この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





⭐黒

大きな狼さんの大きな影が
小さな仔猫の可愛い影に
重なる。


「海斗!」

弾む仔猫は、
小さなマリみたいに
ぴょん
振り返った。


嬉しそうに手を伸ばして待つ仔猫に
狼さんは報われたかしら。


きゃっ
手を組んで歩き出すのね。



角を曲がるところで、
瑞月は
また
くりんと振り返る。



「マサさーん、
    お勝手から入ると近いんだよ。
    そっち回っていーい?」

瑞月は
海斗の腕に絡めた手を
お口にあててラッパにしてる。





ついてくる男たち全員
今のラッパで
ハート撃ち抜かれたわね。


あんまり愛しくて胸が痛そうな
優しい笑顔が
並んでいる。


眩しそうに
まばたきするトムさんが
一番初々しい。



「おう!
    瑞月ちゃんの
    いいようにしてくんな。」


マサさんが
両手で丸を作る。

いい声よね。
響くし
温かい。


瑞月は
うふふ
笑って
海斗を促すように
ちょこちょこと早足になった。




⭐海斗

勝手口を入ると、
中は
大した騒ぎになっていた。



土間から囲炉裏の周りまで
女衆が賑やかに
動き回る。


爺さんが
襷掛けをして、
皿やら
器やらの置き所を
「こっち
    こっち」
跳ね回りながら
指図している。



久しぶりに囲炉裏に火が入っている。
鉤に掛けられてるのは、
豚汁らしい。
うまそうな匂いが立ち込める。


開け放した障子に
風が通る。


「おじいちゃん!
    すごーい。

    ありがとう!!」


自分のためと
分かるのだろう。
瑞月が
嬉しそうに声を上げた。




「瑞月ちゃん
    早く
    早く」

湯気を上げる櫃を抱え込んで
爺さんが
瑞月を呼ぶ。




大振りの鉢に
梅干し
焼き鮭
牛肉のしぐれ煮
鰹節に梅肉をまぜたもの
…………おにぎり大会か?



土間では
炊き上がった米が
櫃に移されていく。

何合炊いたんだろう。
白飯尽くしだ。


呼ばれて
瑞月は
いそいそと靴を脱いで
上がり框を踏んで囲炉裏の間に入っていく。






背後から
ひんやり冷気が漂った。


「御前、
    みんなを困らせては
    いけませんよ。

    ちゃんと手筈通りに
    準備を進めているんです。

    お静かにお待ちくださいね。」



天宮補佐が
土間の中央に進み出ていた。

この人は
優し過ぎて怖い
という声をもっている。



女衆が
すっ
頭を下げて動きを止めた。



爺さんが
ぴくん
する。

こくこく頷きやがって
まったく!!


「皆様、
    ご苦労様でございました。
    仕上げを
    お願いいたします。」

打って変わった
柔らかな声に
一同はまた動き出した。


総帥は
巫の母じゃだめなんだろうか。
俺は
瑞月の側にいられたら満足だ。

責任を逃れるつもりはないが、
こんなときは
つくづくと思う。





再開した賑わいを背に
補佐は
俺に向き直った。

「先程、
    ご報告をと思いましたが、
    遅れました。

    母屋に配置いただいた警護の新人チーム、
   ちょうどこの騒ぎで
   玄関あたりがお留守になりますので、
   玄関番にお借りいたしました。
   巡回と併せてさせております。
   よろしかったでしょうか。」



咲さんが
対処したのか…………。

なんだか
俺はがっかりしているようだ。





思わず
後ろを通る西原に目がいく。


きちんと
靴を揃える。
上がる動きに隙がない。

優秀だ。
警護として瑞月に付けるに
申し分ない。



瞬時に昏倒するはずだったと聞いた。
…………しなかった。
その手は女を離さなかった。



「そうでしたか。
    姿が見えず
    気になっていました。
    
    構いません。」


俺は応えた。 
そして、
感じる。


やっぱりだ。
俺はがっかりしている。



「伊東チーフも
 育成を急がれています。

 5月には役に立ってもらわねば
 なりません。
 今日は良い経験となりましょう。」

咲さんは
軽く頭を下げ
後ろの喧騒に溶け込んでいく。


鷲羽の屋敷を取り仕切る女主人は
もう
爺さんから指揮権を取り上げていた。




「トムにやらせたかったですかい?」

背後から
予想通りの声がする。



「…………そうなる可能性も
    考えていました。」

振り向かぬまま応えた。

そうだ。
瑞月どころではなくなるかもしれない。
ぼんやり、
そう考えた。


「残念ですか?」

遠慮のない声が
俺を剥き出しにしていく。

「……………たぶん。」

そのつもりはなかった。
でも、
俺は期待していたんだろう。




俺は肩を叩かれた。

「正直なお方だ。」



振り向くと、
もうマサさんは
後ろにいた高遠を促して
上がろうとしていた。



⭐豪

〝海斗さんには
 秘密じゃない〟

マサさんの言葉が思い出される。
危なっかしいなぁ。
海斗さんの〝好き〟は剥き出しだ。



靴を脱ぎながら、
俺はちょっと笑えてきた。



俺だって、
マサさんから見たら
かなり危なっかしいんだろう。



トムさん………危なかった。
命に別状ないといっても、
起こして連れて行こうなんて、
俺の判断もフツーじゃない。

でも、
必要だった。



とんでもない判断が、
唯一無二の正解だったりする。
瑞月は天使だからな。




海斗さんは
恋愛経験ってない気がする。
道子さんという人は
〝愛〟を愛だって教えて
あげるのが精一杯だったんじゃないかな。



愛はすぐに取り上げられた。
超人的な頭脳と身体能力をもつ
愛に飢えた子どもが
この世に残された。


愛に飢えた子どもが
愛をいっぱいに詰め込まれて封印されたパンドラの匣に出会った。


封印は解けて
子どもはあっぷあっぷしてる。




俺が解きたかったな。
海斗さんよりは器用にこなせた自信あるぞ、
瑞月。






囲炉裏を囲む前に
関所があった。

トムさんは関所につかまって
並んだ具材とにらめっこしている。



瑞月と爺さんが門番よろしく
お櫃を前において
ちょこんと並んでいた。



「ねぇ、
 ぼく、
 おにぎり得意なんだよ。」

瑞月が胸を張ってトムさんに言う。

こらこら、
お前が握ったんじゃ
食べる前にくずれちゃうぞ。



「わしもじゃ。」

おじいさん…………みかん食べるのも
剥いてもらってますよね。




俺が握る!!」

上がるやいなや
海斗さんが
宣言した。


「海苔巻くのぼくだよね。」
瑞月が騒ぎ、
「わしも巻きたい。」
おじいさんが甘え、
「爺さんは退いてろ!」
海斗さんが怒鳴る。



やれやれ。


今日何回目かのため息は、
なんだか楽しい。
マサさんがいてくれると
色々と気が楽だ。


「おいおい、
 だいじょうぶかい?

 あっしがやりましょうか?」

マサさんが
笑い出した。




「おじいさんが巻く分は、
 俺が握ります。
 海斗さんは瑞月に巻かせてあげてください。」

俺は提案した。



結局、
全員、
まず
咲さんに手を洗わされた。

そして、
トムさん以外は
作る側に回った。




⭐西原

「西原、
 何にする?」

総帥が
おもむろにお尋ねになった。

卓の向こうは、
総帥
御前
マサさんが勢揃いしておいでになる。


瑞月はにこにこしてる。
き、気まずいとは思わせたくない。
高遠が目で応援してくれてる。

よし!
お返事しよう!
口を開きかけた。



「わしのも食べてね。」

「俺の握ったもんを
 食べないたぁ
 言わさねぇぞ。」

ご老体お二人が
身を乗り出して来られた。
え?
えっと、
どうしよう。

お客様だからマサさんから?
いや、
ここは御前からだろうか?


背筋を
冷たい汗が流れ落ちる。
膝に乗せた手を握りしめて
俺はかちこちに固まった。



突然、
ひたすら見詰めていた畳に
大きく影が動いた。


驚いて
見上げると
総帥が
頭を下げておられる。




「いろいろと済まなかった。
 詫びと感謝の気持ちだ。
 好きなものを言ってくれ。」

え?
思うほど素直な声だった。



〝済まなかった〟
本音なんだ
分かった。

何を詫びておられるかは
分からない。
分からないけど、
真剣に仰有ってるのは分かった。



「あ、あの…………鮭を。」

ポツン
ようやく声が出た。



「ようし!
 さあ、
 じゃんじゃん言ってくれよ」

マサさんの声が
景気よく響いた。

気がつくと
女衆もにこにこ笑っている。



肩の力が抜けて
ふー
ため息が出た。


お二人にも
梅干しとしぐれ煮で
お願いし、
後は
ぼーっ
目の前の騒ぎを見詰めていた。




総帥とマサさんは
すごく手つきがいい。
高遠も上手だ。



総帥が瑞月に
三角に握ったおにぎりを渡した。


瑞月は、
そうっと海苔におにぎりを乗せる。
乗っけてから
ちゃんと真っ直ぐかもう一度確かめて
小さな白い手で
海苔を張り付けていく。

あんまり一生懸命で
いつの間にか
俺も一生懸命に見詰めていた。


「はい!
 できたよ!!」

可愛いおにぎりだった。

不器用で可愛い小さな手が
一生懸命張り付けた海苔が嬉しかった。

「ありがとう!」

心から
ありがとうが
飛び出した。





「ほれ、
    できた!」

御前のおにぎりは、
ジグソーパズルみたいだった。
高遠も海苔を巻きやすいようにと
三角おにぎりにしていたが、
壁面タイルの塗装みたい。
…………見分けやすいな。
いやいや、

「ありがとうございます。」

有り難いことだ。
鷲羽の末裔、
政財界に隠れもない御前が
手ずからお作り下さったんだ。
畏れ多い。




マサさんは、
もう三つ目を握っていた。

「どれでも取りな。」

俺が
瑞月に夢中になってても
この人は待っていて下さる。

思わず頭が下がった。

「ありがとうございます。」



あとは、
もう大騒ぎだった。

三つのおにぎりは、
俺用に分け
後はそれぞれが好きなように握っては
皿に乗せていった。

俺は
山盛りになった皿を
席に運ぶ役をすることになり、
ようやくほっとした。


女衆も
握ってくれたから
時間はさしてかからなかった。


「西原、
    奥に座れ。」

総帥は言う。
そっとマサさんを窺うと、
にやにや顎をしゃくって〝行け〟と言う。

俺が奥、
左に御前、
右にマサさんと高遠、
向かいに総帥と瑞月。

上座に一人は
居心地よくないが、
右を見ればマサさんがいる。


俺は覚悟を決めた。


女衆に豚汁をよそってもらって
みんなで
「いただきます!」



さあ、
後は穏やかに行くだろう。
そう思った。


そのときだ。


「あっ、
 トムさん待って!」

俺は
おにぎりを持ち上げまま、
静止した。


とことこと
瑞月が
囲炉裏を回ってくる。


俺の横に
ぺったり座り込むと
俺の手からおにぎりを取り上げた。


「はい
 あーんして」




瑞月は
おにぎりを両手に
にこにこ見上げる。


なんて可愛いんだ。
小さな顔は
目の前だ。

天使が舞い降りて
俺を見上げて微笑んでいる。




「自分で食べるよ。」

俺は
ひきつった笑顔で切り抜けようとした。
ちゃんと断ったんだ。


でも……………………。


「だって
 食べさせてあげたいんだもん。」
天使は少し悲しそうに
眸を曇らせる。


俺は
口を開けた。


ぱくん

「美味しい?」

もぐもぐする間もあらばこそ、
瑞月は尋ねる。


「おいひいよ
 おいひい。」

答えながら、
俺は
気が付いていた。


「瑞月、
    もういいだろう?
    お戻り。」


優しい優しい声だった。
優し過ぎて怖かった。


総帥の顔は
微笑んでいた。
美術の教科書で見た能面みたいな微笑みだった。


小面って
言ったっけ。




「西原、
    済まなかった。
    気楽に食べてくれ。」

今日二回目の〝済まなかった〟は、
胃の中に
ずん
沈み込んだ。


クスッ
右から笑い声がした。

マサさんが
クスクス笑っている。



「おにぎり一つくらいは、
    瑞月ちゃんに
    食べさせてもらっていいじゃろ?

    なぁ瑞月ちゃん。」


御前が
ひどく楽しそうに
口を挟む。


小面は動かない。
いいとも悪いとも仰有らない。



「はい!
    あーんだよ。

    キャッ」

両手におにぎりでバランスを崩した瑞月を
抱き止めた。


胸にふわりと
いい匂いのする体が収まった。
なんて軽いんだろう。


「トムさん
    ごめんね。」

両手に
大事におにぎりを持ったまま
俺を見上げる瑞月は、
まるで前肢を揃えて膝に丸くなる仔猫みたいだった。


胸が痛くなるほど
可愛かった。

ぱくん


俺は
おにぎりにかぶりついた。
小さな指が口に入る。



「くすぐったーい!」

瑞月が
キャッキャと笑い声を上げる。

もう
小面のことは考えない。
ぱくぱく食べて、
〝ありがとう〟を言うんだ。


俺は
それだけを考えていた。


後は
覚えていない。


ただ、
瑞月が
とても
とても可愛かった。
可愛くて可愛くてびっくりしていた。

イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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