この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。




拓也さんは
しばらく東北に行く。
GWのイベントまで会えない。


スーツケース一つで
まるで夕方には帰るみたいに
ふつうに出掛けていった。

ただ
出掛ける前にしてくれたことがある。
俺は母屋に部屋をもらった。




おじいちゃんは
さっき
畑仕事に出ていった。

午前中いっぱいの一人の時間を
俺はいきなり
与えられた。



和室って
すっきり空っぽだ。
部屋の隅に小さな卓と座布団。
教科書を本立てに入れて
PCを置く。


普段はジャージで過ごすから、
衣類は押し入れに
ケース一つ入れて済んでしまった。


真ん中はただ畳に日が当たるだけ。


小さな竹枕を
おじいちゃんにもらった。


畳はお日様で温かい。
寝転がると
い草の香りがする。

見上げた天井は
木材がいい感じに古い。
節や年輪が天然の模様になっている。



瑞月は、
どうしているだろう。



海斗さんは、
部屋に連れて行った。


〝花の洋館と同じだ。
   俺は仕事をする。

   お前は勉強しろ。〟


国語だそうだ。

〝読書していろ〟

海斗さんが指導する小説指南か。
…………瑞月の読解ってやばい。
自分なら感じることしか分からない。



〝この人、
   どうして逃げるの?〟

〝疑われると思ったからだろ?〟

〝悪いことしてないよ。〟



海斗さんの読解って
どうだろう。





止めた。



二人で過ごす。
その練習でもあるし、
瑞月の不安解消のためでもある。


海斗さんも
出歩かなくちゃならない。
そういうときは
母屋に引き取る。


戻った海斗さんが
洋館に連れていく。



そう決めた。



俺は
勉強とスケートだ。
おじいちゃんが先生になる。



先生は
早速畑仕事だ。



ぼんやり天井を眺める。



瑞月を守る。
何から
誰から
俺は守るんだろう。



まず、
鷲羽が支援するスケーターの責任を果たす。
それは、
すぐに決めた。


次が
おじいちゃんだ。

〝守る長〟

おじいちゃんの役目は、
何だった?
俺は
それを
考えるようになっていた。


答え?
分からない。






俺は
何になろうとしてる?




庭から
小鳥の声が聞こえる。
障子の向こうは明るい。
畑仕事日和だ。



もう桜は終わりだ。
昨日の花吹雪、
凄かった。


見えない桜の代わりに
瑞月のボレロが
浮かぶ。






瑞月がいない。

瑞月がいない。



ここに

瑞月はいない。




〝だいじょうぶ。
   何があっても俺がいるから。〟


四年間、
毎朝
瑞月の両手を握り、
額をつけて、
俺は言い聞かせた。


一人にできる子じゃなかった。
一人にしたこともなかった。


肝心な
あのときに…………一人にした。





だから、
もう二度と離れたくなかった。



でも、
俺は、
今、
瑞月を離れている。





〝豪君、
   3人って
    危ない数字だ。

    3はね、
    だめだよ。〟



拓也さん、
俺にも分かっていた。
言い出してもらってほっとした。





桜が
狂ったように
散る日だった。


俺は
親父に付き添われて
あの夜以来初めて
病院に行った。


親父に頼んで
一人で病室に向かった。





病室に
ポツンと細い体が
置かれてた。


そよとも動かなくて、
名前を呼んでも目も動かなくて、
ただただ
悲しいほど綺麗だった。


唇の端が
赤黒く色が変わっていた。

平手打ちに倒されたまま、
その色を残してなお、
お前は綺麗だった。


俺の目から
涙が
あとから
あとから溢れた。



病院のお仕着せは
細い細い首を
剥き出しにしていた。


ポツン
ポツンと青黒く
赤黒く
不吉な蝶々みたいに
痣が覗いていた。



逃げられないように
お前は  
羽をむしられていた。



あの夜のまま、
もう口も開かなかった。





お前を置いて
あいつらを
滅多打ちしに行った俺は、
あいつの父親が現れるまで警察にいて、
それからは寮にいたから。



1週間、
俺は、
お前を一人にした。


その間に、
お前は声を失っていた。







〝置いてかないで〟

〝戻ってくるから。

   戻ってきたら、
   もう
   お前を離さない。
   二度と一人にしない。〟

〝置いてかないで〟


俺を追って
ベッドから転がり落ちて
お前は泣いた。


お前を抱き締めて
俺は約束した。

〝置いてかないよ〟

何度も
何度も約束した。
置いていかないと。



でも、
俺は、
お前を置いて行った。

あの夜、
痛み止めにうとうと眠り込んだお前を置いて
俺は寮に戻った。





戻らなければ、
俺たちは
違っていたんだろうか。


俺は
繰り返し考えた。




離れなければよかった。
あのときも
そして
あの夜も

ただ
そればかり考えて
俺は荒れた。
 

父さんがいなければ
今も
荒れてただろう。




分かってたんだ。
荒れながら分かってた。
俺には、
力がなかった。

瑞月を置いて
東京に帰らなければならないくらい
力がなかった。




〝誰も守れない男になるつもりか?!〟

目が覚めた。
力を付けようと思った。
そこからだった。



そして、
お前に会いたかった。
許されるかも分からなかった。
でも、
会いたかった。


スケートを続けていれば
また会えるはずだった。
だが、
大会にお前はいなかった。


と思ったら、
話が来たんだ。

〝橘瑞月君って知ってる?
   今度コーチを引き受けることに
   なったんだけど。〟  


お前は
全てを忘れて
昔のままの可愛い瑞月になっていた。






今、
何をしてるだろう。


お前は
椅子に丸くなってる。

大きなフカフカの椅子があったね。
そこに丸くなって
小難しい顔をして本を抱えてる。



海斗さんは
デスクに向かってる。
書類に目を通してるかもしれないし、
PCを見詰めてるかもしれない。


ただ、
お前の息遣いに
耳を傾けてるだろう。


わかる。
その感覚までわかる。
知っているから。





寮の机に
俺がいる。
お前は
ベッドに入って俺を待っている。



お前は
宿題は早かった。

休み時間、
俺が他の奴等をあしらっている間、
お前はひたすら宿題をやっていたから。

まるで、
ノートに向かうことで
怖い怖いものが見えないドームを作るみたいに
お前は宿題をしていた。




お前は
ときどき
待ちきれず
寝入ってしまう。

クー…………クー…………。

呼吸が深くなっていく。
そっと窺うと、
コトン

寝入ったお前がいた。



そんな夜は、
俺は
そっとお前のベッドに入る。

俺に抱きつくお前を
俺は朝まで抱いていた。

そうしないと、
お前は泣いた。
泣いて暴れた。
ベッドの柱に寮の壁に
腕が足がぶつかった。


一人で寝入った夜は、
お前は
無意識に
自分を傷つける。
俺は
それを学んだ。

だから、
俺は朝まで、
お前を守った。

お前からお前を守って
夜を明かした。




今、
お前は、
がっちり
海斗さんに守られている。




俺は海斗さんにはなれない。




少しずつ離れよう。
そうしなければと思っていた。
お前が驚かないように
少しずつ。


海斗さんの領分
お前の領分

海斗さんのリズム
お前のリズム

そこに
外周を固める俺たちの領分
家族で過ごす時間が浮かびあがる。



俺は
そのリズムを刻む。
刻まなければならない。
それが俺のすべきことだ。
分かっていた。


瑞月は、
成長を始めたから。





拓也さん
ありがとう。


自分では
とても
踏み切れなかった。


抱っこするお前の柔らかさも
見上げる可愛い目も
愛しくて
愛しくて
踏み切れなかった。






あのとき
俺には力がなかった。
もう
繰り返さない。




〝お前は欲しいんだ〟

闇は
痛いとこ突いてくるよな。
当たり前だろ?
欲しくてたまらない。




でも、
負けない。

俺は
憎しみに負けて
お前を失った。


闇の奴、
分かってないな。

抱けるかどうかなんて
問題にならない。
瑞月全部を失った思いを
俺は知っている。



俺は
少しずつ
瑞月の空間を外から広げていく。

少しずつだ。
離れるために離れるんじゃない。
広げるために離れる。

未練で言ってるんじゃない。
もう間違えないよう
何度も考えた。


大人ぶって遠ざかるなら
俺は
また何かをなくすだけだ。




そして、
力が必要だ。

マサさんは真剣に守ると言っていた。
全力で戦っても五分五分の何かが
やってくる。





おじいちゃんは
俺に
何かを託すという。


それは、
鷲羽の何かだし、
つまりは
瑞月の何かだ。



長い長い恋になりそうだなぁ。



もし覚めたなら、
俺は
ただ
当たり前にお前を守る。


その務めを果たそう。




覚めなかったら、
俺は
瑞月のために生きよう。


務めが俺の全てになる。




障子に
小さな影が揺れた。


「たけちゃん
   たけちゃん

   開けておくれ。」



わー
気分は白雪姫だな。


開けたら
何か
とんでもないことが始まりそうだ。


イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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