この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







⭐海斗
伊東は
エレベーターホールで
待っていた。

抱いた瑞月に
顔色が変わる。


「だいじょうぶだ。
   開ける。
   頼む。」


瑞月を
そっと伊東の腕に移す。
サラサラと髪が流れる。
頬には微かな血の気が戻ってきた。

…………真っ白だった。
そのまま
手から零れ落ちそうに。

離したくない。



「お急ぎください。」

抱き取ったなり
瑞月を中に向き合ったまま
伊東は
低く囁いた。


この部屋は
俺にしか開けられない。
閉じた瞬間に
その主にしか反応しない造りだ。


手を離し、
扉に向かう。
こいつが俺を認証するまでの
僅か10秒が
灼けつくほどに長い。


青ランプが点灯し、
伊東から瑞月を受け取る。


ふーっ

瑞月の胸が動き、
冷たく冴え返ろうとしていた肌が
また息づき出す。


闇だった。
あの男は闇だった。
でなくて、
この消耗はない。
 


離れることはできない。
警護をなおざりにもできない。
あいつはここに泊まってるんだ!!



「寝室だ。」

伊東が
背についてくる。


「照明を!
   影を作るな!!」



影が厭わしい。
この中に
どんな罠も残せない筈だが
影だけは避けられない。

今は光しか与えたくないのに!



ニャー…………。



寝かせようと屈み
煌々と明るくなった部屋に
猫の鳴き声が
響く。



ぴょん

黒猫が椅子から跳び下りる。


寝かせた瑞月を背に庇い、
俺はわめいた。

「伊東!
   これは何だ?!」



「は?」
伊東の戸惑いに
さらに
俺は逆上した。


「これだ!!」

指を突き付ける黒猫は、
ふん!

言うように耳の後ろを後ろ足で掻いている。



〝見えないわよ〟

「あの……。」


頭に響く声に
俺は踏みとどまった。
さっきの声だ。
歌うような、
揺らぐような…………。



伊東は顔色を変えた。
すばやく室内を確かめる目は
警戒レベルの高さを示し
油断がない。


「闇かもしれません。
   部屋を、
   いや
   宿を変えましょう!!」



〝だいじょうぶ。
   瑞月は拒んだでしょ。
   知りません
   の
   一声で
   あいつは入れない。〟


クロによく似た黒猫は、
影が……なかった。


〝わたしよ
   わかるでしょ?

   石を出してよ。
   あんまり遠いと疲れちゃう。〟


「伊東……瑞月の衣装ケース、
   取って来てくれ。」

「はい!
   持って出られますか?」

「試してからだ。」

俺は
瑞月を背にし、
黒猫を見詰めたまま応えた。

声は落ち着いた。
胸の勾玉は温かい。
確かめてからだ。

そう思った。



⭐伊東チーフ
ケースを持ってきた西原の
無念そうな顔には
さっさとドアを閉めて
消えてもらった。


すまんな。
それどころじゃないんだ。



「瑞月の石を出してくれ。」

総帥は
一点を見詰めたまま指示する。


綺麗に畳まれた白装束の一番上に
二つ折りにした五色の布、
その上に猫目石だ。


そっと取り出したそれを
総帥は
片手を伸ばして受け取り、
見詰める一点の手前に置いた。


……………………。

どろん!
って奴だ。

マジシャンもいないのに
突然現れたこれは
何なんだ?


このでっかい遠慮のない欠伸。
総帥に
くいっ

体をすりつけ
ポン!

尻尾で叩いてベッドに飛び乗る黒猫は……、
くろちゃん????


なぜ?
なぜ
唐突にくろちゃんが
出てくる?!

やはり闇か?!




「構うな。
   モニタールームで話そう。」

首を掴んで
持ち上げた黒猫は
ムスッ

俺をにらむ。




「は、はあ。
   しかし……。」

「その猫目石は
   くろのだ。
   そいつはくろだ。
   間違いない。」


総帥は
俺から黒猫を取り上げ
瑞月さんの横に置いた。



釈然としないが、
瑞月さんの横にねそべる黒猫と瑞月さんを残し、
総帥と俺はモニタールームに
戻った。




振り返り
俺に問う声は、
もう
いつもの総帥だった。


「どうだった?」

「誰も覚えていません。」

「そうか。」


総帥は
静かに椅子にかけた。
驚かれはしない。


鷲羽の警護になり、
最初の襲撃を経験するとき、
学ぶことがある。


襲撃者は
始末されて
消えてしまうか
襲撃そのもの
記憶ごとなかったことになるかだ。

それは、
俺が入ったときにも
俺の先輩が入ったときにも
そうだったことだ。

そこから
俺たちは学んだ。

鷲羽は鷲羽にしか守れない。




「昼間の男だが……。」

総帥が
問い掛けるように
言い差す。




「調べました。
   今夜こちらに宿泊しています。」

四階の宿泊客が
その男だった。
引っ掛かる話だ。  

どろんも気になる今だが、
これが偶然とは
思えない。




「さっきでくわした。
   何者だ。」

でくわした……。
偶然は
万に一つも無さそうだ。

総帥は、
ひどく静かだ。




「秦 綾周。
   雅楽の研究で知られる人物です。
   自身も演奏するそうで、
   それが
   えらく評判になりかけているとか。

   秦氏の若先生、
   と
   呼ばれているそうです。


   京都に屋敷があります。
   もう、
   崩れかけていたそうですが、
   先代から羽振りが良くなって
   今は大層な屋敷に改装しています。


   羽振りが良くなった経緯が
   不明瞭なのが気になります。

   名家には違いないですが、
   断絶したはずの家系とも囁かれていて、
   謎の多い人物です。」




総帥は
じっと
聞いておられる。


話していて
俺は
気付いた。


きっと
総帥も……感じておられる。






「俺も
   似たようなものだ。」

ずいぶんしてから
総帥は呟かれた。



〝はい〟
胸の中で
俺は応えた。
俺は総帥の声を待った。





「俺の出自を
   調べただろう?」

ようやく
聞くことができた声は
低かった。




「はい」

応えるまでもない応えを
俺は応えた。




「俺は自分の父が分からない。
   母が
   なぜ俺を生んだのかも
   分からない。

   母の生家は
   母以外誰も残っていなかった。
   消えた経緯も分からない。
   

   興味もなかった。」



はい
知っています。
家など何の意味があったでしょう。
あなたは、
死なないから生きていただけでした。




「辿り切れませんでした。」


「分かっている。
   資料は見た。」


この人は
悲しい育ち方をした。
それは
分かった。
それだけだった。




総帥が
立ち上がる。

「瑞月のところに戻る。
   お前も休め。」

「ホテルは移らなくて
   よろしいのですか?」

「ああ。
   闇は瑞月が退けた。
   ここには入れない 。」  


俺は
もう邪魔者だ。
くろ、
お前も邪魔者なんじゃないか?


なぜ
来ちゃったかわからないが
来ちゃったんだから
仕方ない。
明日はキャリーバッグも用意だな。



部屋を出ようとして、
俺は
思い付いた。


言っておきたい。

もう
教官じゃないけど、
でも、
言っておきたい。

そう思った。


「総帥、
   あの、
   出自は家族じゃないです。

   どんな家族を授かったかが
   大切ではないですか?
   

   あなたは、
   私の信頼するチーフで、
   道子さんが愛した人で、
   御前が待ち望んだ跡継ぎで、
   あなたには
   瑞月ちゃんがいます。


   人生は、
   出自に築くんじゃないです。
   家族と生きるんですから。」
 

俺は、
かなり一生懸命だった。

総帥が笑った。
よかった。

「伊東、
   家族寮を作る。

   お前も結婚を考えた方がいいな。」

え?

もう扉は閉じていた。

あの………そういう意味じゃないんですが。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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