この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




☆鷲羽家  母屋前


鷲羽の屋敷に一台の車が滑り込み、
地味な化繊のワンピースに
お下げ髪の少女を下ろし
また走り去った。


黒縁メガネが
何とも言えない野暮ったさを
演出している。

というのも、

レンズを通した目の辺りを見ると
どうやら伊達メガネらしく
昭和初期辺りの田舎少女をイメージしたアイテム然とした印象が
少女をコミカルな役者に感じさせるからだ。


肌の白さは
それは
わかる。

わかるが
扮装が誘う笑いが
それを上回る。


キョトキョトと
屋敷の玄関周辺を見回す。

意を決したように、
トランクを引き摺って歩き出した。


このトランクが
また
どこから引っ張り出したかと思うような
古色蒼然としたもの。

化繊のワンピースのデザインは水玉。

頭には鍔広の麦わら帽子。



日活青春映画を思わせる姿なのは、
〝小間使い〟
とか
〝ねぇや〟
とかのイメージを
事実、
そうした映画に見ているのだから
仕方ない。


綾子は
祖父の秘蔵っ子なのだ。

今日の扮装は、
さしずめ
お洒落した小間使いだろう。
〝おしん〟でなくて幸いだった。


歩き方は
さすがに優美だ。
トランクをガタガタ引き摺っていなければ、
十分に周りを魅了しただろう。


残念な
いや
面白いことに
アンバランスの妙が
〝世間知らずの田舎少女〟イメージを
最大限に生かしてくれていた。


綾子は
興有り気に
母屋を回り込み
あっ
目を輝かせた。


古風な造りには慣れていた。
紛れもないお勝手口を見つけ、
綾子は、
息を吸い込む。


ぴっ
背筋を伸ばし
真っ直ぐに勝手口へと向かう。

おやおや
素敵な靴を履いてるね。
弔事のためのものだろう。


これだけは
どうやら
調達できなかったらしい。


華奢な足先を
最高級の靴に守らせ
背筋を伸ばして歩く後ろ姿は
シンデレラだ。


灰かぶりのシンデレラ志望らしき
生粋のお嬢様が
鷲羽の王子様に御目見えすべく
その入り口に向かっていた。



☆黒

あのあと
どうしたかしら。

〝月!〟

〝月!〟

長が揺さぶっても
涙を零すばかりのあなたは、

空いた口から
一声も
洩らすことができなかった。

あなたは
目で訴えた。

見上げる眸が
ただ長を見詰めていた。



翠は
いたいたしく
灯火を抱いて胸に揺れていた。


その翠は
〝慕情〟の証。
それが
長に分かればいいのだけど…………。




「う……ん
    ………………海斗。」



甘い声が
海斗を呼ぶ。



ベッドのあなたは
こんなに幸せなのにね。



早朝訓練に出てる海斗を
あなたは
もう追わない。


微睡みは
恋人の腕の中のままに
あなたを
優しく包んでいる。




昔なら
もう
あなたは起きて
お部屋をぐるぐる回ってるところよ。


ぴょん!
椅子から飛び降りて
私は
ベッドに飛び上がる。



もう
海斗が戻るまで
ハラハラしながら
〝まだよ
    もう少しよ
    眠っててね〟
って
祈ることはなさそう。



遠慮なく
ベッドの上をのし歩ける。


顔を
つくづく覗いてみる。


………………そっくり。
綺麗で
綺麗で
夢みたいだわ。


涙を零した眸は閉じて
陽光に
睫毛が影を落としている。


長いわね。
睫毛。


お鼻の稜線が
また
陰影に
美しい細工物みたいな形を
〝ほら見て〟
みたいに
披露してくれてる。


見慣れても見惚れる
って
あるものよ。


唇は
ぷっくりと
柔らかな輪郭の
二枚の花びらね。


キスで
起こしてもらう準備は
万端だわ。





でね、
この子が
また
起きないのよ。


こんな近くで
フンフン
匂いを楽しみながら覗き込んでも
起きやしない。



ちょっとの揺らぎも
あなたを起こした時代は
なんだか
百年前みたい。


ちょっとは
寝起きをよくしても
いいんじゃないのかしら。



もう8時近い。



   カチッ……。


ほら、
海斗は
相変わらず気を遣ってるのよ。


側に行くまで起こさないように。


覗いて
海斗はほっとする。


あなたが眠っていて
ほっとする。


海斗!
時間見て考えなさいよ。
8時よ8時!!


先に起きて
ちゃんと着替えてるようにしつけなくて
どうすんのよ?!


ニャー

私は
思わず
鳴いてみせる。


しーっ
海斗は唇に指をあてる。


ベッドに腰を下ろした海斗は
まるで物語の王子様ね。
眠り姫は
あなたのキスを待ってる。



そしてね、
望みは叶うの。


そっと押し当てられた優しい唇は
啄むように
キスを繰り返す。


可愛い唇は
ため息を洩らした。


「海斗…………おはよう。」

「おはよう。
   もう8時だぞ。」

「ええっ
    怒られちゃう。」


咲さんにね。



海斗
あなたね
一生
姑の世話になりたくなかったら、
まず〝一人で起きられる〟ように
しつけなさいね。



トントントン

ドアがノックされた。

「まあ
   瑞月!

   5分で着替えますよ。
    いらっしゃい。」


海斗は
ベッドに腰掛けて
拐われていくあなたを見送る。


そうね。
あなたも
着替えなきゃ。


こちらは
本当に
平和だわ。


私、
なぜ
こちらに戻るのかしら。

しばらく
あちらでも
良さそうなものだけど。


私ね、
ちゃんと
長の館に収まったんだから。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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