この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







☆伊東



突然のことだった。

屋根裏部屋のドアが開き、
瑞月さんが飛び出してきた。

開け放され広がる可視区域に
掃除機を放り出し
ドアに向かう総帥が見えた。


モニタールームは
一瞬のざわめきに揺れる。


瑞月さんは階段を駆け下りる。

総帥は
手摺を飛び越え
二階の廊下に下り立ち
瑞月さんを抱き止めた。




瑞月さんはもがく。
総帥は怯む。

胸に突っ張り
逃れようとする腕が上がる。


パシッ

モニタールームは凍りついた。
お二人も動かない。


数秒間
世界は動きを止めた。







総帥の手が
そっと上がる。


髪を撫でる。
抱き寄せる。
瑞月さんは為すがままだ。



よかった。
よし!
一件落着なんだな。
抱っこの威力は
俺たちもよく知っている。


ようやく
みじろぎできるようになった室内に
一斉に衣擦れの音が起きた。


次の瞬間だ。

「いや!
   海斗のばか!!


可愛らしい声が
のんびりした空気をつんざいて響いた。




ひらりと
総帥の腕をすり抜ける華奢な体。

その体を追うこともせず、
だらりと落ちる両の腕。


バターン!

マイクの設定がおかしくなったかと思うほどに
その音は大きかった。




閉じられたドア。
その前に立ち尽くす総帥。

そして、
もう、
呼吸さえできない空気に包まれた俺たち。



どのくらい経ったろうか。
数秒間が永遠のようだった。



総帥が
階段を下り始めた。
そして、
居間の領域に入り視界から消えた。







☆海斗


ドアは開かない。
時間は刻々と過ぎる。

〝いや!
   海斗のばか!〟


カタカタカタカタカタカタ………
俺にできることは
時間を産み出すことだけだ。






チャイムが鳴った。
伊東の姿を確認する。


「入れ」

応えたなり
画面に集中する。
間もなく終わるはずだ。





「失礼します!」

伊東の声がする。
俺は応えない。





カタカタ
カタカタ
乾いた音に
俺は集中していく。


瑞月の声でもなければ
集中を切らすなど
あり得なかった。





瑞月が出てきたら
とにかく謝る!
謝って
一緒に屋敷に帰る!!


「総帥
   アポは3時です。
   変更を天宮補佐に
   伝えますか?」


伊東の声が事務的に響く。


「1時には出る。
   待機しろ。」


俺も事務的に応じる。



余裕のあったはずのスケジュールは
みるみる押していく。
3時を前に確認すべきことは
終えていなければならない。

それはできる。
それは間もなく終わる。





でも……このまま出て来なかったら
どうしたらいいんだ?




泣いてるのを車に放り込んで
そのまま運転する。
いや、
ダメだ!
瑞月の泣き声を聞きながら運転など
とてもできそうにない。



抱いて堕として
眠らせる?

……それでいくか。
いや、
今日は
起きたときに
側にいられないかもしれない。


ダメだ

ダメだ

ダメだ

画面に対応しながら
俺はぐるぐると
一ヶ所から抜けられずにいた。


どうしたらいい?!



「失礼します」

伊東の声が聴こえた気がした。
カチリ
パタン
…………ドアが開いて閉じた。






カタカタカタカタカタカタカタカタ………タン!

上がってきた案件の決裁は
終わった。



…………伊東がいない。





俺は
もう一度PCに向かい、
使うつもりのなかった回線を開き、
イヤホンを装着した。




☆伊東


やっぱり泣いていた。

グスッ

グスッ

ウェッ……ウッ…………。



「瑞月さん」

声をかけた。

泣き声が
ピタリ

止まった。



もうかれこれ
一時間は泣いてる。
そろそろ落ち着いてくるはずだ。



「もう
   お屋敷に戻りましょう。

   お母様も
   お祖父様も
   心配なさいます。」


俯いた小さな頭が
いじらしい。

「総帥は
   瑞月さんを
   思っておいでです。

   ごめんなさいをしましょう。」




俯いたままだ。
叩いちゃったからな。




「だいじょうぶ。
   私もついてますから、
   一緒に謝りましょう。

   叩いてしまって
   後悔してるんじゃないですか?」



「かわいそうだったんだもん。」

声には
一途な頑固が滲んでいた。
誰がかわいそうなんだろう。




「何があったんですか?」

訊いてみた。




「急いでるからって…………。」

怒ってるポイントは
分かった。
でも、
答えになっていない。



子どもは
自分が感じたことしか分からないのかも。
まあ、
だんだん分かるだろう。


まずは、
瑞月さんが言ったことを
繰り返そう。






「スケジュールが詰まっておいでです。
   それでも
   総帥は
   瑞月さんと一緒に帰りたかったんだと
   思いますよ。」

忙しいこと
伝わるかな。




「でも、
   ゴミみたいで
   やだな。」

唇は
まだ尖ってる。

ゴミね。
ゴミ。
誰のことかわからないが
強烈な表現を使うものだ。
西原…………かな?



「瑞月さんに比べたら
   何だってゴミです。

   総帥は瑞月さんに夢中なんですから。」


これでどうだ。
それが
あなたを支えてるんでしょう?




「…………うれしくないもん。」

え?
え?
聞き違いかと思った。

これは…………ベビーギャングって奴か?
十分に愛されてる安心感で反抗できちゃう。





「でも
   総帥はそうなんですから
   仕方ありません。」


でも
やっぱり武器はこれしかない。

〝愛されてるんだよ
   君は
   愛されてるんだよ〟




「……伊東さん、
   海斗に頼まれたの?

   ぼくのこと」


上目遣いになる。
気にし始めた。
総帥のことを考えておいでだ。




「いいえ
   ただ事ではなさそうだ
   と
   思いまして
   勝手に動きました。」

正直にいかなくては。
これは
俺のお節介なんだ。





「じゃ、
   海斗は、
   なぜ来ないの?」


やっぱり
悲しかったんですね。
攻略ポイントは間違ってなかった。



見上げる顔が
こんなに可愛い。

総帥に申し訳ないな。
ちらり

思った。






「嫌われるのが
   怖いんです。」

すみません総帥!
でも、
そうでしょう?



「前は
   そんなこと気にしなかったよ。

   ダメだ!
   質問はなしだ!
   問答無用だ!
   って
   平気だったよ。」


瑞月さんも
頑固だ。

来てくれない
来てくれない
来てくれない

気にしてる。
ここ
大事なんじゃないだろうか。


しっかり覗き込む。



「瑞月さんも
   変わられましたよ。

   以前なら
   総帥に言われるままに
   ついて行かれてました。」



あ…………と、
眸が揺らいだ。

しん

考え込む。





「ぼく、
   我が儘になったの?」


小さな声が
問い返す。


「いいえ
   自然な成り行きだと
   思いますよ。

   総帥も
   あなたが大切なのは
   前も今も変わりません。」


伝えたい
あなたは悪くないです。
そして、
総帥も
みんなも
あなたを愛してます。



「だって……。」

見上げる目が
一生懸命だ。

叩いちゃって
怖かったでしょう?

嫌われたかな
でも
違うんだもん
って
頑固になってたんでしょう?



「瑞月さんを守ろうと
   心を尽くしておいでです。

   前は決めてあげることで
   お守りでした。
   今は考えさせてあげることで
   お守りです。」


小さな体は
もう素直になっていた。

答えは自分で出せるだろう。



「……かわいそうだったんだもん。」


「はい」


「ぼく、
   手で拾いたかったの」


「はい」


君の気持ちは
ちゃんと受け止めたよ。

だから
君も
受け止めてごらん。


俺は待った。
もう
この子は
言いたくてたまらないはずだ。


「…………海斗、
   困ったよね。」



小さな小さな
蚊の鳴くような声がする。




「はい。
   時間に間に合わせようと
   一生懸命
   頑張っておられましたよ。」


よく言えました。
あなたに届いたことを
俺は繰り返そう。



「何してたの?」



「お仕事です。
   瑞月さんに時間をあげるために
   済ませてしまおうとされてました。」



そして、
あなたはわかる。



「……ぼく、
   やっぱり我が儘だよね。」



でも、
それは違います。
たぶん
あなたはお勉強してるんです。
自分で考え始めたんです。


「いいえ、
   総帥のお気持ちを考えてくださいました。
   我が儘じゃないですよ。」



真っ直ぐ顔を上げて
君は答えた。


「ぼく、
   出ます。」




よし!
今は11時じゃないか。
昼食の時間も捻り出したぞ。

それにしても、
誰のことだったんだろう。
可哀想なゴミ……?



「ありがとうございます!
   あの…………
   誰がかわいそうで
   怒ってたんですか?」



「さくらさん」


あ、
まだ
ちょっと悲しそうかな。

西原じゃないんだ……。
クラスメイト?


「…………女の人ですか?」



「ううん。
   花びらが部屋にいっぱいで、
   お掃除しなきゃならなくて、
   海斗が掃除機で
   吸い取ったの。」


え?


「さくらさん、
   ゴミじゃないんだよ。」


さくらさん
さくらさんって……。



「掃除機で吸ったりしたら
   埃だらけでしょ?

   綺麗に土に返してあげなきゃ。」




チーフ……
いえ総帥、
俺は頑張ります。


瑞月さんは
花のような方です。

花のような方は
花もお友達なんですね。



とにかく
頑張ります。

今は子育ても山場かもしれません。
フォロー頑張ります。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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