お彼岸の中日の本日、千鳥ヶ淵でおこなわれました、戦没者慰霊祭に出席してまいりました。本日は、昭和20年3月10日の東京大空襲で被災し、ご両親と妹さんを同空襲で失った女性(現在85歳)の方のお話がありました。東京大空襲では、一夜にして、約10万人の市民の尊い命がアメリカ軍の300機を超えるB29の来襲によって失われたとのことですが、改めて、米軍によって行われた空襲の非道さ、悲惨さを痛感いたしました。何度も目頭が熱くなりました。民主国であろうとなかろうと、どの国の軍隊であろうが、戦時下では、手段を選ばない悲惨な非戦闘員の殺戮が行われるということも、今までも頭では、わかっているつもりでしたが、改めて、再認識いたしました。「無実の市民が、なぜ殺されなければならなかったのか?これを正当化する理屈は見いだせない。言い換えれば、非民主国の国家体制の民主化という大義名分だけでは、非戦闘員である一般国民の大量殺戮は全くもって正当化されない。」この古くて新しい問への答えが出されないままに、なんら議論が深められることなく、61年が経ってしまっていることもやはり問題であると感じました。戦勝国の非戦闘員大量殺戮についての責任も、きちんと議論しなければと感じました。国際刑事裁判所条約の批准と併せてあらためて議論を深めるべきだと思います。