この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





道は浮かぶ。
俺の前に白く浮かぶそれを進み、
段の前に設えられた床机に
俺は座った。

背後に衣擦れと幾重にも重なる床机の軋り。
鷲羽は揃った。


  



最上段に台形に広がる
小さな白木の舞台。

カン!

乾いた音が響く。



東の幕がくるくると上がる。
そして、
月は昇った。





金の日と銀の月を意匠とした細工が
両の袖に覆われた顔の上に輝く。

細工は五色の組紐に結ばれ、
幾重にも円を描く飾り結びに背を流れ落ちる。



袖からなだらかな線を描いて領布が
その身を廻る。

袖の下に胸から腰まで垂れる五色の布は、
猫目石の鈴飾りか。



腰高に締められた綾絹の帯に
上衣は腰までをしなやかに包み込み
細腰がいやが上にも引き立たせている。

足を包む筒を思わせる裾。
それを覆う裳裾が雲のように流れ、
白い足先が見える。




瑞月、
いたんだな。
そこにいた。

その名に月を内包する俺の伴侶よ
こうして見上げるお前は
俺にとってまさに月だ。

恋うて
乞うて
やまないものだ。




足袋に包まれた小さな足がすっと上がる。

カン!

カン!

カン!


乾いた音とともに
進み出てくる。



シャン!

さっと
払った袖。
天を指す片袖に五色の布はひらめき
地を踏みしめる足に可憐な白足袋がくっと斜めに型を取る。

残る片袖はくるりと
腕に巻かれ
その指先は地にある俺を指して伸ばされた。



舞台の上空に
月は柔らかく雲の薄衣を纏い、
冴え冴えとした月光が舞台から降り注ぐ。

月の化身よ
その姿を見上げる者共は
その光に濡れて
ただ見上げるばかりだ。




タン!

羯鼓が鳴る。


来て

来て


俺は立ち上がる。


龍笛は鳴り響く。
領布は薄く、
それを振る指先は布に透ける。

片手には鈴をあわせ持ち
片手には領布をかけ
月は舞い始めた。


りょうりょうと鳴り響く龍笛。                                                             
天に向かう白木の柱
その結界に
月が浮かぶ。

くるくると回る領布と裳裾は、
冴え返る月光のゆらめきか。



一段
また一段と
俺は上っていく。

来て
来て

お前が呼ぶから
俺は上る。







最上段。


タン!

羯鼓の音に
調べは途絶えた。
背を向けたまま
お前は
ぴたりと止まる。



静けさがあたりを包む。


 
ゆるやかに見返るお前。

俺の頬をはさむお前の手。

そっと
俺は座らされた。




そして
瑞月はふわりとあとずさる。

俺の手には
瑞月の温もりを残した領布が
残された。



シャン!

瑞月の手の鈴が鳴らされた。





………無音の闇だ。
海斗……
海斗……


手にある温もりが
急に確かなものになる。

小さな温かな手が
俺を闇から引き戻す。


そして
時を飛んだ。




蛍…………。
光が無数に浮かぶ。
儚い光は頼りなく乱れ飛ぶ。

水辺を行く小さな俺は
前を行く母を追って
たどたどしく歩いていた。


俺の手の温もりは
お前のいる証だろうか。



〝海斗、
   見て。

   綺麗ね〟

〝うん〟

〝海斗と
   見られて
   嬉しいわ〟

〝うん〟



映像は流れ行く。
時が流れ行く。




花びらが散る。
窓に俺がいる。
十二歳になっていたろうか。

洋館に暮らしながら
あなたは着物が好きだった……。


散りかかる花びら
片肌脱いだ帯解けた姿。

振り仰ぐ。
微笑んでいる。

誰に……?
背の高い影。
顔が見えない。

微笑んでいた。
そうだ。
綺麗だ………。
嘘みたいに綺麗だった。





ほの暗いベッドに
なきじゃくるあなたを
制服姿の俺が抱いている。



〝あなた〟


〝海斗だよ〟


〝あなた〟


〝海斗だよ
 お母さん〟


〟帰ってきてくれたのね〟


〟お母さん
 違うよ〟


〝嬉しい
 嬉しい

 あなた〟

あなたの腕が俺にすがった。
俺は〝あなた〟になった。





一語一語が切りつける。
一語一語がお前を切り裂いていく。
止めよう
止めてくれ瑞月。



手の温かみは
変わらない。
いるのか。
いるんだな。




為すがままに時を流されながら
俺は手の温かみだけを
感じていた。

瑞月、
瑞月、
もう見てはだめだ。
見てはだめだ。





春の庭だ。
あなたが愛した庭は
まだ春浅かった。


池の水は冷たかった。
抱き上げたあなたは嘘みたいに軽かった。

俺はいなかった。
どこにもいなかった。
あなたの〝あなた〟もいなかった。

冷たかった。
ひどく冷たかった。


………冷たかった。

手は温かい
まだ温かい
瑞月、
瑞月、
まだいてくれている……。




屋敷だ。
母屋の廊下を手を引かれて歩いている。
〝こっちよ
 暖まりなさい
 無茶しないの。〟


道子…

ああ囲炉裏端だ。

〝ほら狼さん
 一人で食べちゃだめ。
 あなた寂しがりやさんなんだから。〟


そうなのか?
道子……。

温かい。
温かい。
手の温かみが俺を支える。

笑顔だ。
道子、
お前の笑顔は温かかった。

〝だいじょうぶ。
 たくさん愛せるものを
 あなたに上げるから。

 可愛がって育てるのよ。
 そうしたら
 自分が寂しがりだって 
 きっとわかるわ。〟



波の音がする。

サヨナラ
サヨナラ
ゴメンネ                                                       

アゲタカッタ
アゲタカッタ

アイセルモノ
アゲタカッタ


光が満ちる。
道子の声が
俺を包む………。

手の温かみに
一緒にいるお前の涙を感じる。



ドアだ。
俺は開けた。

美しい……。
なんて綺麗な子だろう。
改めて驚く。


〝橘瑞月です〟


ああ
お前に会えた。

                
〝ああ、
 やっと会えた…。

 海斗……、
 海斗……、
 会えたね
 会えたね〟

耳元にお前の囁きを感じる。
手の温かみが
ふっと増した。

唇が
柔らかく捺されるお前の唇を感じる。

アイシテル
アイシテル
アイシテル
………………。

優しい声が遠のいていく。




カン!

ゆらゆらと戻る視界に
瑞月が両手をついて頭を下げていた。

「巫が
 長の面袍をお上げになります。」
声が響く。




瑞月が頭を上げ
そっと
俺の面袍に手をかける。


お前だ。
俺の瑞月だ。
お前は舞いを終えて
帰ってきている。




「契りの酒が下されます。」

段を上がってくる衣擦れの音がして、
白装束姿が横に畏まった。


目の上に差し上げるようにして
白木の台を捧げ
俺たちの間に置いた。




瑞月の細い手が
杯に酒を注ぐ。

杯を俺に差し出す手は、
少しの揺らぎもない。




その手を握りしめたい思いを抑え
俺は杯を唇にあてる。

お前の眸がひたと俺を見詰める。



俺は一息に飲み干した。


瑞月が目を閉じる。
その瞼が震え、
そして静かに開いた。




「長と巫が座を降りられます。」

瑞月の手を取った。
今度は少し震えている。
握る手に力を籠めた。


二人、
段を降りていく。



直立して迎える鷲羽の者たちは、
感に堪えぬように
視線を熱くしていた。

黙礼しながら
俺は手を取っている瑞月ばかりが
気にかかっていた。



庭園を出ると
咲さんが待っていた。

「二人とも
 お召し替えください。
 会場では、
 本日放映の番組を流しています。
 猶予は30分あります。
 30分ですよ。
 下に伊東さんが待っています。」




エレベーターの扉は閉じた。


一気に降りていく
エレベーターの中で
お前は身を寄せた。

「海斗、
 愛してる。
   いつも
   側にいるよ。」

ただ
そう言ったなり、
巫の装束は俺の胸に頬を寄せた。



温かかった。
温かかった。
時の狭間を抜ける旅は
この温かさと共にあった。



出会えてよかった。
お前に出会えてよかった。


二人ひたと身を寄せ合って
俺たちは地上へと降りていった。
二人、
足を踏み出す世界が待っていた。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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