この小説は純粋な創作です。
実在の人物、団体に関係はありません。








学習室のドアが
トントントン
生真面目に三回ノックされた。
見事に同じ強さ同じ間合い。

規律を重んじる仕事に就いてもいるが、
律儀な性格もあずかって
彼の行動は
一々
固いのが面白い。


警護ってこういうものだ!
俺はその能力がある!
俺は誰より努力してきたからな。


思い込みがうまく働いて
一気に昇進しての班長の位置と思う。


その杓子定規に
マサさんが付けた渾名は、
言い得て妙だった。
〝安全野郎〟


恋愛の勘違いは、
無意識のようだが克服したな。
自分が惚れるのと
女の子とデート経験を積むのは
別物だ。

まだ
俺はもてる!

勘違いはあるようだが、
まあ、
実際にもてたのだろうから
仕方ない。


自信家だ。
明るい自信家で何よりだった。
ペチャンコにされても立ち上がる。
正しいプライドをもって立ち上がる。


「どうぞ」

ドアが開き、
入り口で声が響く。

「失礼します!」


そして、
微かな衣擦れが
シュッ
と聞こえた。
きっちり礼をしたのが音に伝わる。

面接指導の模範演技を
季節になったら頼みたいものだ。



「お座りください。」

「失礼します。」


向かい合った椅子に
背筋を伸ばして座る彼が分かる。
杓子定規は変わらずあるだろうが、
なくすべき杓子定規は削り落とされた。

人にはそれぞれの思いがある。
それを受けて考える姿勢は
既に彼のものだ。
良い恋をしたものだ。


好青年だ。

「ちゃんと守りたい。
 だから、
 ここに来たいのでしたね。」

「はい」

「では、
 何を学びたいですか?」

さあ、
君はどう応えるだろう。


ふうっ

深呼吸だ。
答えは決まっているね。
だが、
少々言い出しにくいことだ。
特にエリートの誇りがあるとね。


「単位でしたら、
 できましたら昔取ったものを
 もう一度学び直すことでいただけたらと
 思います。

 瑞月に付いている時間を大切にしたいからです。」


よし!
よどみなく言えた。
通信制課程を軽く見ての答えではないのは、
誠実な声に明らかだ。
彼の宣言にも合致している。
正解だ。


ということは、
〝守る〟ことが入る課題が
望ましい。

「そうですね。
 校長には許可を得ていますので、
 単位は一つ取れたら研修終了とします。

 現代国語にしましょう。
 瑞月君の感想文は
 なかなかユニークですからね。
 一緒に取り組む大人がいることが
 助けになりそうですよ。」



「はい!
 次は泣かさないよう
 気を付けます。」



間髪を入れない返答。
失敗したからといって避けない。
それは偉いが、
君にも苦手教科だよ。




「泣かせたんですか?」

私は
何気なく切り込む。



「〝こころ〟を読んで、
 結婚って
 好きな人とするんじゃないの?
 って
 泣かれてしまいました。」

「ああ、
 そうでしょうね。
 自分に引き寄せて読む子です。
 〝蜜柑〟の感想文、
 さっき職員室で校長先生に
 読んでもらいました。
 
 〝蜜柑を渡せて
  本当によかったです。
  嬉しいです。〟

 でした。

 物語が本当にあったことに
 感じるんですね。」



ちょっと間が空いた。
自信をなくしただろうか。


「あの…
 小説とか読んで
 だいじょうぶでしょうか。

 悪い奴とか出てきます。
 本気でショックを受けてしまいそうで
 心配です。」

ああ、
瑞月君のことを
考えて
いたんですね。


「子供はお伽噺から学ぶものです。
 いなばの白兎あたりから
 読み聞かせてはどうですか?」

「はい
 色々試してみます。
 どんなことを感じるのか
 ちゃんと確かめながら進めていきます。

 瑞月には瑞月の思いがあることを
 忘れていたんです。
 失敗しました。」


よし!
失敗は山ほどするだろうが
君にも
瑞月君にも
する価値がある。



「西原さんは、
 もう極意は身に付けましたね。」

「え?」

「あなたは、
 単純に何なら読めるかと
 作品名を知りたがるかと思っていました。

 でも、
 〝瑞月には瑞月の思いがある〟
 〝色々試しながら〟
 と仰有った。

 もう、
 警護の極意は、
 いえ、
 人の心を守る極意は
 おもちです。

 大したものですよ。」


ギシ
微かな椅子の軋りに
彼のみじろぎが伝わる。

「ありがとうございます!」

声が熱い。
私は
彼には
褒めてもらうに足る人間に
なれているようだ。
ありがたい。




「恋の極意はどうですか?」

私は
尋ねてみた。


ギシッ……。
今度の軋みは大きい。
椅子ごと後ずさる感じかな。

「先生、
 それは勘弁してください。
 俺疚しいことないですから。」


声に滲む照れ臭さが
若者らしい。

気づいているかな。
〝俺〟になったよ。



「もちろん
 疚しくなんかないですよ。
 でも、
 好きですよね。
 音楽室では見事に撃退しましたが、
 苦しくはないですか?」


もう確かめたことだが
大事と思う。
苦しいと分かっているよ

伝えたい。
繰り返し繰り返し
伝えておきたい。



「高遠と同じです。
 俺、
 瑞月の苦しむ姿は見ていませんでした。
 でも、
 見ていたら、
 すごく苦しかったと
 思います。

 そして、
 同じ結論を出すと思います。」

「守りきる!……ですか?」

「はい!」


そうだね。
もう決めたことだ。
君は
そう宣言して学びを始めたんだから。


では、
私も今日のメッセージを
贈ろう。

「分かりました。
 高遠君とあなたと
 二人の役割は
 きっと違います。

 でも、
 守りたい思いが
 あなたを変えて今があります。

 これは、
 本当に良い恋です。」


「良い恋……?」

「そうですよ。
 あなたは
 良い恋をする力がありました。

 スポーツでも
 警護でも
 向き合うことに
 誠実に努力してきたからでしょうね。

 だからこそ、
 あの手痛い学びに応えて
 変わることができたんです。

 痛かったでしょう?」


痛かった。
痛かったと口にできて
ますます強くなれる。



「もう
 あの思いは
 一度で十分だって思います。」



ちょっと意地悪だが、
きちんと思い出してほしい。



「一度じゃなかったですよ。
 電車でしょ
 かっちゃんでしょ。
 連続ノックダウンに耐えて
 ちゃんと瑞月君に向き合えたから
 恋に落ちたんです。」


あたふたする気配に
律儀な勤め人は
もういない。


「ああ、
 もう恥ずかしいですから。」

一人の恋する若者が
心を開いて
頬を染めている。


「すみません。
 でも、
 本当に覚えておいてください。
 あなたは
 ちゃんと越えていけます。

 闇と戦う極意、
 知りたいですか?」

「はい!」

「自分にうそをつかないことです。
 建前は闇の大好物ですからね。

 あなたは
 本当に望むことをその都度選ぶことで
 闇を退けてきました。

 ただここにいたい。
 人を守る勉強をしたい。
 守りたい人ができたから。

 その自分が本当にしたいことを
 曇りなく見つめる目があれば
 闇はつけ入ることができません。

 自分にうそをつかない。
 頑張ってください。」


元気に青年は帰っていった。
恋する少年を守るために
彼は
近くのアパートに詰めるという。

良い恋とは、
苦しいものだな。



次は
高遠君か。



高遠君、
君にはさらに苦しいものだ。
その背負う罪に
何を言っても
君は受け付けない。

それは君の罪ではないというのに、
そこから君を解放することができない。

守りたいんだよね。
君は本当に狼だ。

群れにいるようで群れにいない。
そこを一人離れて戦おうとする。
誇り高い狼に
何を言ってあげられるだろう。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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