この小説は純粋な創作です。
実在の人物、団体に関係はありません。






⭐瑞月

滑り終えたとき、
まだ海斗がいた。


音羽先生、
すごく喜んでたみたいだけど、
ぼく、
海斗がいて
よく聞こえなかった。




思い出しちゃう。
思い出しちゃう。


最初の音が
ぼん ぼん て聞こえたらね、
唇がサワッてした。

車でね
海斗がさくらさんで
ぼくの唇をなぞったの。



唇がサワッ
体の中がザワザワ
頭がくらくらだった。


そのときみたい………。




ほんとはね、
さくらさんの前にね、
ぼく海斗に抱かれてた。




伊東さんいるのに
トムさんいるのに
だめ
って思うのに


海斗の眸が
優しくて
ぼくはお花になった。

いい子だ

いい子だ

いい子だ

………………海斗の声がする。




どうしたんだろ。
ぼく、
ぼんやりしてた。



えっと、
ほらリンクだよ。
たけちゃんが呼んでる。



ブルッ

震えた。

ぼく、
冷たくなってる。

汗が冷えて
練習着が冷たい。




「たけちゃん!」

声出してみた。
出た。
動かなきゃ。

一蹴りすれば
すーーっ

リンクサイド。

着いた!



⭐豪

抱いた瑞月の背が
ひんやりと冷たい。

こんなに早く
体が冷えてしまうって
あるだろうか。




リンクサイドの上がり口に
トムさんが走ってくる。
俺のコートが
バタバタはためく。


着てくれたね。
持ってきといてよかった。




「汗をかいたろう。
 体を冷やすと風邪を引く。」


トムさんは瑞月のジャージを
コートから引っ張り出した。


羽織った瑞月が
嬉しそうにトムさんを見上げる。

「トムさん、
   ジャージあったかい。

   温めててくれたの?

   ありがとう!」



トムさんは
うっ
と詰まった。


わかりやすい人だなぁ。



バサッ

コートを脱いで
瑞月を包む。


小さな頭が
ごついコートから
ぴょこんと覗く。


「だめだよ。

   トムさんが寒くなっちゃう。
   ぼく、
   滑ったばかりだから
   体は暖まってるし、
   着てて。」



ごそごそ脱ごうとするのを
俺が後ろから抱き止めた。



「着てろ瑞月。
   もう体は冷たくなってる。
   第一
   トムさんは受け取らないよ。」


俺に抱かれたまま、
瑞月はトムさんを見上げる。


トムさんが
瑞月のおでこに汗で張り付いた髪を
そっとかきやりながら
笑う。

「こないだは
   ずっとスーツだったんだ。
   だいじょうぶ。

   高遠
   助かったよ。
   次は自分のを持ってくる。」



さあ、
今日も
確かめなきゃ。


「瑞月、
   今日の振付

   覚えてる?」

「うん。」


「ちょっと難しくなったね。」


「うん。
   でも…………。」

「分かってる。
   難しくしたかったわけじゃないよね。」

「うん!」


瑞月は
水澤先生が来た日から
振付通りに滑らなくなっていた。




最初は
何とも思わなかった。
ジャンプが抜けるくらいは
よくある。


それが
むしろ突然ジャンプを入れたり
突然ステップが変わったりとなると、
話は違ってくる。



音さんは、
毎回素敵!
って
褒めている。


実際、
危なげはない上に
怖いほど魅力を増していた。
さらに、
毎日風情が揺れる。


音さんは言う。
〝ちゃんと練習したことを入れてるわ。
    無茶はしてない。
    感じるままにしか滑れないだけでしょ?

    滑れることを増やしたげれば
    もっと素敵になるわよー
    楽しみ!!〟



結城先生は困ってる。

〝体調はだいじょうぶ?〟
とか
〝繋ぎが難しいかい?〟
とか
遠回しに訊いてるのが、
お気の毒になる。



「気持ちよかった?」

「うん!」

「今日はきっと消耗したよ。
   体がいきなり冷えるって、
   心配だ。

   先生たちは
   いつもの議論だし、
   俺が伝えておくから
   トムさんと先に帰って休むんだ。
   

   マサさんも来るんだぞ。
   元気に夕食食べたいだろ?」


瑞月は
全然気にしていない。
オトさんと二人、
滑っては恋ばなしてる。


〝勾玉の子が
   滑ってるの?〟

オトさん。

〝ううん。
   ぼくだよ。
   海斗を感じるのぼくだから。〟


瑞月だ。




試合でもこうだったら

結城先生は気も狂わんばかりに
心配している。


曲が流れて滑れたら
審査は勝手にしてくれます!

オトさんはうそぶく。


どのみち、
元の振付が気に入ってるから
変わるのは一部だ。


オトさんが言うのも、
まあ、
ほんとには違いない。


ああ、
やっと終わった。
オトさんの圧勝だな。


二人が
こっちにやってくる。



「瑞月、
   かなり消耗したようです。
   終わりにしましょう。

   俺は少し自主練したいんですが、
   よろしいでしょうか?」

機先を制して
俺から
声をかけた。


「あ、ああ。
   私も残ろう。

   瑞月君、
   今日の振付は厳しいよ。
   海斗さんが……その……。」

先生は
いつも
諦めが悪い。


「だいじょうぶ。
   結城先生、
   ぼく、
   だいじょうぶです。」

瑞月は
一生懸命だ。




「い、
   いや、
   あの……消耗したんだろう?
   一気に消耗するのは
   ただ事じゃないよ。」


先生、
もう諦めましょう。


ずいっ

オトさんが出た。

「結城先生、
   今日も
   素敵なプログラムでした。

   先生が技術をしっかり教えて下さってるからこそ。
   何よりでした。」


瑞月が
困ったように
先生を見上げる。

「結城先生、
   心配かけてごめんなさい。
   あの……海斗は悪くないんです。」


「あ、
   ああ、
   そうだよ。
   分かってる。

   怒ってなんかいない。
   ごめんよ。
   心配しただけなんだ。」





結城先生は
瑞月を悲しませたくないもんだから、
瑞月が聞いてると
話がひたすら遠回しになる。


結果、
悪者は海斗さんになり、
瑞月は一生懸命〝だいじょうぶ〟と繰り返し、
結城先生は〝怒ってないよ〟と言わされる。



俺が女の子だったら、
父さんも
ああなるのかな…………。


指導者として
どっちが正しいかと言ったら
結城先生なんだと思う。
でも、
今の瑞月は違うんだ。

勝つために練習してない。
舞うために練習してる。
舞いたくて
感じたまま舞いたくて練習してる。



海斗さんだけじゃない。
祈りだったり
秋の実りだったり
感じるままなんだ。


結城先生、
俺、
頑張ります。

とりあえず
我慢してください。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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