝します。
 助かりました。」

真摯な声が綾子を捉え、
その大切と感謝は
伝わった。


言い終えて
高遠は
頭を下げた。




「あの……。」

綾子は
ますます真剣さを増す成り行きに
知りたいが募った。
が、
踏み込んではいけない壁が
そこにあるのもひしひしと伝わり、
言葉に詰まっていた。



一生懸命考え、
しっかり言葉を選んだ。
高遠の真剣な顔に応えようと
自分も背筋を伸ばす。


「ま、間に合ったなら
 嬉しいです。
 とても
 気持ちのこもった〝たけちゃん〟でした。」


相手の気持ちを聞いちゃいけない。
自分の気持ちだけを伝えよう
そう思っての返事だった。




高遠が
また笑顔になった。
ああ
ほっとして
綾子も笑顔になった。



「ありがとう」
また
高遠が短く返す。



 あら?
 語尾が震えてる?

綾子は
じっと高遠の笑顔を見返した。
眸の色が
ひどく深いものに感じた。


 なんて…………。


その眸の色を表す言葉を求めて
綾子は
小首を傾げる。



突然、
高遠が
さっき渡した盆を取り上げ
立ち上がる。



「じゃあ、
 もう片付けにしましょう。」

言うなり
高遠は
スタスタ襖に向かい
カラリ
開けた。




慌てて
綾子が追い縋る。


「私の仕事ですから!」

綾子は
もう
すっかり行儀見習いに一生懸命な綾に
戻っていた。




「一人で
 暗い廊下、
 怖くないですか?」

高遠が
盆を渡しながら
笑いかける。




「平気です。
 子どもじゃありませんもの。」

ちょっと
ツンと鼻を上げて
綾子は応える。


ようやく
出ていってもらえたメガネちゃんを見送り、
高遠は襖を閉めた。



    とりあえず
    トムさんには
    笑顔を見せたしな……。
    だいじょうぶだろう。



とにかく
もう
部屋から出てもらわなくては
もちそうになかったな。
高遠は
思い返す。


気持ちのこもった〝たけちゃん〟
その言葉が
ほっこりと胸に灯を点していた。
暖かくて切なかった。



 まったく
 もう
 心配したぞ


そっと心に呟き、
高遠は起き上がった。
卓の横に積み上がった山から
参考書を引っ張り出す。


大学受験もある。
することがあるのは
有り難いことだった。



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。




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