黒猫物語 浮舟の選択 エピローグ
NEW! 2016-08-23 00:39:12
テーマ:クロネコ物語

この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





赤いテールランプが
次々に
迫ってきては
フッ

背後に消えていく。


日付を跨がずに
屋敷に戻れそうだ。


俺たちの総帥は
運転技術は申し分ない。

このスピードで
この滑らかさだ。
後部座席の皆は
気持ちよく寝られるだろう。


パーティーまで
1ヶ月だ。


披露の準備が
本格的に始まる。


取材も
慎重に受ける。
会食も
幾つかこなしてもらう。



就任演説の
プランニングは
重要だ。


俺は、
明日から
忙しい。


海斗さんは
明後日からだな。
明日は
瑞月とのオフだ。


ある意味、
とっても忙しいだろう。


だか、
まあ、
総帥自ら運転とは、
珍しい総帥もいたものだ。

伊東さんは……寝てないな。
このスピードに
おろおろしてるかもしれない。



「なぜ運転を?」

俺は、
聞いてみた。




「内緒話が
できるからな。」

海斗さんは応える。



そして、
黙り込む。




俺は、
カナダを思い出した。
瑞月抜きで相談できたのは、
いつも車だった。



だから、
話し出した。


海斗さんは、
自分のことは
不器用な人だから。




「道子さんの亡くなられた場所、
行けませんでしたね。」



海斗さんは
応えない。



俺は続ける。


「瑞月は……連れていけませんね。」




海斗さんは
応えた。

「いや
瑞月は、
行かないことを
気にしていた。


あの子は
道子と俺のことは、
何も気にしないだろう。

道子と自分を
まったく別に考えている。」



俺は、
黙って促した。

屋敷まで
時間は限られている。


海斗さんは
話したいはずだ。





「たぶん
俺が、
まったく別に
考えているからだ。

道子には
今日会えたと思う。

いつか、
一人で会いにいくつもりだ。

道子は
俺に
夢をくれた。

普通の幸せの夢だ。

俺には
縁のないものだった。」



フツーは難しそうだ。

あなたは
とりあえず
フツーではない。




「女性と付き合ったこと
なかったんですか?」


まさか

からかうつもりで
尋ねた。


「ああ。」


ああ?!



いや
それはないでしょうよ。


俺は知ってますよ。
カナダでは何度も実演を見てるんだ。



抱かずに堕とす。
的中率100%
撃墜に要する時間は15分前後。



「すごく経験豊富ですよね。」

恐る恐る確かめた。





「………………

面倒だから
抱いていた。

抱きたいと思ったことはない。」


い、言ってみたい台詞No.1だな。





何なんだろう
この人のフツーって。

直球でいいか。


「じゃ、
フツーって
何ですか?」


「庭で
子どもと俺が
遊んでいる。

食事だと呼ぶ声がする。

そんな夢だ。」


…………なるほど。




「その夢、
女性が
面倒だった頃は
見なかったんですか?

相手は
山ほどいたでしょう。」




「考えたことがない。」




「………………。」





この人は
凄い切れ者だ。



警護班は、
人が読めなきゃ
務まらなかったろう。


そして、
海千山千の爺さんたちに
総帥となるに相応しいと認められた。


本当にフツーの人間が
逆立ちしても
追い付きはしない
高性能のスーパーカーだ。





でも、
この人は、
不思議なほど
知らない。


そう
俺たちが
当たり前に思う感覚を知らない。


研ぎ澄まされた銘刀は、
台所には
置けない。


銘刀には
包丁の気持ちは
分からない。



「海斗さん、
道子さんは
あなたに
何をくれたんですか?

フツーの夢を
見たくなる
何が
あったんです?」



「あなた、
空っぽよ。

と言われた。」




「で?」



「夕日が綺麗だ

言われて
夕日が綺麗だ

知った。」


「…………。」





「一緒に食べると食事が旨い
と言われて、

旨いと思った。」


「………………。」





「あなたは寂しいのよ
と言われて、

横にいてもらうと
温かいと
感じた。」


「………………。」





「一緒にいたいと
思った。

ずっと一緒にいたら
ずっと温かいと
思った。」




自分が寂しいことも
知らなかった
獣王。



空っぽを埋めたら
温かくなると勉強した
獣王。



空っぽは
また
空っぽになった。



「道子さんを
思い出しますか?」


「ああ」


「どんなときですか?」


「……………………。」




言わなくてもわかる。
温もりの与え方に悩むときだ。
不器用な狼なんだから。






俺は
「たられば」は
語らない。


それをしても
誰も
何も
先には進めない。




この寂しい狼に
人の温もりを教えて
天に帰っていった天女がいた。




温もりを覚えてしまった狼は、
天女がいない世界に
生きる意味を失っていた。





寂しい狼は
ある日
もっと寂しい仔猫に出会った。




狼は
仔猫を守ろうと
必死に生きた。



気がついたら
その仔猫が生きてくれることが
狼が生きる意味になっていた。




気がついたら
仔猫が微笑んでくれることが
狼の望みの全てになっていた。





この二人は
勾玉を待つまでもなく
一つに溶け合っていた。


「もう
無茶はだめです。」


「何だ、急に?」


「瑞月は
道子さんとは
違う。


今から
大人になっていくんです。


あなたをひっぱたくのは
悪くない気分ですが、
瑞月がらみでは
一度で十分です。



学校頑張らせましょう。
社会勉強は大切です。



いいですか?


僕が預かったとき、

マクドナルドも
ファミレスも
コンビニも
スーパーも

一人じゃ入れなかったんですよ。


瑞月は
一人立ちさせるんですからね。」




海斗さんは
しばらく
御託を並べていた。



俺は、
だんだん
新米ママを諭す
ベテラン保母さんの気分になった。



お母さん、
子どもは
いつか
巣立つものです。