この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。







午前10時、
開店を知らせるベルは
この特設会場にも響き渡る。

どのブースも
朝から忙しなく準備中の活気に
溢れていた。

うちは違う。
忙しなさは同じでも
活気は不安に消されていた。

実演販売は、
売り場の要だっていうのに、
うちはやり手がいない。


朝一番に電話が入った。

〝熱が下がらんのさ。
  インフルかもしれんで
   あかんかもしれんとよ。
   医者に連れてくけん。
   待っとって。〟

うちの商品は食べ物じゃない。
お客様の足を止めて
ちゃんと見てもらわなきゃ
伝わらない。


技術なのよ。
手触りなの。


みちのく紙‥‥‥‥。
絶やしちゃならない
絶やしちゃならないって
みんなで頑張った。


その技を
心を託してきた〝紙〟たちを
見てもらいたいのに!!


お父ちゃん
お父ちゃん
私がお父ちゃんの紙
みんなに見てもらおうって申し込んだのに、
実演ができないの。


お兄ちゃんが
来れないの。
どうしたらいいの?
空から見てるんでしょ?


ざわざわ

人のざわめきが
エスカレーターから這い登ってくる。
エレベーターが開き
人が溢れ出る。


トゥルルルルッ
携帯が鳴る。

〝あかん。
   インフルだってさ。
   杏ちゃん
   兄ちゃんは行けん。〟


踞る私。


シャン!
鈴の音がする。

タン!
足拍子が聞こえる。



静かなのね。
イベントなのよ。
だいじょうぶなの?
ふふっ
うちのブースも静かかな。



うわーっ
耳鳴りしそうな歓声と拍手。
私は顔を上げた。


「杏ちゃん!
   凄かったで
   見てみいや。」

叔母さんが
肩を揺する。


へー
可愛い。
可愛い子だな‥‥。

「始まるで。
   頑張ろ!
   あの子頑張ったでー。

   あんな細っこい子ぉが、
   そりゃあ頑張った。

   さあ
   お父ちゃんの紙、
   見てもらうんやろ?」




周りでも、
一斉に呼び込みが始まった。

中央では
続けてイベントらしい。
まだお客様は中央を向いている。

その賑わいに
エレベーターからは人が次々と
吐き出されてくる。


頑張ろう!
頑張ろう!
笑顔を忘れずに!!

私は目の前を流れていくお客様の流れに
必死に呼び掛け始めた。

「みちのく紙です。
   一枚一枚が手作りですよ。
   小物もあります。
   お寄りくださーい。」









「‥‥綺麗。」

甘い声に
可愛らしいイントネーション。

お客様のいない店先に
真っ白なセーターがふんわりと
立ち止まる。


触れたそうに伸ばしたまま
迷っている指も
白くて細い。
爪は桜貝みたいにほんのりピンク。


お父ちゃんに買ってもらったお雛様みたいな
ちんまりと可愛らしいお顔。


うちのお店に
お雛様がお客様にきてる。


「触っちゃだめだよ。」

凛々しい大将が
そっと手を押さえる。

「瑞月が欲しいものは
   買ってやってくれ
   って
   言われてる。

   どれにする?」


負けじともう一人の大将が
お姫様に申し出る。


「見本があります。
   触ってみてください。」



私は
染める前の紙を
お雛様に差し出した。



細い指が
お父ちゃんの紙を撫でる。


「柔らかーい。
   優しい紙だよ。」


お顔に花が咲いた。
あ‥‥さっきの笑顔だ。

この子、
最初に舞いを舞った子だ。
なんて邪気のない笑顔だろう。


私も笑顔になる。

「みちのく紙です。
   紫式部も清少納言も
   使ったんですよ。」



お雛様が
私の顔を見て小首を傾げる。

「‥‥‥‥お姉さん、悲しそう。」


最初の大将が
ポンと頭を叩く。
叱り役の大将かな。

だいじょうぶよ。
その子が意地悪で聞いてるんじゃないくらい
誰にだってわかる。

クスリ
って
私は笑った。


あれ?
私、
自然に笑えてる。

「ちょっと、
   なかなかお客様に足を止めてもらえなくて。」

「お嬢さん、
   お節介なようだが、
   事情がありそうだ。
   どうしなすった?」

くしゃっと皺を畳んだお顔が
ぬっ

突き出された。


お雛様の一行は、
お髭の左大臣様に率いられていたみたい。

画像はお借りしました。
ありがとうございます。


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