黒猫物語 浮舟の選択 幕間 外出 7
NEW! 2016-08-11 06:20:49
テーマ:クロネコ物語

この小説は純粋な創作です。
実在の人物・団体に関係はありません。





教室は、
朝のホームルームを終えていた。

たった10人のクラスは、
今日も全員は揃っていない。


てんでに
なんとなくマサさん周辺で
おしゃべりしている。


俺も瑞月を連れて
マサさんに挨拶だ。


おはようございます!

応えて、
マサさんは
嬉しそうに目を細めてくれる。



「おう
タケル
遅いじゃねぇか。

瑞月ちゃん
心配したぜ。」


うちは
マサさんが事実上の担任だ。

「すみません
級長。

ちょっと電車降りちゃって。」



マサさんは
何でも受け止める。


「降りたぁ?

まぁ
後で聞くさ。

担任が代わるとさ。
びっくりだろ?」


面白そうに目を輝かせ、
マサさんは
どうだ?
と聞いてくる。


「いえ、
俺たち、
新しい担任と一緒に来たんです。

その先生を痴漢と間違えちゃった人がいて…………。

代々木から
タクシーで一緒に来ました。」


新情報にも
マサさんは
聞くべきことを聞いてくれる。


「痴漢だぁ?

瑞月ちゃんや
そいつは
ホントにだいじょうぶか?」


だから
マサさんは
クラスのお父さんだ。


「あ、あの……
僕が
勘違いして悲鳴上げちゃって」


マサさんは
瑞月を見上げて
渋皮みたいな味のある顔に
ふんわり
笑顔を浮かべる。


瑞月は
マサさんの顔で
ほっとして
にこにこ笑顔を取り戻す。


マサさんは
ほんとに
デカイ人だ。
父さんの次に尊敬している。


水澤先生…………だいじょうぶかな?

すごい先生だろうって思うけど、
うちは
もう
マサさんのクラスで固まってる。



「タケル
かっちゃんが来てる。

あいつは
お前には気を許してる。

挨拶してやれ。」


「はい。」





かっちゃんは
30歳になるけれど、
いつもは
家から出ない。


学校も
あまり来ない。

学期が終わる頃になると
来る。



髪は竹箒みたいに伸び放題だ。
触らせない。

まだ慣れない頃、
うっかり
触った奴は
みみず腫を作った。

爪も切らない。
とにかく
触らせない。


それが、
かっちゃんだ。





いつも、
頭が白くなりかけたお母さんが
教室の入り口まで
連れてくる。




かっちゃんの席は
指定席だ。


お母さんの頼みで
窓際に
座らせてもらってる。


逃げちゃうからだ。
入り口が近いと逃げちゃう。


でも、
外で動けなくなるから
迷子札を見て
お巡りさんから
お母さんに連絡が行くんだ。


かっちゃんは
口をきいたことがない。


俺は
かっちゃんの
お気に入りだ。


逃げないし、
触らせてくれる。




「かっちゃん
おはよう」


声をかける。

「おはようございます。」

瑞月も
俺の横から
覗き込む。


かっちゃんが
ゆっくり
振り返る。



ボウボウの頭だから
目が影になる。
動かないけど
食べもしないかっちゃんは
とても痩せている。


影から覗く目は
とても細い。
外を見てるときは
すごく大きいと
偶然見た奴が話してた。


でも、
いつも
俺が見るかっちゃんは
やっと目が開いているくらいに
細い目をしている。



振り返ったかっちゃんは
俺たちを
トロンした色のない目で
見てくれた。



細い目が
細いまま鈍く光った。


そして、


ぐわっ

目の前で
かっちゃんの目が広がった。


広がって
広がって
怖いほどでかい。




かっちゃんの
枯れ木みたいに細い腕が
ニュッ

伸びる。


ぺたり
瑞月の胸に
掌が張り付いた。




瑞月は
ヒッ
と息を引き、
それなり固まった。



かっちゃんは、
でかいでかい目で
瑞月の胸を見詰める。





俺は、
まず
瑞月の前に出た。


視界を遮られ
かっちゃんの目が泳ぐ。


瑞月は
張り付いた掌から
体を反らすようにして固まり、
呼吸が乱れてる。



怖いんだ。
怖くて動けない。


待って
瑞月
ちょっと我慢して


かっちゃんは
多田とは違う。
瑞月を抱きたい男じゃない。


瑞月が
見えなくなって、
手の先が
見えなくなって、
かっちゃんは止まる。



ふーーっ

かっちゃんの目が細くなった。




俺は
そっと
かっちゃんの手をとり、
瑞月から剥がした。


ハッ
ハア…………。


背に瑞月の呼吸を聞きながら、
俺は
かっちゃんの目を
見詰め続けた。




その手を
かっちゃんの膝に置くと、
かっちゃんの視線も、
膝に落ちる。


膝に置いた手を
そっと
撫でながら

「じゃ
行くよ」

声をかける。


聞いてるのか
聞こえてないのか
かっちゃんは
いつも
応えない。



俺は
振り返り、
瑞月を抱え、
ゆっくり離れた。


教室中が
俺たちに注目してた。


マサさんが
手招きしてくれて
俺と瑞月は
安全地帯、
つまり、
マサさん周辺に戻った。


瑞月は
俺の腕の中で身を捩る。
固い。
呼吸が切迫してる。
俺の腕を…………こわがってる?



マサさんが
察したように
瑞月を
抱きとった。


瑞月も
マサさんに
抱かれて目を閉じてる。



今は、
俺でも、
いや
海斗さん以外、
〝男〟はダメだ。



マサさんは
格好いいけど、
すごく強いけど、
めっちゃ男だけど、

おじいちゃんだ。


おじいちゃんが
優しく
言い聞かせる。

マサさんの声が
瑞月に入ってくのが
見えるみたいだ。




「すまんかった。

かっちゃんが
誰かに触るなんて
初めてでな。

怖かったな
怖かった。

乱暴はせん子じゃ。
それに、
坊をどうこうしたい子でもない。

綺麗なもん見て
驚いたんじゃろ。

許してやっておくれ。」


白雪姫を囲む小人みたいに、
残りの俺たちは
マサさんと瑞月を囲んだ。


王子様は不在だが、
老いたりといえど立派な騎士が
姫を抱いている。


瑞月が
目を開け、
ふーー
と長く息をついた。


マサさんに
抱っこされてる自分に
驚いてる。




俺たち7人の小人は、
思わず
にこにこしてしまう。




マサさんが
にこっ

俺を目で示してくれる。




瑞月は
俺を見てほっとしたように
腕を伸ばす。




俺に細い腕を、
かっちゃんとは違う細い腕を
差し出してくれる。


かっちゃんは
人が分かって手を伸ばすわけじゃない。


俺を求めてくれる瑞月が、
心の底から愛しくてならない。


「おいで
瑞月。」


マサさんから
抱き取りながら考えてしまう。
俺って…………いい魔女みたいなもんかな。


いや白雪姫には小人だ。
うーん
でも、
7人のその他大勢じゃないぞ。
それは違う。


瑞月は、
オーロラ姫?
いや3人だ、これも。



うーん
白の騎士……かな。
鏡の国のアリスに出てくる白の騎士。


読んだんだ。
白い騎士でありたかった男性の話。
ただ力になりたい。
守りたいんだ。




瑞月の体は柔らかい。
愛らしい顔に
無垢な笑顔……。

抱いたら
どんなにか溺れるだろう。
想像しちゃう。




瑞月を抱く自分か……。
不思議と
今は、
側にいると、
かえって
欲情は感じないんだけどね



だって
瑞月が一番怯えるのは、
自分に欲情する男だ。
ブレーキかけてんのかな、俺。


でも、
さっきみたいなときは
だめだ。
怯える。


俺も男の匂いはするみたいだ。
抱こうと思ったら
自分を自由にできる男は
全員却下だ。


落ち着いたね、瑞月。
俺の腕の中で
呼吸を整えてる。


マサさんが
自分の水筒を
差し出す。


「うまい水だぜ」


有り難く
瑞月の唇にあてる。


コクン
小さく喉を動かして
瑞月は飲んだ。

ピンクの唇が
濡れて赤みを増すようだ。
そっと唇を指で拭ってやる。


「ありがとう
もう
だいじょうぶ。」


瑞月は、
ようやく、
俺を見上げて
微笑んだ。


ほっとして、
顔を上げると
教室前の入り口に
人影が見える。


俺は
瑞月を
そっと胸から離した。



最初に入ってきたのは、
おたかさんだ。

次に水澤先生。
そして、
西原さん。


大人クラス
通称「寄り合い所」

始まるぞ。


「起立!」

俺たちは
ビシッ
と立ち上がった。