この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。








足先が
ギュッ
と革靴の中で縮まる。


〝唇が紫になってたよ〟

瑞月はウソのない子だ。
見上げる眸には
ちゃんとキラキラ優しさが光る。


心配してくれた。
いや、
気が付いてくれていた。




くるくるリンクを回る
可愛らしい蝶々を見詰めながら
凍える体を抱えて
俺は幸せだ。


ステップと言う奴なんだろうか。
何周かすると、
シャッ……シャッ……と
氷を削る音が不定期にリンクに響く。


ひらひらする。


そんな感じ。


綺麗だ…………。
氷って滑るもんだ。
速い!
速いって綺麗なもんだな。


ひらひら

ひらひら

ひらひらと舞う瑞月は、

舞いながらスピードを増し、

ふわりと舞い上がる。




高い!
………………。


空中を移動する
細い細い体は、
美しく弧を描く。



ジャッ……。

両手が翼のように広がり、
氷上に吸い込まれるように弧は繋がる。



「すごーい!
   もう妖精?!

   瑞月君、
   綺麗よー!!」


隣で
コートを着込んだ赤縁眼鏡のおばさんが
じたばた騒ぎたてる。



「…………すごいんですか?」

綺麗すぎてすごいけど
なんか
ふうわりとしていて〝凄い〟という言葉が
似合わない。





「すごいんです!
   4回転なんだから。」


きっぱり言い切られた。





「そうなんですか。」


〝たけちゃん
   すごーい!!〟

瑞月が高遠に声を掛けてたな。
あれは、
凄いと思った。


力強いジャンプ。
うんジャンプしてた。
跳ぶって
躍動感がある。





ん?
ん?
瑞月は躍動感あるかな。


高かった。
ふんわりくるくるくるくるって
舞っていた。




さっき見た桜が
思い浮かぶ。
綺麗だと思う。




〝すごい〟って色々だ。
瑞月はすごい選手なんだな。
優秀なスケーターなんだ。



目を肥やさないとな。




妖精は目の前をヒュッと行き過ぎる。
ヒュッだ。
すごいスピードに
あらためてはっとする。


気持ち良さそうだ。
瑞月、
すごく気持ち良さそうだ。




速くて
高くて
くるくるくるくるっ
…………すごいんだ。




「瑞月!
   すごいぞー!」

次のヒュッで
声を掛けた。



うふっ

笑う口元がもう脇を抜けていく。



笑ってくれた。

感覚がなくなりかけるほどに寒い中、
嬉しくて胸だけは温かい。





ヤバイ
声出したら
鼻水垂れてきた。



にゅっ

ティッシュケースが
突き出される。



「これからも来るなら
   ベンチコート持参になさいね。」

えらく先生臭いセリフが続く。



眼鏡女史は
続いてベンチコートを
差し出していた。





「ありがとうございます。」

痩せ我慢もそろそろ限界だった。
受け取ったコートの確かな重みが有り難い。


自分の吐く息が
ブワッ
と白く広がる。

真剣に寒かった。





「高遠君のよ。
   様子見て貸したげてって
   言われてたの。」

ごそごそ着込む俺に
女史は続ける。




ああ、
温かい。


ようやく緩む体に
心も緩む。


改めて感謝しようと
顔を向けると
生真面な顔がぐっと近づいていた。



な、何だ?
この目って強すぎだろう。
居心地が悪い。





にこり

口元が上がり
手も上がる。


くいっ

眼鏡が押し上げられ
口角の上がった唇は徐に開いた。



「すごいと分かった?」


下から
その目付きで見上げられると、
蛇に睨まれた気分なんですけど。




「速いし、
   ジャンプ高いし、
   すごく上手だと思います。」

思ったことを
俺は答えた。



う、腕組み?


「うーん
   残念!」

くりん

背を向ける。

ほんとに残念そうだ。



「な、何故ですか?」

俺は思わず一歩寄った。




「ま、
   瑞月君を見ましょうか。
   曲かけしますよ。」


やけに固い声に我に返る。
え?
何こんなに近寄ってんだ俺?




小さな体に
真面目女子風コート。
女学生みたいな着こなしの眼鏡女史は
生真面目路線に戻っていた。





「瑞月くーん
   ボレロ見せてー」

体が暖まったらしく、
瑞月はジャージを脱いでいた。


「はい!」

脱いだジャージを手に
すーーっ

戻ってくる。






ジャージを受け取ろうと手を出すと

「ありがとう!」


にっこりする。




ああ、
なんか、
清涼感ある。

恐怖映画観た映画館出て
青空見たときみたいだ。





「音羽先生、
   いつも褒めて下さるから
   嬉しいです。」


可愛い。
白い歯が零れる。

言い終わると
ピンクの柔らかそうな唇が
ぷくりと閉じる。




柔らかい。
柔らかかった。


もう一度触れてみたくなりそうで
見詰めるのが怖くなる。



馬鹿!
切り替えろ!!
自分を叱咤する。




可愛い。
こんなに可愛い子、
好きになって当たり前だ。



揺れるな
揺れるな

守りたい
守りたい
守りたいんだろ?


深呼吸して
自分を落ち着かせる。




あれ?
先生と生徒って感じじゃないな。
結城さんの指導者然とした立ち位置とは
ずいぶんと違うものだ。


勝手にときめき勝手に反省する俺をよそに
二人は
仲良しモードが眩しい。





「だって
   ほんとに夢みたいなんだもの。

   さあ、
   今日は何を見せてくれる?」


まるで
ショーを待つ客みたいな要求を
嬉しそうに言うコーチだ。

胸に溢れる期待が
声にも
目にも
正直にただ漏れしている。





「えっと、
   いつも海斗だから、
   今日の海斗です。」


頬が
わずかに染まった。




お馴染みになった胸の痛みが
チリチリするぜ。




眼鏡女史は
身を乗り出した。


「うふふ
   今日の海斗は優しかった?」



………………はい?
今、
なんと仰有いました?

それ、
練習前のコーチの指導というより
親友同士の恋ばなだ。




「…………はい!」


驚いてる間に
フツーにお返事が返る。
いつもこうらしい。




乙女というには厳しいおばちゃんが
天を仰いで乙女ポーズだ。


「ボレロは
   ほんとに
   二人の物語よね。

   滑って分かる恋心に
   私までときめいちゃう。」



胸に組んだ両手は
祈り?
お願い?
何だろう。




「じゃ、
   行きます!」

「見てるわね!」


妖精は
嬉しそうにリンク中央へ向かい
夢見る乙女は
音響ルームに飛んで行った。



タブレットを覗いて
話し込んでいた高遠と結城さんが、
中央に向き直る。


俺は一人
リンクサイドに残された。


か細い体が
やけに遠くに見えていた。



イラストはwithニャンコさんに
描いていただきました。


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