この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





エレベーターに並ぶ二人の背中が
催し物会場に踏み出していく。


思わず追おうとする俺の前で
不思議な風景が
展開していった。

四角い顔の男が、
すっ
と二人に近づく。

この群衆を率いる男は
連れ合いを
その男に託した。



連れ合い、
その言葉は自然に浮かぶ。
俺が取材するはずの巨大財閥総帥は
黒と白のファンタジーの中にいた。

なんてオーラだ。
素直に反応してしまう。

俺たちは
王の姿を追うだけだ。

王が
たおやかな者を
家臣に託す

華奢な肢体に
無垢な微笑みを浮かべる
その愛らしい姿。




武藤‥‥‥‥お前は繰り返した。

「先輩が
   これこそ報じるべきだ
   と
   感じることを報じてください。」


ある種突き抜けたオーラを纏う王者
その愛しむ天使は‥‥少年だ。
下世話な想像は誘わない。
まるで汚れを感じさせないからな。

だがな、
武藤。

これは報じるべきかは
わからないが、
報じれば大反響間違いなしのネタだぞ。




「内容をチェックしないのか?」

「僕が担当です。
   お任せします。」

「俺の勝手でいいんだな?」

「もともと勝手じゃないですか。
   先輩が報じるべきと感じたなら、
   それは報じるべきことなんです。

   そう覚悟しています。」

お前は
そう言って笑った。





王が愛しげな眸で少年を見詰め、
踵を返して前方に待っていた若い男に向かう。
武藤だ。

何事か話しながら動き出す王は
付き従ってきた民衆を
もう付いてこさせない。

僅かな間に
天使も姿を消していた。



ふっ

中心を失い、
会場はざわめく。

俺は、
そう民衆の一人だった俺も、
初めて会場に目をやる。




凄い‥‥。


昨夕下見に来たときには、
いつもに変わらぬ売り場の風景だった。
4月らしい春の新生活商品が
少しだけ出遅れた新生活を始める若者や家族を迎え
華やいでいた。




1日で城を築いたな。

中央に設えられたステージは‥‥春だ。
人の生活の春じゃない。
王の語りに浮かんだ
遥か東北の春が俺たちを迎えていた。


里山の春
海辺の春
土地に根づいた春の息吹きが
そこにあった。


ブースに溢れる様々な産物の前に立つ
法被姿の老若男女たち。
妙なことを言うようだが、
ここが都心ど真ん中だと忘れてしまう。



あえて言うなら
土と潮の匂いがする。

あかぎれとひび割れに節くれだった手を握り締め、
一文字に引き結んだ唇を突き出すように
しゃんと腰を伸ばして立つ老女。

頭に締めた黄ばんだ鉢巻が
語る頑固な思いが誇り高い老人。


見慣れた物産展の
垢抜けた小綺麗さがない。
小綺麗ではないことが至極自然だ。

ここに東北の大地がある。




俺たち町の者共は、
一瞬、
どうしようかと戸惑う難民になっていた。

王に連れられ
ここまでやってきたほとんどは、
賑わう町の空気を期待して駅を降りた烏合の衆だった。

彼らは
王を見失い、
見知らぬ土地に放り出された。




俺の頭には、
書き出しの一文が
よぎった。

「その心意気に打たれるものはあったが、
   あまりに剥き出しの思いが客には戸惑いを与えた。
   始まりの華々しさに集まりながら、
   その空気になじめず、
   客たちは散っていった。」

武藤、
お前には悪いが、
俺は見た通りにしか書かない男だ。




鷲羽財団新総帥就任。
ずっと表に顔を出さずにきた前総帥は、
〝御前〟と呼ばれる老人と
聞いている。

絶大な財力
張り巡らされた人脈
その力は知られながら
ひっそりと身を沈めていた龍が
沼を飛び出し天翔るという。


この取材は微妙だった。
どこまでを
どのように取材するのか。


俺に指名がかかった。
鷲羽財団のその意向が
読めなかった。





取材の打ち合わせに
お前が現れた。
やっと、
鷲羽が俺を名指しで指定した理由が分かった。


応接室に、
お前はいた。
社にいた頃には無縁の場所だったろう。
俺も未だに無縁だ。


豪奢な部屋に
臆することなく自然なお前がいた。
お前はにこっと俺に笑いかける。

俺は自然に呼び掛けていた。

「武藤!
   久しぶりだな。」




先輩が報じるべきこと‥‥か。
ブースを回ろう。
この物産展にかけてきた思いがあるはずだ。
それは報じるべきことだ。

俺は
呪縛を解かれた民衆とともに
動き出そうとした。




そのときだ。




りーん
りーん

鈴の音が会場に響いた。


「皆様、
   ようこそ
   おいでくださいました。

   ここにありますのは
   かの災害を越えて実りました
   自然の恵みでございます。

   五穀豊穣
   それを祝い、
   幾久しくと祈る舞をご披露致します。」

慈母の声が
会場を包んだ。

開きかけていた人の動きが止まる。




深い青とも緑とも感じる被衣を頭上にかざした
白装束に紅袴の姿が
中央の春の大地へと
向かっていた。

顔は‥‥見えない。
いや
紅を差した口元が見える。
小さな顎だ。
白粉に喉までが白く塗られている。





シャン!
鈴の音が
賑やかに祭儀の始まりを告げる。



その被衣姿を囲み
紋付き袴の男たちが進む。


タン!
タン!

男たちが
突き立てる杖の音が
空気を変えていく。


大地から
何かが呼び起こされていく。
そう
ここに集う東北の大地が
俺たちを抱いたままに
現出した。




なんだ
俺たちも
ここにいたんだ。
そんな感覚が俺を浸した。




同じ感覚が
周り全てを浸していくのがわかる。

人々は大地に足を踏みしめ、
一点に、
その内掛けの主に、
視線を集めた。




気が付くと
ステージには
紋付き袴に身を包んだ若い男が
端然と座っている。


被衣姿がステージに上がった。


さっ

被衣が払われる。
その顔が現れた。

烏帽子に
白塗り
目元には微かな紅が入れられている。

‥‥‥‥美しい。
ただ美しかった。


大地を覆う翠と海の蒼を翻し、
ゆったりと舞うのは、
天女だろうか。


被衣にかかる白魚の指先に、
はらはらと散り初める花びらが見える。

仰ぐその花の顔に
恍惚と浮かぶ微笑みは
地にある恵みを寿ぐ。

トン!
軽やかな足捌きに
床が鳴る。


控えていた若者が
じりっと進み出た。
その手に被衣を受け取り
太刀を捧げる



白装束に紅袴
巫は
太刀を双手に捧げ持つ。

若者が鞘に手をかけた。

すらり

抜き放たれた剣が光を弾く。



シャン!

タン!


シャン!
タン!


調子が変わる。


きらり

きらり


剣は閃く



烏帽子が床に届かんばかりに
その背はしなる。

くるり
くるり

袖は翻り
床は鳴る。


俺たちは手に汗握る。

ひらりっ

巫は跳んだ。


ターーーン

剣を薙ぎ、
その床鳴りのままに
巫は伏している。




若者が立ち上がり、
巫に手を伸べた。
巫は顔を上げる。

わっ可愛い!
え?
あ、あの子じゃないか!!


にこっ

無邪気な笑顔が咲いた。




誰かが
おおっ

最初の声を上げた。

うわっ
と歓声と拍手が会場を満たす。



紋付き袴の若者に手を取られ
二人一緒に
深々とお辞儀する少年。


魔法が解けた後には
すっかり
東北の大地に心を一つにした人々が
残された。


少年は愛らしく
ニコニコと
何回も何回もお辞儀する。



可愛い!

可愛いねぇ

女の子?

男の子?

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。



みんなを虜にしたじゃないか。
可愛い天使にしか
見えないんだけどな。

さっきまでの妖艶さも迫力も
嘘みたいだ。





「先輩!」

振り向くと武藤がいた。

「報じるべきは決まりましたか?」

武藤の眸が
ひたと
俺を見詰める。



「東北の再生を寿ぎ
   幾久しくと祈る祭典だ。

   客を巻き込み、
   共に祈る
   東北の友としたイベント。

   ‥‥で決まりだな。

   後は
   再生までの被災地の尽力を
   ブースで取材する。」

俺は応えた。
武藤は、
あの時と同じく泣き笑いみたいな顔をした。

一緒に政治を、経済を追いかけようぜ

俺が声をかけた時と。



「ありがとうございます!」

いい奴だよ、お前は。
したたかなくせに純なお前は
お気に入りの後輩だった。


「テレビはどうした?」

「今、
   先輩が仰有ったまんまのコンセプトで
   編集してもらいます。

   影響力ありますからね。
   お任せにはできません。

「なぜ、
   俺にはお任せにしたんだ?」

「先輩が本気で書いてくださらなきゃ。
   テレビはお手盛り番組って
   思われるでしょ。

   辛口記者の本気をいただいて
   初めて成功です。」


俺は
つくづくと
かつて可愛がった後輩の顔を見詰めた。

口を開こうとした時、
アナウンスが始まった。





「さあ、
   物産展初売り開始でございます。

   手始めに
   マグロを御賞味ください。」


ジリジリジリジリっ


魚市場か?

ベルが鳴り響く。


大間マグロか。
青森最北端から応援ということか。

ん?
あれは‥‥‥‥。


「鷲羽代表自ら、
   皆様にマグロを切り分けます。
   どうぞ御賞味を。」


ざわざわは、

うわーっ


なった。


濃紺の作衣。
精悍な肉体に端正な顔立ち。
優雅な野生が薫るようだ。


どこまでも攻めるね。


「おい!
   サービスは凄いが、
   恥をかいたら逆効果だぞ。」

「平気です。
   見事なものですよ。」

「練習したのか?」

「一度見てもらいました。
  見ればできるって言うから。」





代表は、
迷いのない手つきで尾を落とし、
頭を落とす。

「‥‥‥‥‥‥。」

「できました。
   できないことないんです。

   可哀想になるくらい
   何でもできます。」

腹を割いていく手つきが
美しい。
無駄のない動きは美しいものだ。

フェロモンが会場を満たしたな。
女性客が
大変なことになってる。

手に手にスマホだ。
スマホの海か。


‥‥‥‥そう言えば、
舞の間は
誰も動かなかったな。

あれは、
そうできないものだった。


「で、
   できないことはない男に
   苦手はないのかい?」


武藤は
じっと俺を見詰める。

そして、
目を逸らした。


武藤の見遣る方向の小さなドアが開いた。
ふんわりセーター姿になった天使が
出てきた。

パタパタと
ステージに駆け出そうとする天使を
二人の若者が止めている。

一人はステージの若者だ。
後ろには
さっきの四角い顔の男。

生き生きと輝く眸がステージの代表を
見詰める。
可愛いお口が、
いっぱいに開いた。



「カイ‥‥」

二人の若者が
天使の口を塞いだ。

天使が
じたばたしている。



「〝かい〟って何だ?」

「さあ、何でしょうね。」



天使が、
ようやく大人しく
二人に従って
ステージに向かう。


天使に気づいた代表が、
微笑みかける。


天使の顔が
ぱーっ

輝く。


「代表の名前は?」

「鷲羽海斗です。」

「海斗ね。」

俺たちは
しばらく黙っていた。



「コンセプトは変わらない。
   大したイベントだ。

   パーティーで会おう。」

俺は宣言した。



「ありがとうございます!」

武藤は頭を下げた。


あの天使が
代表の弱点か。
報じれば凄い話題だ。



だが、
報じるべきは別にある。
鷲羽財団は新たに出発した。
人々と自然との共生を、
その再生をコンセプトに出発した。


大切なことは
そこにある。


神聖な舞いだった。
鷲羽の心を舞うものだった。

俺の中にもあった
ちっぽけな邪心も
天使の剣に一刀両断だ。


次はパーティーだな。
俺はブースへと向かう。
取材に入ろう。



画像はお借りしました。
ありがとうございます。



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