この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




いよよ増す胸騒ぎに
長は駆ける。


奥の院までの
角々に守り所を置いた
徒に長き渡り廊下を
一陣の風が抜けていく。





 許さぬぞ
 月よ
 許さぬ


何を許さぬというか
己にも
分からぬままに
繰り返し浮かぶは、
その言の葉。



 己を映して
 その眸は
 みるみる命をもった


 奥底から
 湧き出づる光を宿し
 ただ己に預けられた思いが眩しかった。

 我は………
 我は………………何を思うた?


分からぬまま
胸を覆い尽くす燃える思いは
告げていた。


失うこと叶わぬ


この手から零れ落ちる珠を思うだけで
胸に塞き上げる狂おしいもの。

月よ

月よ



 ただ一度
 花は咲いた。
 闇の去りしあと、
 目覚めた月は
 微笑んだ。

 そして………………くずおれた。




月よ

我は知らねばならぬ
我は何を思うた………………?

お前の微笑みに、
我は、
何を思うたのだ?

許さぬ。
去(い)ぬこと許さぬ。
許さぬぞ。




呼ぶ

呼ぶ

勾玉は呼ぶ

その魂を呼ぶ




廊を渡る風が

零れる木漏れ日が

囲む全ての息遣いが

長を急き立てる。


疾く

疾く

失うてしまう

消えてしまう



室の戸が
目に飛び込むや
凄まじい勢いで横に消えていく。

パシーンッ!!

聞いたこともない
跳ね返る音は
己が戸をひらいたものだろうか。



それすら朧な中、
明瞭なもの。

 月よ
 我をおいていくな




狂おしく
その姿を求める眸は
ぽうっと翠なる光に繭のごとく包まれた月を
捉えた。



あまりの安堵に
ふと
踏み出そうとした足が止まる。



胸の勾玉が
ジリジリ
熱を帯びる。



首の後ろ辺りに
逆髪の立つに似た気配が掠めていく。





 真の姿は
 目には見えぬもの
 惑わされるな


脳裏に
まず
その言の葉が浮かんだ。

そして、
夏の庭にはしゃぐ自分の声が
よみがえった。



 幼い日、
 庭先にあって
 父と仕合うた。



 すっ
 と
 父者が膝を折り
 腰を屈めた。


 打ち込んだ己を片手に抱き取り、
 父者は下げた頭を上げなかった。



〝父者、
 誰かおられますか?〟

 木刀を胸に抱いたまま
 我はそう尋ねた。



〝おお、
 おられた。〟

 父者は笑って応えてくだされた。




 我は
 父者の腕を抜け出して
 その膝に取り付いた。

〝誰も見えませぬ。〟



 父者は
 真面目なお顔になられていた。
 そうして、
 我の肩に手を置かれた。


〝真の姿は
 目には見えぬもの。

 じゃがの、
 これを付けておるとな、
 見えるものも
 ある。〟



 我は
 幼心に興奮した。

〝何を見られますか?〟

 勢い込んで尋ねた。




 父者は
 ひどく静かな目をなさった。

〝光と闇よ。
 それを見極める目をもて。
 惑わされるなよ。〟



 それきり、
 笑うだけで、
 我の問いに応えてはくださらなんだ。




くっきりと甦る
父の言の葉に
長は
耳を傾けていた。





室には
何の気配もない。


長は剣を抜き放った。
十五の折りに
一族を一つとなしたその剣は
長の手に捧げ持たれて
刃をきらめかせる。



長は目を閉じた。



しんと静まる室。
フウッ
長は息を吐いた。


流れるように
長は
身を翻す。

その袖が薙ぐ空気が
鋭い音を発して
室の気を分けていく。


踏み出した一歩で
長は
室の中に立てられた柱の前に
両の手に振り上げた剣とともにあった。



がつっ………。

剣は貫いた。


柱の節目としか見えぬ
その丸き渦は
瞬時
その姿を保ったまま震えた。


ほんの一息ほどの間、
室は
柱に突き立って刀身を震わす剣の
びいいいいんと
鳴り響く音に満たされた。


そして、
次の瞬間に
節目はその形を失い
室にぐわっと
浮き上がる黒き影どもがあった。


翠の繭に眠る月へ
虚しく
その触手は伸ばされてはちぎれ
陽光に溶けていく。


ざああああああああっ

断末魔のあがきを、
長は
目を閉じて静かに聞き届けた。


 見えぬものこそ
 真の姿



長は
静かに目を開いた。




ふうっ
月を包んでいた翠の繭が
消えていく。


「主を
 守っていたか。

 月を宿す勾玉よ」


長は
呟く。




膝をつき、
己の求めてやまぬものを
そっと抱き上げた。


近々と見ても、
その腕に抱いても、
長は、
まだ
この珠を得た気がしなかった。



儚く
美しく
このままに
空にでも拐われていくのではないか。

そんなこころもとなさに
長は、
その頬に
手を添える。




ぴくっ
そのまぶたが震えた。

あっ
長は見つめる。




ふわっ
まぶたが
上がっていく。



「月よ!」

呼び掛ける長を
ん?
いぶかしげに見上げる無邪気な眸。


そして、
次の瞬間、
月は満面の笑みを浮かべた。


あどけなく、
ただ
己の最初に見たものを慕う雛そのままに
月は微笑んだ。



そっと
その腕が
長の肩に回される。


月は
長に与えられた。
無垢の魂となって
その腕に与えられた。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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