この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




午後は、
母屋は静かになる。


高遠豪がリンクに抜ける。
老人一人が
女衆に世話されて残る。


さらに、
今日は
男らは
何やら会議とかで
警護棟に集まるらしい。

母屋に
あれこれ手伝いに現れる余剰メンバーは
綺麗にいない。


静けさは
いつにも増すはずだ。


「おお
 ありがとうね。」

老人は
爆弾発言をしたわりには、
ケロリとした様子で
敷いてもらった布団を
嬉しそうにぽんぽんする。


「瑞月さん、
 こちらでお預かりって
 楽しみですわ。」

女衆も
お昼寝時には
数人となる。

「ちょっとスリルも
 ありますしね。」

主に似るのか
まんざらウソではなさそうな
ウキウキ感が漂う。



「うんうん」

老人はにこにこする。



黒猫がするりと
部屋に滑り込んできた。


「黒ちゃん
    お帰り。
 ご苦労だったね。」

老人は
黒猫を迎え目を細めて
手招きする。


黒猫は
ストン
腰を下ろして老人の顔を窺い
やおら布団に顔を向ける。


「黒ちゃん
 ありがとうね。」

その声に
もう一度老人を見ると
やれやれ
大欠伸をした。


 老人は昼寝タイムってことでしょ
 いいご身分ね


といった皮肉だろうか。


老人は
ただにこにこする。


「じゃ、
 わしゃ寝るよ。
 黒ちゃんも
 寝る?」

そう言って
老人は
ごそごそと
布団に潜り込むと
ちょっと
手を伸ばして黒猫の頭を撫でる。


とりあえず
黒猫も丸くなる。



老人の寝息に
女衆は
次の間に引き揚げた。




さて、
黒猫は動き出す。


ふっ
上の階に現れると
フンフン
辺りを見回す。


 ガラン
 としている。
 まあ
 カメラは回ってるわね。

つん
気取って尻尾を上げると
黒猫は歩き出す。



キィッ……。

 ここからは
 カメラもなしね



襖絵は
春先の桜から
替えられていた。

山は
ピンクにたなびく薄衣を棚引かせる襖から始まり、
進むに連れて
裾野は緑を濃くしていく。

花の白、黄色、赤が
山蔭を明るませ
春は過ぎていくようだ。


奥の奥
勾玉の二人が契りを交わした部屋は、
青々と輝く山が
凛と守っていた。

緑、
その一色に定まる山。




 季節を
 母屋に抱く。
 それが大事かもね。



黒猫は
とりあえず尻をついて
毛繕いをする。

見つからない。
であれば、
庭ということになるわけだ。



やおら
尻を上げ前肢を思いきり伸ばして
ぶるっ
身を震わせると
黒猫は消え、
奥の廊下はまた静けさの中に
気を満たしていく。





〝まあ
 やはり綺麗。〟

〝さあ
 しっかり磨いて
 乾かして〟

〝これは
 もう母屋に移しましょう〟


土蔵の前は、
女衆で
華やいでいた。



冬の道具
夏の道具

女衆の手で
季節の様々が入れ替わろうとしている。





黒猫は
摘まみ出されない距離をはかり、
まずは
腰を下ろした。


蔵から
木箱を運び出す中に、
濃紺の作務衣が見える。


〝はいっ〟

〝はいっ〟

度の入っていないメガネを
上気に曇らせながら
なかなか気合いの入った働きぶりだ。


声は元気で
足元も元気すぎる。
壊れ物は持たせていないのだろう。
とにかく一生懸命は好感がもてる。
黒猫は
満足げに低く喉を鳴らした。



蔵の前に広げた筵に
運び出した木箱が揃うと
もう一つの筵から
役目を済ませた道具が運ばれていく。


炬燵は
しっかり磨き込まれ
今は乾かしているようだ。


 もう一時間ってとこかしらね

黒猫は
とりあえず
ねそべった。

 猫使い荒いわよ
 おじいちゃん

少々
戸惑ったのも
もう懐かしいほどに
黒猫は
自然の気に溶け込んでいた。


 だから
 猫の手って
 大切ってことよ
 …………。

体力回復の眠りに
黒猫は入る。





………………。

「頑張りましたね」

「一生懸命が一番です。
 偉かったわ。」

「お茶いただいて
 一息入れるのも昔からの知恵。
 次は、
 またお夕食の準備ですからね。」



ぱちっ
黒猫は目を開けた。

 ああ
 よく寝た


まずは
また伸びをする。


「あの、
 総帥は、
 いつも
 どこにおいでなんですか?」



空になった筵は
女衆の
お茶とおしゃべりの場となっていた。


ここの女衆は
黙っているべきときは沈黙を
おしゃべりするときは華やぎと明るさを
それぞれ徹底する。


手に手に
菓子やら茶やらを持ったまま
女衆は笑い崩れた。


心外らしく
ぷくっ
頬を膨らます綾子に
民が
優しく問いかける。


「綾さん
 あなた、
 どうして行儀見習いに
 来たの?」


綾子は
口を尖らせて
一生懸命宣言した。

「王子様と結婚するためです!」

おーっほっほっほ…………。


今度こそ
女衆は堪らなかった。
綾子には気の毒なほど遠慮がなく
綾子には幸せなことに明るい笑い声が
土蔵の壁を揺るがす。



「な、何がおかしいんですか!?
 私、真剣です!!」

綾子が立ち上がり、
ぷるぷる
両手を握りしめる。



「結婚って
 どういうことと
 思っていますか?」

静かな
凛とした声が
面白そうに
それに応えた。




え?

賑やかな明るい笑い声が
ぴたり
収まる。


 洋館においでのはず……。



だが、
そこに咲が立っていた。
一同
さっ
姿勢を正し頭を下げた。

ただ一人、
綾子だけが
目に涙を滲ませて
突っ立っていた。





「なぜ
 皆さんが笑ったか
 知りたいですか?」


咲の声は、
対する者を包み込む。

毅然としながら
守るべき者を守り抜いてきた者の迫力に
頑なに
黙り込むかと見えた朱唇が開いた。


「…はい。」




咲がにっこり微笑んだ。

「綾さん
 お座りなさい。

 みなさんも
 遠慮なくね。

 女子会とやらいうものを
 いたしましょう。」



綾子は座り、
民が
そっと
その手を握り、
咲が皆の中に座を構えた。




「さあ、
 みなさん、
 どうですか?」


咲が振る。

「笑ったりして
 ごめんなさい。

 綾さん、
 総帥がお好きなのね。」

一人が尋ねる。

「はい!
 だから
 結婚したいんです。
 好きな人と結婚したいって
 変ですか?」



綾子は
笑われて
ちょっとムキになっている。
女衆は
そんな綾子をにこにこ見返す。



まるで、
皆で分けもつように
次の一人が口を開く。


「変じゃありません。
 大好きな人と結婚する。
 とても大切な心得ですよ。」


 ほんと
 ほんと

女衆が
うふふ
頷き合う。



綾子は
きっ
皆を見回した。


「だったら
 なぜ
 笑うんですか?」



キャンキャンと
可愛いスピッツには
吠えさせておき、
次の一人が口を開く。


「難しいことだからですよ。」



ここで
全員が
大真面目に頷いてみせた。


さしものスピッツも
思わず
気勢をそがれ
皆の鍛え上げられた真面目顔を
見詰め返す。


女衆は人生の達人揃い。
〝子どもには真剣に話す〟
その鉄則だ。



「とても難しいの。
 だからね、
 綾さんが
 あんまり可愛らしくて
 笑ってしまったのよ。

 ごめんなさいね。」

最初の一人が
言葉を添える。



綾子は
ぐっと
言葉に詰まりながら
笑われた怒りが
何だか宙に浮いていくのを感じていた。



 大事なことを教えてくれる人……。

〝綾子、
 いいか
 わしは期待しとる。

 お嬢様じゃないお前には
 みんなが大事なことを
 教えてくれるはずじゃ。

 お嬢様にはな
 誰も本当のことは
 教えてくれないものだ。〟


大好きなピアノが置かれ
お気に入りの絵が飾られた
自分の大好きが詰まった子供部屋が
頭に浮かんだ。



今、
自分の膝を見詰めると、
埃だらけで
バタバタ物を運んだ濃紺の作務衣は
白っぽく汚れていた。

粗末な筵の上で
小間使い?いや女衆?
囲まれて
自分がなんだか
とてもちっぽけに感じる。




〝お嬢様には
 誰も
 本当のことを
 教えてくれない……〟

自分は何も知らないのかもしれない……。
そんな不安が
怒りに代わって心を占めていく。



「どうして難しいか
 知りたいですか?」

咲が
優しく問い掛ける。

綾子は
ちょっと迷う。

 こわい
 嫌なことみたい

どうも
それは楽しい話ではなさそうだ。
みんな、
すごく真面目な顔だし……。
躊躇ったのだ。

これまで
こんな不安は感じたことがなかった。
望むものを拒まれたこともないし
叶わなかったこともない。

 大好きなんだから
 結婚する!!

は、
どうして難しいのか…………。




「はい!
 聞きたいです」


思い切った大きな声に
綾子自身が
一番驚いた。

でも、
決めた。
ちゃんと聞かないと
結婚できないかもしれないもの。
そう
思った。



女衆一同が
また
にっこりした。

今度のにっこりは、
どこか哀しげなにっこりだった。


だからだろうか。
咲が
語り始めた。



「大好きな人が
 自分を大好きになってくれるとは
 限らない。
 分かりますか?」


綾子は混乱した。
どんな物語でも
シンデレラは王子様と結婚する。


「結婚できるまで
 頑張らなくちゃいけないのは
 分かります。」



だから
頑張った。
たくさん頑張ったら
王子様はシンデレラに気づき
二人は結ばれるんだ。

綾子にとっては
ジェーン・エアも
若草物語も
足長おじさんも
同じくくりの物語だった。


シンデレラは
たくさん頑張って王子様と結ばれる。


咲が
ちょっと哀しげに
優しく
かみくだいて語る。


「頑張っても
 好きになってもらえるとは
 限りません。

 一方、
 頑張らなくても
 好きになられることも
 あります。

 あなたは、
 総帥が頑張ったから
 好きになったのではないでしょう?」


聞かれたことが
よく
わからなかった。


 初めてのパーティー。
 大画面に映し出された幻想的な祭儀。
 その主役は
 まるで
 物語から抜け出てきたように美しい人だった。

 お祖父様のところに
 ご挨拶に見えた。
 まるで舞踏会に現れた王子様みたいだった。




「だって
 私は大好きになったんです……。」

綾子は
俯いて呟くように応えた。

女衆は
ちょっと涙ぐんで
うんうん
頷いている。




「いつの間にか
 魔法にかかったみたいに
 夢中になった……。

 違いますか?」

咲は
優しく確かめる。




「……はい。」

本当にその通りだった。
綾子は
自分の大好きが
切なくなっていた。



「大昔から
 恋は
 本当に厄介なんですよ。

 いつの間にか大好きになる。
 でも、
 相手の気持ちは思う通りには
 いきません。

 恋も
 ましてや結婚も
 相手があることは難しいんです。」


綾子は
すっかり俯いてしまった。

黒縁メガネがずり落ち
お下げが
俯いた頬のあたりに揺れる。


女衆は
そっと待ち受ける。



「恋と行儀見習いは
 別のものです。
 シンデレラは
 お掃除をがんばったから
 王子様と巡りあったわけではありません。

 綾さん
 どうします?
 行儀見習いを続けますか?」


咲は
静かに
問い掛ける。

え?
いうように
お下げが揺れ
綾子が顔を上げた。

びっくりしたように
ウサギちゃんが
女衆を見回す。


「続けます!
 あ、
 あの、
 続けさせていただいて
 よろしいですか?」


自分の気持ちだけでなく
女衆にお伺いを立てられるようになったのは
お嬢様綾子としたら上出来だ。

が、
不安要素はある。


「行儀見習いは
 厳しいですよ。

 仕事を覚える
 作法を覚える

 お勉強です。」


咲は確かめた。

「はい!」

綾子の返事は変わらない。
本当に行儀見習いは続けたいらしい。


ふと思い付いたように
咲が尋ねる。

「何を考え込んでいたのです?」


綾子は顔を赤らめる。

「好きになるって
 素敵です。
 好きになってもらうには
 どうしたらいいのかな
 って
 考えてました。」


女衆は顔を見合わせた。

 相手にも気持ちはある
 相手に好きになってもらえない場合もある。



そこまでは
なんとか辿り着いた。
次は
〝押し付け禁止!〟
だろうか。

それとも
総帥の冷たい拒絶に
〝失恋対処法〟
だろうか。


ともあれ、
お茶の時間は
もう終わりだった。


咲は立ち上がると
女衆に呼び掛ける。


「では、
 私は洋館に戻ります。
 あとは
 よろしくお願いしますね。」



わらわらと
女衆は
茶道具を片付け
筵を巻き
引き揚げにかかった。


「あ、咲さん……」

夕食の指示を確認しようと
民が
振り向くと
もう咲の姿はなかった。


 まあ
 もう見えないって……。


土蔵からは
洋館に向かう道は
角の向こうまで見通せる。


 洋館に戻る前に
 母屋に寄られているのかしら。


民は
もう決めてある段取りを
一人お復習しながら
片付けに
再度集中した。




咲は
林の道に戻り
ちらと女衆の姿を確認し
木の後ろに回った。



ふうっ
黒猫が
ぐぐうっ
伸びをする。


 ほんと
 荒い。
 猫使いが荒すぎる。


老人の部屋に戻れば
サービスが期待できそうだった。
イベントを前に
諸々人手の足りないお屋敷ではあった。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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