この物語は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。






〆の挨拶は
天宮補佐が務めた。
もう
お見送りを残すのみだ。


「武藤補佐!」
振り向くと、
森本先輩だった。

「先輩……。」

言いかける俺の目の前に
すっ

手が上がる。


きっちりと姿勢を正し、
先輩は言った。

「武藤補佐、
   良い取材ができました。
   伝えるに足るものを
   いただきました。

    伝えたいメッセージの詰まった
    鷲羽財団の船出に立ち会えて
    記者冥利につきます。

    ありがとうございました。
    失礼いたします。」


「先輩、
   俺…………。」

顔を上げる先輩に
思わず
声を継いだが、
続く言葉が出てこない。


先輩が
にやりと笑った。

「もう、
   先輩じゃありませんよ。

   あなたは、
   新たな道を選んだ。
   そして、
   変わらず大した奴です。」


先輩は憧れだった。
こうなりたいと
俺は願った。
ようやく先輩を追えるところだった。

そして、
瑞月に
おじいちゃんに
海斗さんに
………………出会ったんだ。



「…………ありがとうございました。」

それしか言葉がなかった。
ありがとう。
ありがとうございます。



「じゃ……
   頑張れ!
   新米補佐!!」


森本さんは、
会場を出ていく。




「拓也さん!」
ああ、
家族だ。

「お見送りだよ。」

そうだよ。
瑞月、
嬉しそうだね。


よく分かったよ。
君の舞いは
本当に言葉なんだ。

鷲羽の願いを君は舞った。
新生への祈りを
皆が共有できたんだ。

巫たちは
こうして一族に愛されて
きたのかもしれない。


出口に並んだ三人は、
まさにベストメンバーだ。

王は、
民に道を示して
泰然とオーラを放ちながら
謙虚さを失わない。


王に向かうとき、
静かな畏敬の念が視線に浮かぶ。
挨拶の日とは、
また
違う。
僅か一月に満たない間に
経営手腕は
驚愕の念で迎えられていた。



おじいちゃんと瑞月は
とにかく可愛い。
憎めない老人の
〝わし、武藤ちゃんが大好きなんじゃ〟

思い出される。

みんな、
やられたんだよね。

そんな親近感すら感じてしまう。
おじいちゃんに向かうとき
皆は慕わしげだ。



そして、
瑞月だ。

ひたすらに〝ありがとう〟

溢れだす。

来てくれてありがとう!
喜んでくれてありがとう!!
ぼく
嬉しいです!!


笑みくずれる皆様に、
俺も思う。
皆様、
ありがとうございました!!




華やかな見送りだった。
温かな見送りだった。
会場入り口のフロアは、
しばらくは
さんざめく華やかなドレスに振袖、
礼装のエグゼクティブの皆様に溢れ
賑やかだった。



王国の民も
家路に向かう。

そろそろ最後の一群が
名残惜しげに
エスカレーターを降りていこうとする
頃合いだった。



皆が降りていく中に、
下からエスカレーターを上がってくる姿があった。



「あっ……。」

瑞月が声を上げる。




男雛……?
細工めいた美貌、
微かに化粧しているのだろうか。
目元に朱が入っている。


長い髪を組紐で縛り、
だらりと垂らした手には
やはり組紐に口を縛った細長い布製の袋がある。

何だろう。
長さは脇差しほどだが、
そんな無粋なものではなさそうだ。


近づくにつれ、
その袋の紋様が見えてくる。
煌めく鱗が濃紺の布地を巻き締める。
………………蛇?


その長い形の良い指は、
金糸銀糸に描かれた蛇の頭を
愛しむように包んでいる。




瑞月が
小さく後退り
海斗さんが
前に出る。


二人のナイトが脇に入り、
豪君は瑞月の肩を抱いた。




エスカレーターを降りた男に
ご婦人の一人が
声をかけた。


「まあ、
   若先生。
 
   奇遇ですこと。」


「これは倉橋様、
   先日は大層な御祝儀を賜りまして、
   ありがとうございます。


   こちらで句会がありましてね。
   末席を汚して参りました。」

「何を仰有います。
   何をされても見事にこなされるのですもの。
   今度、
   ぜひ、
   うちの句会にもおいでくださいな。」

「ありがとうございます。
   ぜひ。」


にこやかに交わす如才ない会話、
誰だろう。
若先生……。
何かのお師匠さんだろうか。


まるで歌うような声だ。




「……おや?」

鈴が揺れるように涼やかな高い声が、
こちらに向けられた。


指向性のある声だ。
視線が向く方向を声もとらえる。


なんだか、
俺たちが狙いのようだな。
…………瑞月?





「昼間はありがとうございました。」

海斗さんが
静かに応じる。




「とんでもございません。
   鷲羽総帥ともあろう方に
   たびたび頭を下げられては
   恐縮です。

   そうそう
   今日が御披露目でしたね。

   私は
   俳句を嗜む
   市井の風流人でございます。
   葦と及び下さい。」

脇に
にこにこと見上げる
気の良さそうなご婦人を従え、
男は悠然と応える。



「若先生と呼ばれておられた。
   俳句のですか?」

構わず
海斗さんは問い質す。




「まあ、
   海斗様、
   雅楽の道の方でございます。

   古い家柄の名家の方でございますよ。」

この男を紹介できると
ウキウキ割り込んだ奥様が
びくんとする。


男は
しーーっ

指を立てていた。

そのまま
奥様をまともに見下ろす。

「名など交わすは無用のこと。
   美しいものを愛でて
   たまたま巡り合わせたのです。
   名乗るのも無粋。」


唇の端が
くっ

吊り上がる。


アルカイックスマイルって奴だ。
奥様の瞳の色が暗くなる。




「そうでしたわ。
   出過ぎた真似をお許しください。」


妙に機械的なセリフを残し、
奥様は
すっ

身を引きスタスタとエスカレーターに向かう。


ご主人らしき方が
驚いたように
後を追って行った。


何だろう。
何かがおかしい。





フロアも
もう
人影は残り少ない。




男は
また海斗さんに向き直った。

ちらりと
その後ろの華奢な黒を
その視線が捉える。





視線もだ。
声と同じだ。
何を見ているかが明瞭に過ぎる。
違和感があるな。




「また、
   巡り合わせましたなら、
   そのときにご挨拶いたしましょう。


   だいじょうぶだったかい?
   あまりに美しく、
   次に会うまでに散ってしまわないかと
   やきもきさせるような風情だった。
   素晴らしい舞いだったよ。」


声が
蛇のように身をくねらせて
瑞月を捉えた。

瑞月が
ぴくりとする。


「あ、ありがとうございます。」


そう。
答えざるを得ないだろう。
声が目に見える気がした。


鱗を煌めかせる蛇が
瑞月に絡み付く。


どうしよう。
打ち切りたいが、
理由がない。





何だか息苦しい。
空気が重く
妙にねっとりとする。


総ガラスの壁面は
暗く沈み
そこに映る男の姿は
雲がかかったように朧だ。





「君には
   また会いたいね。」

高い声だ。
歌っているのか。





瑞月が
海斗さんの背をそっと押して
前に出る。

もう
客たちは
フロアからいなくなっていた。






海斗さんの脇に立った瑞月は
目を閉じていた。




にゃーーあ

え?
クロ?




ぱっちりと瑞月が目を開く。
ふっ

断ち切られたように
息苦しさが消えた。




「昼間はありがとうございました。

   声をよく覚えています。
   きっと
   お会いしたことがあるんですね。」


瑞月の声が
歌い上げるように響く。


「いやだな。
   今日会ったばかりですよ。」

男の声が
受けて立つ。

歌い合う声が
揺らめくように響き合う。



「はい。
   ぼく、
   あなたを知りません。」


シリマセン
シリマセン

シリマセン


シリマセン


シリマセン
………………。


谺など起きるはずもない
ホテルのロビーで
俺は
凛とした天使の声を
繰り返し
聴いていた。



谺は消えていき、
揺らぎも
消えていた。



瑞月は
にこりとした。
凄艶…………。


拒絶の笑みって……あるんだ。
姫は
もう口を開かない。




「失礼いたします。」

海斗さんが
軽く会釈する。


「では。」
男もまた微笑む。

男は
フロアを進み、
エレベーターに消えて行った。



「瑞月!!」

豪君と西原の声が揃い
瑞月は海斗さんの腕の中に崩れ落ちた。


画像はお借りしました。
ありがとうございます。




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