この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。








若き長は、
妻となる姫を迎えていた。

花というべき顔に
妃たるべく育てられた誇りは
輝きを添える。



疑いもなく
己に添う美しい花に
長は愛しいものを感じていた。



愛しい……?


ふと
迷いを感じ、
長は惑うた。


愛しい…………己が愛しいと思う者は、

浮かぶ姿に惑うた。





白い小さな顔。
〝伽を、
   伽をお申し付けください!〟





愛しい…………。

大輪の花を前に
浮かび上がる楚楚とした可憐なもの。


胸が痛むほどに
それは愛しかった。







裂帛の気合いが
空気を切り裂く。


花が散りかかる。

夏の最中に

儚くもさくらの幻が浮かんだ。




打ち払う腕に
幽けき声がすがりつく。


〝ダメ!〟


ふっ

その腕を緩め、
長は
一枝の花を抱き止めた。




ポトリ

落ちる短刀に
大輪の牡丹は悲鳴を上げる。



腕に抱いた
あえかな花に
長は囁く。

「約束だ。
   我の望むことを
   してもらうぞ。」




すっ

身を離し、
長は姫に向かう。



誇り高き花は、
自らを抱く腕を疑わぬ。

「なんでもござらぬ。」

長の声に振り仰ぐ顔の麗しさ。




儚き花は

思い一つを身に纏い、
思う人を見詰めるしかない幼い花は

その麗しき日の如き絢爛たる姿に
俯いて花びらを震わせる。




自らの美を恃む花には
その幽けき風情は
目にも止まらない。





「何者ですの?」

目もくれず
姫は婉然と長を見上げる。



「我の鍛えておる童でござる。

   隙をねろうて打ち込めたなら
   褒めてやる約束で
   ござってな。」

長は、
礼をもって応える。




「何も
   今を狙わずとも…………。」

眉をひそめる様が、
また、
壮麗なまでの美を際立たせる。
まこと、
妃たるべき女性とは
威を備えたものだ。


「お許しあれ。

   我が油断するときとあらば、
   美しき姫が傍らにあるときなるは、
   赤子にもわかること。

   もう日も中天を回った。
   お館まで
   送らせましょう。」


眸に
えもいわれぬ艶をはき
姫は
優雅に身を翻した。


「来よ!」

長の声に応じて
白の男装束に身を包んだ乙女らが
馳せ寄る。


逢瀬は終わった。
妃の列は
しずしずと動き出す。



見送り、
長は、
露を含んだ花に寄る。



「さあ、
   そなたの負けだ。
   おいで。」


俯く花から
キラキラ零れる雫は
真昼に浮かぶ月の涙を思わせた。


従順に身を預けた体が
長の腕の中で
瘧を起こしたように震えた。



「いや!!」

必死の幼さを憐れみ
離してやった長の腕から花は逃れる。




ふーふーと
肩で息つく少年は
悲しくて
哀しくて
顔を上げられずにいた。




〝素直になって〟

真夏の庭にも
涼しき風は吹き渡る。

か弱き花は
その囁きに顔を上げる。



おとがいを
捉えられ
その額は長の唇に捺される。


一瞬の後には
長の唇は花を離れて
優しき言葉が
洩れる。


「弟を思うような
   心持ちが
   する。

   愛しいのだ。
   さあ
   笑みを見せよ。

   そなたには
   笑みこそ似合うだろう。」


閉じた瞼から
ツーーッ

一筋煌めき落ちる雫が
その声に応える。


「のう
   頼む。

   泣くな。」

手を焼く長にも
風は囁く。


〝ちがうよ〟

〝ちがうよ〟

〝ちがうのに…………。〟



優しき夢。
浮かぶ幻。






「どうした?」

男は
腕に抱いた少年に
そっと囁く。



〝さくらさんが
   さよならしてるから……。〟

請われて
縁に連れ出れば、
山の端の月影に
舞い散る花びらが浮かんでいた。


その美に
誘い出された魂が
宙をあくがれさ迷うかに
少年は
しんと静まる。


男は
不安になったのだ。



応えぬ細い肩が
夜風に震える。



「入ろう。
   風邪をひく。」


「…………ちがうのに」


その唇が
幽かに動いた。


「さあ、
   おいで。」


男は促す。


くるりと
振り返ると
少年は
男の唇に唇を寄せた。


迎えとり
その甘い蜜を吸い
優しく抱き締める腕に
少年は目を閉じる。



「どうした?」

口づけを終え、
男は
もう一度問うた。



「大好きだよ」

少年は応える。



ひそと
腕に静まる少年を
男は思い切ったように抱き上げる。



「俺は
   ここにいる。

   もう庭は見るな。」

そう
口早に囁くと
部屋に上がり障子を閉めた。


閉じた障子の向こうに
優しく影は溶ける。


庭には
ひたすらに散りゆく花びらが
月光の中に残された。




〝お慕いしております〟

〝お慕いしております〟


花びらは
語られなかった言の葉を
美しく散らしていく。


〝ちがうのに〟

〝お慕いしております〟

〝ちがうのに〟

〝お慕いしております〟



イメージ画はwithニャンコさんに
描いていただきました。



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