はじめに

僕がプロレスにハマるきっかけとなり、
今でもずっと一番好きでやまない団体

ドラゴンゲート(略してドラゲー)は、
今年で団体設立25周年を迎えました❗️

さらに今年は辰年🐲
まさに龍を祝うに相応しい一年ということで、

"新世紀プロレス"や"最先端バトル"
とも形容されるドラゲーの魅力や、四半世紀にも及ぶ団体の歴史を紹介していきます!






⓪ 龍の原点と遺伝子


1997年

世界を股にかけて活躍していた日本人レスラー ウルティモ・ドラゴン が、メキシコにプロレスラー養成学校「闘龍門」を設立。


(画像出典:dragongaterecords.com 以下略)


彼自身 体が小さく、当時の日本の規定ではレスラーになれなかった経験から、

闘龍門では身長・体重制限を撤廃。


ウルティモは校長という愛称で親しまれ、
一番弟子の マグナムTOKYO や、後に団体のエースとなる CIMA 、龍のマスクを受け継いだ ドラゴン・キッド など、

彼を慕ってレスラー志望の若者が集まり、これまでに数多くの日本人レスラーを輩出。

今やプロレス界を代表するトップスターとなったあのオカダ・カズチカも闘龍門出身です。



① 日本逆上陸の衝撃


1999年
生徒数・選手数が増えた闘龍門は、兵庫県神戸市に拠点を置く「闘龍門ジャパン」を旗揚げし、日本でも興行を始めました。

↑マグナム率いる「正規軍」


↑CIMA率いる「クレイジー・マックス」


マグナムとCIMAの二大看板に加え、
空手出身の外敵 望月成晃 や、関節技が得意な若手 ミラノコレクションA.T. をはじめ、
個性豊かな人気選手が揃い、一躍 人気団体へと急成長していきました。

↑望月率いる「エム・ツー・ケー」


↑ミラノ率いる「イタリアン・コネクション」


小柄な体格とメキシコのプロレススタイルである"ルチャリブレ"を活かしたスピーディーかつアクロバティックな試合攻防や、

トップ選手がそれぞれ軍団を率いてチーム戦をおこなう、ユニット抗争による波乱のストーリー展開と秀逸なマイクパフォーマンス、

さらには端正な顔立ちに加え肉体美を誇る選手が多く、圧倒的な女性人気を獲得するなど、
これらの特徴的な魅力は当時のプロレス界に大きな衝撃を与えました。



② 進化と無限大革命


2004年
ウルティモ校長から卒業するという形で、
団体名を「ドラゴンゲート」に名称変更。



マグナムやミラノといった主力選手が相次いで退団(後に引退)する中、CIMAが絶対的なエースとして団体を支え続けました。

また、団体最高峰のチャンピオンベルト"ドリームゲート"をはじめ、
ドラゲー独自のタイトルを続々と新設。

さらには東京や本拠地の神戸だけでなく、全国の主要都市でビッグマッチを行うなど、
今日にも続く団体の基盤が確立されました。

中でも興行数の多さはプロレス界でも群を抜いており、現在でも年間約200大会、大小さまざまな地域・会場で試合が行われています。



後編はこちらです!!
※2月投稿予定