お昼前にホテルに戻り、チェックアウトを済ませ、荷物を預け、
時間がなくて行けなかったAmerican Memorial Parkに。
入り口入ると受付のおじさんが気さくに話しかけてくれる。
がしかし、そんなに英語しゃべれないから途中で億劫になる。
とりあえず、20分間のムービーがあるから見るか?と聞かれたので観たい!というと
君が知っていることと違ってとても辛くショッキングな内容だけど大丈夫か?と。
イエス!と伝え、試写室へ。
20分後。
本当になんて言葉に表したらいいのかわからなくてただ気づいたら涙が溢れてた。
第一次世界大戦や第二次世界大戦やパールハーバーは小学校で習った記憶があるんだけど、サイパンでの話は初耳だ。
サイパン旅行2日目に訪れたバンザイクリフやスーサイドクリフから沢山の人が身を投げる姿や、サイパン島への爆撃風景。
ラスト・コマンド・ポストに撃ち込まれるたくさんの銃弾。
沢山の屍体の山。
そして、1941年。サイパンの隣の島「テニアン島」から飛び立ったB-29爆撃機が広島や長崎に原子爆弾を落としたこと。
日本が、アメリカが、誰が悪いということではなく、
もう二度とこんな悲しいことはおこしてはならないと心に刻みました。
そして、こんなに幸せな日本を、サイパンを立て直してくれたおばあちゃん世代の方々に本当に感謝しなければならないなぁと思いました。
私が毎日笑って過ごせるのは、おばあちゃんたちの世代の方が戦後から一生懸命復興させた世界なんだよね。
決して忘れてはいけない過去。風化させてはいけない出来事なんですよね。
今年はオバマ大統領が広島訪問することに対して、いろいろな賛否の声が上がっていたけれど
今年で終戦71年を迎える日本。
若い人たちにももっともっと語り継いでいかなければいけないことだし、真実を曲げず正しいことを学ばなければならないと思った。
教科書が全ての真実ではない。
館内を見た後、受付のおじさんと少しお話。
おばあちゃんがサイパンで生まれたことを伝えると、戦争をサイパンで経験した人たちがよく旅行でメモリアルパークにきて当時の話をしてくれるんだと言っていた。
日本の人たちは、第二次世界大戦中のサイパンの爆撃を何故、義務教育で教えないんだろうとも言っていた。
そして、またおばあちゃんを連れてここに戻ってきてねと。
無知と無関心は本当に恥ずかしいこと。
サイパン旅行で最終日に、サイパンの歴史を知れて本当によかった。
後は、普通に飛行機乗って普通に帰ってきました。笑
誕生日当日は、もう大人になると誕生日とかみんな働いてるよね。笑
私は疲れて泥のようになってるので一刻も早く家に帰りたいです。笑
台湾連載する前にサイパン旅行記の連載をしてしまったので台湾連載はないかな?笑
でも、本当に濃い4日間でした!
まさか、初日に合流するはずの家族がクアムで足止めされて会えないとも思ってなかったしね。笑
どうなることかと思ったよ!!
だけど、お父さんお母さんの楽しそうな顔も沢山見れたし
何より、サイパンに死ぬまでにもう一度行きたいと言っていたおばあちゃんと一緒にサイパンに行けたことがとても嬉しかったです。
おばあちゃんは、疲れたってことを1度も言わずに、私たちの強行突破なミッションに付き合ってくれました!
途中でぽっくり死んじゃうんじゃないかと心配になったくらい。笑
いつもニコニコして、明るく元気なおばあちゃんが大好きです
もう、今から来年の家族旅行が楽しみです!
おわり
鈴木優梨