黒猫物語 阻止せよ 15
NEW! 2016-09-24 21:17:12
テーマ:クロネコ物語

この小品は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





響き渡る鈴の音とともに、
昼下がりの音楽室の風情は一変した。

窓ガラスは
夜の闇に沈み
黒々とした闇の深さを感じさせる。



夜?
夜になった?

西原は
跳ね上がるようにして
立ち上がった。


跳ね上がって気づく。
高遠も同じだったようだと。


若者たちは、
鈴を掲げる瑞月に寄り添って
その左右を固めた。


瑞月は、
きっと
闇に沈む窓を見詰める。


「だいじょうぶ。
退くときは
綺麗に退いてくよ。

バンッ
て散るかもだし。」


瑞月の唇が
〝消えろ〟

動く。


闇は
何の変わりも見せない。


あ…………と、
瑞月がたじろぎ、
ふーっ

音楽室に渦が生じる。




担任は
落ち着き払っている。


「何か
見えるものが
変わったのですね。


私には
同じ音楽室です。

何一つ変わりません。

ただの
目眩まし。

心を取られなければ、
何の害もない。

心のもちようです。」



クスッ
ウフフフフフ…………。

男の忍び笑いだ。


渦は
ステージ上に収斂し
すっと
一人の男の姿を結んで消えた。




黒の着物に
金糸をあしらった帯を締め、
僅かに右肩を引いた
鮮やかな立ち姿。








そこに
黒地に金と赤をあしらった内掛けが
肩から流れ、
さらに
その上を見事な黒髪が流れ落ちる。


前に引き回した裾には
孔雀が見る者を睨んでいる。


そして、
その面貌は
窺い知れない。


男は
童子の面に
顔を覆っていた。



呆気に取られて
若い三人は
ただ
見詰めていた。


面から覗く肌も
内掛けを引く手も
人のそれだった。


黒い塊を予測していた瑞月は、
混乱しながらも、
きっ

見詰める眸に力を込めている。



男は
三人に構わず、
水澤教諭に話しかける。



「相も変わらず
冷たいことを
言う口だ。

挨拶に参ったまでのこと、

深水よ
久方ぶりだな。」


「私は〝深水〟というのですか。

残念ながら
長の記憶しか
持ち合わせておりません。

何事も
囚われては
判断を誤るもの。

あなたの記憶は不要なようです。
初めましてが
順当でしょう。」


面から
くぐもった高笑いが
洩れる。


ずいっ

男は瑞月に向かう。


若者二人が
立ち塞がる。


「おや、
二人で守るとは
笑わせる。

どちらのものでもあるまいに。
競いあっているのだね。」


からかうように
なぶるように
男の声は流れ込む。


「うるさい!
俺は瑞月を守るんだ!

そう誓ってんだ!
守ってるから
ここをどかねえぞ!!」

西原の叫びは、
応えられる。


「おーや
それなら
昨夜の夢は
何なのだろうな?」


はっ

後ろを気にする西原に
応えは容赦なく降り注ぐ。


「その子が
お前に唇を与える。

〝トムさん大好き〟


残念だったな、
目が覚めて。

その子の体の柔らかさは
知ってるんだ。

お前の気持ち次第で
簡単に
手に入る。

目覚めたお前が
何をしたか
今、
言ってやろうか?」


西原が慟哭する。

「よせーーーっ!!

違う…………。

違うんだ!!」


肩を震わせ、
涙をあからさまに流しながら


何としても
後ろの少年に顔を見られたくなくて
その思いに
身を縮ませながら



それでも、


震えながら
必死に
男を睨み付けて
西原は立ち続けた。




涙を浮かべる西原を
空気のように
男の袖は
すり抜ける。


ふわりと
高遠に向かう男の声音は
優しくあたたかい。



「こっちは
なかなか
正直だ。

なあ、深水。

ちゃーんと相談できたな。

欲しくて
欲しくてたまらない。

大したものだ。」


表情を変えず、
高遠は
手を横に凪ぎ払った。


その手は
何の抵抗もなく
その幻を通り抜けた。


「西原さんも
袖をすり抜けました。

実体はないんですね。

でも、
どきませんよ、
俺たち。

面と向かわせたくないんです。」


男は
面白そうに
腕を組んで首を傾げる。


「自分を欲しくてたまらない男たちを
目の前に二人か。

贅沢なものだな、
私の月よ。」



「あなたのじゃないです。
俺のでもない。

瑞月は、
ほんとのところを
見てくれます。

俺たちのほんとのところ。
それは、
守る思いです。


先生は
〝心のもちようだ〟

仰有いました。

俺たち、
あなたを実体化させませんでした。

大事なとこは
揺れてない。

そういうことですね。」


高遠は、
淡々と〝童子〟を見返す。




その高遠を突き通し、
男の視線は
瑞月を捉えたようだ。



高遠などいないかのように
その胸あたりに
語りかける。




「私が愛でた月を
近々と眺めてみたかったのだよ。

愛しい私の月よ



可愛い子だ。
お前の声を覚えているよ。


私の奏でるままに
お前は啜り泣いた。

お前はね、
私のものだったのだよ。



だからね、

ほら
お前の勾玉では
術は破れない。

私は消えないだろう?」


〝童子〟の声は、
瑞月の肌をまさぐるように
からみついた。


その手に
嬲られる瑞月の
あられもない姿が
その声に浮かぶ。




西原と高遠は、
体を杭で緩慢に貫かれていくに似た痛みを
耐えていた。





「トムさん!」

唐突に
突き抜けた無邪気な声が
昼下がりの音楽室に響いた。


その声に
今に
引き戻されて
西原は狼狽える。


するりと
前へ抜け出た瑞月が
西原の唇に唇を押し当てる。


「トムさん
大好き!!

守ってくれてありがとう!」


唇が離れ、
見上げる満面の笑顔を
間近に見て、
西原は、
言葉を失った。


ふつふつと
温かいものが込み上げる。


愛しい
愛しい
大切なものが
そこにいる。


そうだ。
俺は天使を守る男だ。
なんだ。
それだけのことじゃないか。







くるっ

瑞月は身を翻し
高遠の腕に身を投げる。


「たけちゃん

僕、
僕でいいの?

たけちゃんの一番。」



高遠は
噛み締めるように
静かに応えた。

「お前だ。

俺が守りたいのはお前だ。
守りたいんだ。」



瑞月は
また
踵を返した。


〝童子〟を
見詰め
小首を傾げる。





「僕、
あなたなんか
知らないよ。

僕を愛してくれたのは
海斗だよ。

お面とっても
わからないと思う。

だって
僕の体を奏でるのは
海斗だけだもの。」


クスッ

水澤教諭が笑う。



「私は
今も導師をしていましてね。

この三人は教え子です。


さて、
瑞月君、
踊れるかな?

よーく
音を聴いて
ただ舞えばいいんだよ。



お客人、
たかが目眩ましに
勾玉二つは大袈裟でしょう。

本体は離れていても
少々ご不快な思いはするはず。
御覚悟ください。」



びぃぃぃぃぃぃぃん…………。


かっちゃんの喉を震わせ、
不思議な旋律にのり、
透き通る声が
響き渡る。




燭一火。
入見之時。

瑞月の体が
しなう。

穢れている

穢れている


宇士多加禮斗呂呂岐弖於頭者大雷居。

於胸者火雷居。

於腹者黒雷居。

陰者拆雷居。



ここは穢れている。

投げ掛ける腕に

踏み出す足元に

闇は吹き出し

瑞月の操るままに

のたうち

暴れる




「深水!!」

鋭い声が
空気を裂いて飛び
キーン

弾かれる。


翠の尾を引いて
害意をもつ見えない矢は
力を失っていく。




闇を操り

舞い狂いながら



弧を描いて

ぐんぐん大きくなる

透き通った光の球体が

そこにある。



………………

并八雷神成居。

於是伊邪那岐命見畏而。


瑞月の足が
床を
トンと蹴る。



光の矢が

床を割り四方へと
真っ直ぐに
放たれた。



逃還之時。

其妹伊邪那美命言。

令見辱吾。

即遣豫子母都志許賣令追。



沸き上がる闇を縫い

急調子に

その体は回りながら

床を巡る。



天に差し伸べる手に

翠の光が落ちる。



爾伊邪那岐命取黒御鬘投棄。


乃生蒲子。

是[才庶]食之間逃行猶追。



その手を
降り下ろし

深く身を屈める。




光は床を舐め、

闇は

絡め取られて

散り散りに消えていく。



逃來。猶追。
到黄泉比良坂。
坂之坂本時。
取在其坂本桃子三箇持撃者。



いまや
光り輝く球体の中央にあり、
水澤教諭は
淡々と呟く。



「ああ、
ご自由にお帰りいただきたかったのですが、
申し訳ない。



教え子は歌い始めたら
止まりません。

歌が止まらなければ
舞いも終わりませんな。」



既に

呼び起こした闇はない。


ビリビリと震える〝童子〟の面だけが

光の中央に

浮かんでいた。



舞は、

最後の狂おしい回転に入った。



最後其妹伊邪那美命。

身自追來焉。

爾千引石。

引塞其黄泉比良坂。


タン!

最後の回転を
一息に
止めて床に降りた一足に
舞いは終わった。


〝童子〟の面が真っ二つに割れ、
床に落ちる。


割れて白茶けた欠け口から、
サラサラと
塵に変じていく。


そして、


ザッ

巻き上がり
その塵さえも消えた。



びぃぃぃぃぃぃぃん


最後の一音を

水澤教諭が響かせ、

瑞月は舞いのポーズを解いた。



ミヅキ

ミヅキ

ミヅキ

ミヅキ


ミヅキ

ミヅキ

瑞月!




え?


いうように
瑞月は
周りを見回す。


渾身の舞いを舞った巫は、
ぼんやりと
自分を抱く腕に目をやる。


眸が
何かに気づいたように
光を宿す。


そして、
巫は長にしがみついた。


海斗

海斗

海斗

………………


ただ自分の名を呼ぶ
愛しい者を
長は抱きしめていた。


戻ってくれた。

戻ってくれた。

窓は
斜陽に赤く
間もなく日は暮れようとしていた。



画像はお借りしました。
イラストはwithニャンコさんに
描いていただきました。
ありがとうございます。