時期・場所 :

  1989年9月・@イズミティ21
団体・パート:

  八戸高校吹奏楽部・4thホルン

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この年、我が高吹奏楽部は青森県大会を勝ち上がり、東北大会へと駒を進めた。

 

決戦の地は仙台。

 

仙台は東北No1のビッグシティで、東北の首都と言ってもいい。なので我々東北の人間にとって、仙台に行くことは東京に行くことやニューヨークに行くことに等しい。それくらいの大事件なのだ。

 

八戸からは距離的に日帰りは難しいので当然お泊りだ。しかも3泊も。今考えると、結構贅沢な遠征だったんだな。そして我々は、バスに5時間ほど揺られて、意気揚々と仙台に降り立つのであった。

 

当時、高1のスズケン青年は、ニューヨークに来たぜという感慨と、お泊りという高揚感が相まって、浮かれポンチ状態になってしまい、初日にして目的を見失うという、非常にダメダメな感じで、自身初の東北大会は幕を開けたのであった。

 

2日目はがっつり合奏。当時、こんな吹けないのによくコンクールに出してもらえたな、というくらい下手だったので、練習に付いていくのに結構必死だった。練習に浸って行くうちに、浮かれポンチも徐々に抜けてきて、やっと臨戦態勢が整いイイ感じになってきた。

 

3日目は本番。出番は夕方くらいだ。出演者共用の楽器置き場的なところで、ホルンのパートリーダーの先輩が、愛用のノーラッカーの楽器をメタルポリッシュでせっせと磨いて、

 

「死装束はキレイにせんとね」とニヤッ笑った。

 

3年生にとってはこれが高校生活最後になるかもしれないステージでもあり、その想いを感じ取った私は

 

「今、ここで磨かなくても良くね?」という言葉を飲み込んだ。

 

結果は銀賞。

 

我が高吹奏楽部にとっては全国大会は現実的な目標ではなかったので、皆「ああ、そうね」というサバサバした受け止め方であった。

そうして私の初の東北大会は幕を閉じた。

 

そして、2、3年生の時は県大会を勝ち抜けられなかったので、結果的に最初で最後の東北大会になってしまった。くぅっ(泣)。

 

そういえばアルメニアンダンスの曲のことに全く触れてなかった。
とはいえ、曲については、今さら説明の必要はあるまい。

1つだけ触れるとすると、8分の5拍子に入るちょっと前のホルンソロ。

 

♪レ、ラソシソ、ラソシソ~ のやつ。

 

世の中のブラス少年・少女達はわりかし平然と吹いているが、実はこれ、オケ曲や吹奏楽曲に登場する、あまたのホルンソロの中でも、相当難しい部類に入るんじゃないかと思ってる。

 

私はこれをノーミスで吹ける自身がない。

難しいよねこれ?