この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありあせん。




瑞月は
ため息をついた。
顔が曇る。



「先生たち、
   よく飽きないよな。」

俺は
明るく声を張る。



「ううん。
 お父さん
    今日は海斗に怒ってる。

 お父さん、
 ほんとは…………海斗嫌いだもん。」



誤魔化しきれなかった。

先生は
海斗さんを
真っ正面から睨んでいた。
仕方ない。



うつ向く肩が
ひどく小さく感じる。
どんな顔をしてるんだろう。


 
子どもは
大人がケンカしたら
困っちゃう。




先生は、
瑞月が絡むと冷静さを欠く。



家付きの箱入り娘に
風来坊のお婿さん。



ほんとは海斗さんこそ
最初から
〝長〟にって
望まれて教育された人だけど………お婿さんなんだ。


〝巫は鷲羽の魂〟
瑞月こそ、
この家の掌中の珠だ。



〝お姑さん〟の咲さんに
〝お舅さん〟の結城先生。

海斗さんには
微妙に天敵だ。

瑞月が一番なんだから
色々と注文がある。




でも、




問題は…………お舅さんだよな。



〝有子!!〟
よみがえる先生の声。
生々しい男の声だった。
結城先生の中で、
消せない熱い思いがあるんだ。



たぶん…………海斗さんに
自分を重ねてる。
とどめに、
瑞月はお母さんに生き写しだ。




「あなたは
 瑞月君の体を
 どう考えてるんですか?!」


先生の声が
リンクを震わせて響く。



ぴくん!

瑞月の
うつ向く肩が揺れた。




尋ねてるのは形だけだ。
先生は、
答えなんか決めている。


「私は
 大事にしてました。
 壊れ物なんです。

 体は弱い。
 熱は出すし
 発作はしょっちゅう起こす。

 心は記憶を封印してるし
 小さな子供みたいなものなんですよ。

 私は待ったんだ!!」




先生…………それ、
ご自分のことです。





こちらからは
背中しか見えない。
瑞月を見たくないのかもしれない。
怖いんだ。

でも
退けない。

背中って
気持ちが
よくわかるものだな。

怖いから
余計に頑固になるんだ。





トムさんがため息ついてるのが
遠目にもわかる。
俺もため息つきたいけど、
余裕がない。

マサさんは…………笑ってるな。




マサさん
笑わないでくださいよ。




固まった瑞月を抱えると
道は
突然遠くなるんです。


寮のドアが
教室に続く廊下が
食堂の入り口が
どんなに遠く感じたか。
この世の果てかと思うほど遠かったです。


辿り着かない日も
ありました。

そんな日は
ベッドに寝かせ
喘息がどうとか熱がどうとか
理由を考えました。

保健室の先生を呼ぶ頃は
もう熱が出てて
辻褄は合わせられたけど‥‥‥‥‥‥。


今は
リンクの端から端が
えらく遠いです。




ジャッ!

……え?

目の前を
黒い影が掠めて止まった。



「海斗も
    大切にしてるよ!!

    ぼく、
    ずっとずっとずっと
    待たされたもん!!
    ぼく、
    切れて暴れちゃったんだから。



瑞月?
瑞月だ!

ぷりぷり
怒ってる。

眸は不穏に煌めいて
唇は一文字に結ばれて
ぴん!
と両脇に伸ばした腕の先に
ギュッ
と握ってプルプル震える拳が…………可愛い。




マサさんが
腹を抱えて笑い出した。
トムさんは
口をあんぐり開けている。

瑞月に見とれてるんだな。
俺と同じだ。




結城先生は
びくん!
したまま振り返らない。



ああ
お父さんの方が
固まっちゃった。



……………………。

どっちが
ましだろう。

いや、
瑞月が固まるよりは
マシなんだけど、
〝固まったお父さん〟の対処法は
わからない。



瑞月、
怒ってる。

大好きなんだな。

もう
わかってたことだけど、
驚くよ。



海斗さんを庇って
プンプンしてるお前が
あんまり綺麗で
俺は驚く。




「申し訳ありません!」

唐突に
よく似た声が響いた。
海斗さんの声は、
ほんとに結城先生に似ている。


海斗さんが
頭を下げていた。



「俺も待ちました。
 気の遠くなるほど待ちました。

    そして、
 もう
    俺たちは決めたんです。
    二人で生きていきます。」


リンクに響く
愛の宣言。



そうして、
一蹴りで
お前は辿り着く。


ちょっと前までは
一人では
1ミリも動けなかったお前が
嬉々としてリンクを渡っていく。


その背を追いながら
俺は見とれる。


恋心全開で
海斗さんを求めるお前は
なんて綺麗なんだろう。

綺麗で
綺麗で
俺は哀しくなる。



消えていく。
泣き虫の可愛い瑞月が
消えていく。

それが
嬉しくて
胸が痛い。




ジャッ…!!

氷を削る音まで
軽快だ。


「ぼく、
    幸せだからね!」

上がり口で向き合う〝父〟と〝婿〟の間に
〝家付き娘〟が滑り込んだ。


海斗さんの腕に
しがみついて宣言する。




「いや、
    あの………」

結城先生が
崩れた。

もう視線が泳いでる。

トムさんと目が合った。

そうだね。
たぶん……………………。




「愛し合う二人が
    互いの愛を
    確かめ合う!!

    なんて素晴らしいの!!!」



オトさん
期待通りの反応、
ありがとうございます。


空気の読める人間には
口を挟めない今でした。





小部屋から
悠然と現れた眼鏡女史は
両手を胸に握り
天井を見上げた。



長年の付き合いで分かる。
〝天井〟を見てるわけじゃない。
浸ってるんだ。
何に?
オトさんしか見えない何かかな。


こうなったら
オトさんは止まらない。



キリッ
顔が俺たちに向けられる。

クイッ
右手が眼鏡の縁を上げた。




「結城先生!
    お聞きになりました?

    なんて成長でしょう!  
    自分の恋は自分で守る。
    私、
    感動致しました。

    常々先生が
    仰有っていた
    瑞月君の課題
    〝自ら動くこと〟
    見事にクリアしたじゃありませんか!!
    御指導の賜物です。〟


ずいっ
進み出るオトさんに
結城先生は
たじろぎながらも
踏みとどまった。


「い、いや
    しかし、
    自分の体調を掴めないのは
    変わりません。

    誰か
    代わりに生活の基盤を
    作る人間が必要でしょう。」


ああ
まだ頑張っちゃうか。
また
ため息が出そうになった。




キィッ……………………。

ラウンジに続く扉が軋んだ。
誰かが
その影に立っている。


海斗さんが
すっ
瑞月を背に庇って
振り向いた。




「いないとおっしゃいますの?」
 

声が響いた。


その声の冷たさに
リンクの気温は
ざっと2度は下がった。


「お母さん!
    観に来てくれたの?!」

キャッ
瑞月が
はしゃぐ。

この声が平気なのは、
お前とオトさんくらいだ。


そして、


「そうよ。
    大急ぎでお仕事済ませました。
    瑞月が
    一生懸命考えたプレゼントですもの。」

一瞬に声は変わる。



蕩けるような優しい声が
ますます
体感温度を下げていく。
 もう5度は下がった感じだ。




「結城先生、
    何か
    瑞月の体調管理に
    落ち度がありましたかしら?」


咲さんは
優しい声のまま
微笑む。


結城先生は
蛇に睨まれた蛙だ。


「い、
   いや、
   私が気になるのは…………
   その…………。」


何やら
へどもど
応える結城先生に
咲さんは
静かに腰を折った。


今日の咲さんは
着物姿だ。

久しぶりに見る咲さんのお辞儀は
なんだか
とても
凛としていた。



「有子さんには遠く及びませんが、
    母として瑞月を引き受けさせて
    いただきました。

    どれほど嬉しく
    有り難いことかしれません。

    結城先生、
    誠心誠意尽くさせていただきます。
    どうか
    お任せくださいませ。」


はっ
したように
結城先生の顔が上がる。


「もちろんです。
    信頼申し上げています。
    失礼いたしました。」

頭を下げた咲さんに
先生は
必死に謝る。




「いやー
    よかったなぁ、
    瑞月ちゃん。

    海斗さんといられることになって。」   

マサさんが
まぜっかえし、
瑞月は
海斗さんの腕の中で
口を尖らせる。


いつの間にやら
リンクから足は離れ
すっぽり海斗さんにくるまってる瑞月は
ちょっと反抗期だ。



「マサさん!
    ぼく、
    海斗と暮らすって
    決めてるよ。

    離れたりしないんだから!」


マサさんが
瑞月のおでこを
チョン
指で突いた。


「やん!」 

瑞月が
両手で
おでこをおさえる。

肘を張った姿の可愛いこと。


「子どもは
    大人の言うことを聞くもんだ。

    ちゃんと
    ありがとうを言いな。」


マサさんの〝問答無用〟だ。



海斗さんが
瑞月を
そっとリンクに戻して
背中を押した。


瑞月は
結城先生の前に
ふんわりと止まった。


不器用な親子が
真っ赤になって向き合った。



俺は
瑞月の脇に滑り込んだ。




「先生、
    ご心配かけます。
    すみません!」

俺は頭を下げた。


「いや
    私がどうかしていた。
    恥ずかしいよ。

    すまなかったね。」


先生は
赤くなりながらも
声は落ち着いた。





「瑞月」

肩を並べて
促す。



うつ向いたまま
瑞月は
囁く。

「ぼく、
   海斗が好きなんです。」


先生が応える。


「うん
    分かっているよ。」


瑞月は
続ける。

「海斗が一番なんです。」



先生が応える。

「うん」


瑞月は顔を上げる。

「お母さん、
    きっと
    お父さんが待ってる間、
    すごく寂しかったと思います。」


先生が応える。

「…………うん。」




瑞月は
本当に有子さんにそっくりだ。

まるで
有子さんが
そこにいるように
感じだ。



結城先生の目には
有子さんが
見えていたと思う。



「…………すまなかったね。」

先生が囁いた。



瑞月は
そっと先生に抱き付いた。
先生の腕が
おずおずと瑞月の背に回る。


「すまなかったね。」

先生は
また
囁いた。


〝すまなかったね〟

〝すまなかったね〟

〝すまなかったね〟


………………………………。


先生の〝すまなかったね〟が

時を越えて少女に届く。



優しい

優しい

優しい時間が流れた。



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。