この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。

 



☆長と深水

ジジッ
油は細い煙を上げ
向かい合う二人の男を
揺らめかす。


円座に胡座。
長は勾玉を膝の上の手に乗せ、
深水は
木簡の幾つかを脇に置いていた。


「その勾玉は
 身から離すこと叶わぬもの。
 それが
 主たる言い伝えでございます。」


深水が
口火を切る。


「月も
 そのようにしている。」

長が応じる。


「勾玉は二つあった…ということかもしれませぬ。

 〝対を乞う〟とある。
 この〝対〟は、
 勾玉と長を指すとされて
 参りました。

 勾玉そのもののことやもしれませぬ。」


長は語る深水の目を
静かに見返す。


「月の勾玉と
 われの勾玉とか。」

それは、
勾玉に翠の光が宿ったときから
長の心にあった思いだった。


「何とも申し上げかねます。
 まだ何とも
 見極めはつきませぬ。」


深水は
何事も慎重に考えを重ねる男であった。



「〝長の心得〟を
 今一度
 伝えてくれぬか。

 心正しくあれ
 と
 われはとらえておった。

 そもそもの始まりの言の葉は
 如何なるものであったか
 今一度聞いてみたい。」



深水が居住まいを正した。


〝玉に宿りしもの
 禍々しき厄とも
 赫かやしき光とも
 なるもの
 
 そろいし光は
 あまねく広がり
 光失いしときは世を闇とする。

 光を守り
 その闇を遠ざけよ〟


歌い上げる言の葉は
部屋を満たし
瞬時
その勾玉を翠に揺らめかした。


「月の勾玉には
 月の影が宿っておった。

 われのものには
 日が宿っておる。」


長は
それだけを語り、
口をつぐんだ。


「さようでございますな。」

深水は応えた。



落ちる沈黙に
部屋は
闇を深くした。



ジジッ………。


油は徒に灯りを点す。


「分からぬことは
 まだ多くございます。

 一途に思いを定めますは
 間違いの元ともなりましょう。

 月とやら、
 長のお命を救いし者でございます。
 一族みな不服はございません。

 屋敷にて世話をいたします。」


長は
しばし
眸を宙に遊ばせる。


「長!」

深水は
声を張る。


「おお…
 如何したのじゃ。」

長は
深水の顔に眸を戻す。

にこり
深水は破顔した。

「古来
 くせ者なのは
 人の心でございます。

 長のお心を
 案じております。」


長は
つられて
笑い出す。

日の如し
皆に慕われる長が笑うのを
深水は
安堵したように見つめる。


「どう案じるというのだ。
 勾玉の不思議は
 一族に関わるもの。

 長として
 考えねばなるまいに。」


長は
屈託がない。
真にそれだけと
思うているからだ。


深水は、
そこに安堵し
また
そこに案じた。


「哀れと思うが
    囚われる始めとも
   申しますからな。

   あの童に
   長を掠め盗られてしまわぬかと
   案じております。」


歯に衣着せぬ物言いに
長は苦笑する。


「哀れと思うが
   理に叶っておろう。

   言葉を失うておるのだ。
   優しゅうしてやりたい。」


深水は
もう
応えなかった。


「もう遅うございます。

    お休みくださいませ。」


頭を下げる深水に
何やら
軽口を言い掛けながら
長は立ち上がった。


すっ
部屋の隅を
しなやかな黒い影が走り
闇に溶けた。


闇と同じ色に身を染めた
一匹の猫は
深水の庵から抜け
屋敷の一室に戻っていた。


☆月と猫


板の間かー。
ううん
有り難いと思わなくちゃね。


大体が土に敷物敷いて
みんなで丸くなってるんだから。


贅沢
贅沢


柱に
背をもたせ
この子は
ただ空を見上げてる。


私が戻ったのも
気づいていない。



ニャー

私は
その指先を
なめる。


白い指が
私の頭に乗せられて
ホウ
小さなため息が
聞こえる。


待っているのよね。
一緒に
待ってあげる。


あなたは
知らないけどね
私は
何回も一緒に待ってあげてきた。


世界一綺麗で
世界一傷ついた天使と一緒に
自分が恋してることを
必死に否定する可哀想な人をね。



…………タン  タン   タン   タン



足音が
近づいてくる。


眸が輝く。


カタリ

扉は開いた。



「月よ」

眸は
ひたと見詰め

魂は
体を抜けて駆け寄ろうと逸る。



それでいて
この子にできることは
見詰めることだけ。


長が
歩み寄り
その肩を抱くに任せるだけ。



引き寄せれば
胸に崩れて眸を閉じる。

「もう遅い。
   休もう。」



長は
夜具をはいで
月を寝かせる。


月は
その胸に
丸くなる。


言葉をなくし
翠の勾玉を取り戻した日から
これだけは
変わらない二人の習慣になった。




だって
長が抱き締めて止めるまで
暴れて
暴れて
自害しようとして
止まらなかったんだもの。



コトン


ぜんまい仕掛けのお人形が止まるように
この子は止まってる。


次の魔法を
待ってるの。


じれったいけど
仕方ないわね。




長の手が
その髪を優しく撫でる。

やがて
微かな寝息が洩れるまで
その手は
止まらない。


毎夜の
二人の約束事。


〝こうして
    抱いていてやろう。

    怖くない。
    怖くないぞ。〟



☆指導というもの


女衆を
背に
一歩前に出た綾子が
咲に頭を下げる。

お勝手の片付けが
一渡り済んでの
女衆の集まりだ。




「よろしくお願い致します!」

お仕着せに似合わぬ
元気な声に
咲は
表情を動かすことなく
見返す。


数分の対峙の後、
互いに
眸を揺らすことなく
二人は見詰めあっていた。

女衆は
みな
慎ましく姿勢を崩さない。




ふっ
咲が笑う。


元気づいた綾子が
ぱっ
口を開きかけた瞬間、
咲の声が飛んだ。


「控えなさい!」


綾子の口は
ぱっくり開いたまま
止まった。

黒縁メガネの下の目は
一杯に見開かれ
きょとん
自分を叱りつけた人を
見詰めた。


「口を閉じなさい。」

ぱくん
口が閉じた。


「仕事はみんなで
  するもの。
  まずは
  それを学びなさい。」


眸が煌めき
また
ぱっ
口が開きかけ…………

咲の目が
それを制した。


ピキッ
体を縮ませて
綾子は
指示を待った。




「綾さんには
   母屋の廊下を
   磨いてもらいます。

   綺麗にできたと
   思ったら
   お勝手までおいでなさい。
   民さんがいます。
   見てもらいなさい。」

女衆の中の年配の者が
静かに頭を下げる。



声は
凛としたものだった。

屋敷内
この声に従わないものは
いない。


が、

綾子は
みるみる顔を輝かせる。



「ありがとうございます!!」


目の前の少女は、
全身
ウキウキと
期待に溢れて
そわそわしている。


やっと
きちんと話を聞けるようになったのも束の間、
綾子は
また
突拍子もない期待に
頭を一杯にしているらしい。


咲は
ちょっと考え、
そして、
尋ねた。


「お廊下掃除が
    嬉しいのですか?」


「はい!」

綾子は
よくぞ聞いてくれた
言わんばかりに
語り出す。


「だって
    みんなお掃除から
    始まるんです。」


咲は
努めて静かに重ねた。

「何がですか?」



「王子様との恋です!!」


………………………。

その余韻が
女衆をたじろがす前に
咲の声が応えた。


「見ていてあげます。
    頑張りなさい。」



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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