本日の参議院本会議場で、柳沢厚生労働大臣は「女性は産む機械」発言に関して陳謝しましたが、安倍総理は柳沢大臣を続投させるつもりのようです。しかし、この発言は、やはり極めて重大問題です。私も、民主党の仲間とご一緒に有楽町マリオン前で、柳沢退陣を求めて、街頭演説させていただきました。この発言をめぐり、総理ならびに大臣は、女性に対して申し訳ないと陳謝していますが、それだけでは、まったく不十分です。この問題は、女性の人権問題の観点はもちろんですが、男性も含めて、老若男女のすべての皆さんにかかわる話なのです。
つまり、女性は出産機械だという発言の根っこにある認識に基づけば、乳児は物だ、男性は生産機械だ、教育とは、子供を生産機械と出産機械に仕立てることだと、ということに通じるのです。この考え方にたてば、労働者も機械ですから、老朽化したり、陳腐化すれば、ポイと捨てられるのです。これらは、まさしく、自民党という組織に染みついた教育観であり労働観なのです。たまたま、柳沢大臣が、典型的な自民党的人間観、社会観をポロリと本音で露わにしてしまったのです。
私は、断じて人間は物や機械ではないと思っています。そのことに我慢がならず、自民党議員にへつらう霞ヶ関を脱藩し、そして、自民党長期政権を変えたいと思って民主党から立候補いたしました。
 日本は、明治維新で帝国主義列強の仲間入りを目指しました。帝国主義列強の国是は、どの国も富国強兵でした。国民は国家目標である富国強兵のために奉仕する存在、つまり、部品であり、道具であり、まさに機械でありました。その結果、第二次世界大戦に突入し、まさに、機械や部品を捨てるがごとく、戦闘機と人間の命が同値に扱われ、多くの命が失われました。その反省に立って、一人一人の個人の命や尊厳を尊重しようと誓って、日本の再建が始まりました。しかし、戦後も、日本では物質至上主義が続きました。物がすべて、物を作る機械がすべて、それを購入するお金がすべて、そんな時代が続きました。そうした一時代を作り上げたのは、まさしく、自民党・経団連です。戦後60年経って、社会状況は大きく変わりました。しかし、未だに、自民党と経団連がこの国の主導権を取り続けてきたために、社会設計の基本的な価値観が変わっていないのです。社会づくりのよって立つ価値観を変えるためには、やはり、政権交代しかないのです。