この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





長は、
惑う。

月は、
見上げる。



眸に翳りがない。



頑なに
情けを拒んだ月も
非情に
兵士らを叩き伏せた月も
その眸には見られなかった。






「月よ」

呼ぶ声に
無垢の眸は
ただ
小首を傾げたなり
なにものも映さない。


突如
眸は輝いた。




朱唇が
ふわっ
開く。


その指が
長の唇をなぞり、
その眸が
その動きを注視する。





「あっ……

    あっ……」




今、
“ツキ”
いう声に学んだかの如く、
あどけない眸を輝かせ、
月は
声をあげる。



「あっ‥‥

 あっ‥‥」





長の膝に
両の膝が乗る。
その指先を長は、
そっと握った。


その指を
我が唇に触れさせ、
長は
口を開く。



「カ、ム、ド」



曙の日に
仄かに紅みさす花びらよ
頬を染め
一心に
月は
長の口許を見詰める。




「アゥ、ア、ア‥‥。」


朱唇は、
大きく開く。

たどたどしく
声は
長をなぞる。



「カ‥‥カじゃ。」


長は、
一音ずつ
噛んで含めるように
口移す。



「ゥ、ゥ、クァ‥‥」

眸は
ひたすらに見詰める。

「カ‥‥。」

長は
ただ応える。




その己を辿る朱唇の
なんと
愛しいことだろう。


こみ上げる思いが胸中の堰から溢れ
自らを押し流そうとする。


今、
今まさに、
溢れ出す。
長は
そう
感じていた。





「カ ム ド‥‥」

月は、
ついに
その音を写しとった。



長は、
握った手を
己の胸に当てる。

月を見詰め
一音一音を言い聞かせる。


「カ ム ド」

月は
目を宙に浮かす。
その眸に
一音一音を辿り
朱唇は呟く。


「カ ム ド」




長は、
握った手で
己の胸を叩く。


「カムド」



月は
小首を傾げる。
その唇は動かない。



長は
再び胸を叩く。


「カムド」


日の長と仰がれる男は
乞う。

〝伝われ〟

〝伝われ〟 





勾玉に翠が灯る。

眸が
もの問いたげに
揺れた。


ぴくん

か細い手が
自ら
動こうと小さくぶれる。




長は
そっと
その指を放し、
トントン
逞しい胸を叩いた。



月の手が
おずおずと
長の胸を叩く。



長は言い聞かせる。

「カムド」



月は
長の胸にある白い指先を見詰めながら
その優しき声を聞く。




月は見上げる。
長を見上げる。

「カムド?」



甘い
甘い声が
久しく忘れていた我が名を呼ぶを
長は聞く。



眦が
光る。



つーーーーっ

我が頬を伝う熱きものに
長は
驚いていた。



月は
小首を傾げ
再び
その名を呼ぶ。



「カムド?」



あっ‥‥。

月は
声をあげる。



たまらなかった。



抱き寄せるその力に
怯えさせては……。
脳裏を掠めるそんな不安すら
長を止められぬ。


儚いほどに華奢な肢体は
折れんばかりに
抱き締められた。




月の甘い声が
己の腕の中に響くを聞きながら、
長は
ただ囁く。

繰り返し囁く。



「カムド。
 カムドじゃ。

 我は
 カムドじゃ。」





トクン

トクン

トクン

トクン

‥‥‥‥‥‥‥‥。



小さき者は
自らを抱く者の
その心音に
安らいでいく。




 カムド‥‥

 そうじゃ



 カムド‥‥

 そうじゃ。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。




神渡る!
 そのかざす剣に
 神渡れよ
名付けられた名。




15の日から忘れていた名が
よみがえる。
自らを取り戻すような
あるべき所を定めるような
幼き声。


 カムド

 カムド
  
    カムド




母者に呼ばれ、
   かけてゆく。
父者に呼ばれ、
   その肩に乗る。




滂沱と流れる涙に
長から溢れ出づる思い。



その頬を
白い指先がなぞる。

「カムド?」

月が
また小首を傾げる。




「涙じゃ」

長は
流れる涙をそのままに囁く。


「ナ ミ ダ?」

月が
その涙を
指に拭う。


「そうじゃ。
 ナミダじゃ。」


 ナミダ‥‥

 カムド‥‥


 ナミダ‥‥

 カムド‥‥




かそけき声。
愛しき者よ。



日に抱かれ
月の雫は
その眸を無防備に見開く。



日の長の
真に日の長となる道へと
扉が開かれた。



照らすものなき道を
ただ己の光を頼りに進む日と月の試練が
始まろうとしていた。


イメージ画はWithニャンコさんに
描いていただきました。



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