ネタバレは特にありませんが、「鶴の恩返し」「鶴女房」「雪女」「人魚姫」「赤い蝋燭と人魚」「狐笛のかなた」「リトル・マーメイド」「となりのトトロ」「もののけ姫」「崖の上のポニョ」「シュレック」などに言及しています。
・・・
『
「ポニョ」と「人魚姫」と「ニモ」』という記事を書いていて気が付いたことがある。それは宮崎駿監督(以下監督)はアニミズム(汎霊論・付喪神・多神教つまりは東洋的宗教観や世界観や価値観)に対しては無批判だけど、キリスト教(一神教つまりは西洋的宗教観や世界観や価値観)に対しては反発を抱いている、ということに。思い返せば、彼の作品はずっとそれがテーマだったし、「ポニョ」もその例に漏れない。
この「アニミズムには無批判だが、一神教には抵抗感がある」という傾向は日本人全般に当てはまる。
一つの宗教(価値観・世界観)にどっぷり浸かっていると、違う宗教に対して敏感になり、異物感や拒否感を抱きやすくなる。それと同時に、一つの宗教にどっぷり浸かっていると、自分が一つの宗教にどっぷり浸かっていることにすら気が付かない。信念対立も宗教軽視も信仰揶揄も、そういう無自覚から生じる。
「ポニョ」の(あるいは監督の、ひいては日本人の)問題点は二つある。一つは他者(自分と違う人々)に対する関心のなさ。もう一つは、自分が分かっていないということを分かっていないことだ。関心がないから分かろうとしない。そもそも自分が分かっていないことすら分かっていないのだから、分かろうとするはずもない。あるいは分からないことを分からないままにしておける等閑さ。
自分のことが分からなければ、他人のことも分からない。つまり今の日本人は他者のことはもちろん、自分が何者なのかすらも分かっていないのである。
・・・
「ポニョ」も「人魚姫」も、宗教的な作品である。が、もしこの「宗教的」という言葉に拒否感を持つならば、それこそが問題だ。宗教的なものを忌諱するのは昨今の日本人の悪い癖である。そうしている限り、いつまでたっても宗教が根底にある作品を(ひいては宗教が根底にある価値観を、つまりは人間を)芯から理解することなどできはしない。
「ポニョ」はもちろん、「もののけ姫」だって「トトロ」だって神や精霊や眼に見えないものや魔法や呪いや超常的なものがバンバン出てくるどころか、それらをメインとして描いているのだから、立派な「宗教的」な作品である。それなのに、普段「宗教的」なものを忌諱する日本人がジブリの作品ならどんなに宗教色が濃くても喜んで見に行くし、子供にだって無防備にバンバン見せる。
フィクションの中にある宗教性に気づいていないか、あるいは気づいていても「フィクションだから」と気にしていないかのどちらかだ。どちらにせよ、フィクションに対しても宗教に対しても浅はかな態度である。(ついでに言えば、「占い」は良くて「宗教」はダメな理由はなんなのだろう)
現代の日本人の宗教的思慮(あるいは霊的成熟)(*1)は、かなり浅い。もしも宗教とカルトの区別がついていないのならば、それこそが宗教的浅慮(霊的未成熟)の表れだ。そして監督の「人魚姫」に対する所業は、他作品や他宗教に対する理解と敬意に欠ける行為だ。理解し敬意を払っていれば、作品の土台を払拭するなんて馬鹿な真似はしないはずだからである。(*2)
(*1) 宗教的思慮とは、宗教に対する理解と自覚と実感のことである。
(*2) まったく、本人はゴリゴリの仏教徒であったにもかかわらず、キリスト教を払拭するどころか作品のモチーフにさえしていた宮沢賢治を少しは見習ってほしい。(2015年11月9日追記)
・・・ ・・・ ・・・
(他記事と重複する部分もあるが)今回も必要な情報を引用する。
‘
アンデルセンの「人魚姫」を今日の日本に舞台を移し、キリスト教色を払拭して、幼い子供達の愛と冒険を描く。’(中略)‘
いきもののような海。魔法が平然と姿を現す世界。誰もが意識下深くに持つ内なる海と、波立つ外なる海洋が通じあう。そのために、空間をデフォルメし、絵柄を大胆にデフォルメして、海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする。少年と少女、愛と責任、海と生命、これ等初源に属するものをためらわずに描いて、神経症と不安の時代に立ち向かおうというものである。’ 公式サイト「崖の上のポニョ」 http://www.ghibli.jp/ponyo/(2014年9月8日アクセス) 「作品の内容の解説」P1 より引用
‘
今作で宮崎監督が力を入れたのが“生きもののような”波の表現でした。水魚という巨大な魚がひしめき合って押し寄せてくる波のイマジネーション。波を巨大な魚と見立てて圧倒的なボリューム感で描かれる荒れ狂う波の表現です。それが魚に見えるのは宗介のような子供に限られていて、リサを始めとした大人たちにはただの波にしか見えないというのです。まさに、トトロの精神がここにも生きています。子供たちの純粋な眼でものの本質を見抜く。これは、監督が創作活動において一環して貫いているゆるぎない信念でしょう。’ 同上 P29 より引用
///
‘
宮崎監督は、本作について「わたしの周囲のスタッフに次々と赤ちゃんが生まれて、産まれて来た子どもが初めて観る映画を作ろうと、コレを作りました。物語の基礎となっているのは、“異種婚礼譚”。わたしたち島国(日本)はそういう話をいっぱい持っている。これを世界の人がどう見るのか非常に興味があります」と笑顔で語った。’ シネマトゥデイ「宮崎駿監督もお手上げ!サイン攻撃で会場パニック!【第65回ヴェネチア国際映画祭】」(取材・文:中山治美)2008年8月31日 http://www.cinematoday.jp/page/N0015075(2015年6月18日アクセス) より引用
///
‘
監督は9歳のときに『人魚姫』を見たが、人間には魂があるのに人魚にはないという考えが好きではなかったという。’ AFPBB News「宮崎監督『崖の上のポニョ』、ついにヴェネチア映画祭デビュー」(c)AFP 2008年09月01日 10:10 発信地:ベネチア/イタリア http://www.afpbb.com/articles/-/2512708(2015年6月18日アクセス) より引用
‘
ヴェネツィア国際映画祭での記者会見(中略)
において宮崎は、ポニョ発想のルーツを質問され「9歳の頃初めて読んだ文字の本がアンデルセンの人魚姫であり、そこにある『人間には魂があるが、人魚は"物"であり魂を持たない』という価値観に納得が行かなかった事が、遡ればポニョの起点なのかもしれない」と答えている。’ ウィキペディア「
崖の上のポニョ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%96%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%A7 最終更新 2014年9月4日 (木) 11:39(UTC)「作品解説・モチーフ」より引用
・・・ ・・・ ・・・
‘“
生きもののような”波’、「波を水魚にみたてるイマジネーション」そのものがアニミズム的イマジネーションなのだ。おそらくだが、監督自身、実際にトトロや水魚を見たわけではないだろう(*3)。ただ単にそういう空想を子供のころからしていた。大人になったら見えなくなる精霊や妖精がいてもおかしくない、無生物に宿る魂があってもおかしくない、自分は見たことがなくてもどこかで存在しているかもしれない、と自然に息をするように空想していた。
こういった感性・世界観・価値観は結局のところ周囲の影響(地理的文化的歴史的背景すなわち風土)による。どこに生まれどう育ったか。風土から生まれ、親から子、子から孫へ、特に意識されずに受け継がれていく常識、原始的な土着の信仰、民族宗教を、監督もまたつつがなく受け継いだのである。
(*3) もし本当に見ていたら、これらの作品はフィクションではなくノンフィクションだ。
・・・
‘
キリスト教色’は払拭するが、アニミズムは払拭しない。監督はキリスト教的世界観を否定した「ポニョ」で幼い子供たちにアニミズムを刷り込もうとしている。おそらく無自覚・無意識的に。→‘
産まれて来た子どもが初めて観る映画を作ろうと、コレを作りました。物語の基礎となっているのは、“異種婚礼譚”。わたしたち島国(日本)はそういう話をいっぱい持っている’
なおここではそのことの是非については論じない。なぜならキリスト教圏やその他の宗教圏の人々も監督と同じようなことをやっているだろうから。つまり無意識的にキリスト教(やその他の土着の宗教)的な作品を作り、子供たちに見せ、幼少期から一つの宗教を刷り込んでいる。刷り込まれた方はなかなかそれに気づけない。そして親と同じことを繰り返す。文化伝統の継承とはそういうものである。(*4)
一神教も多神教も同じ宗教である。そこに優劣はない。どちらを信仰するか、あるいは親近感を覚えるかは、本人の資質や環境による。しかし、一つの宗教にどっぷり浸かっていると、優劣をつけていることに気づかない。日本人はアニミズムは無条件に無頓着に受け入れるが、それ以外に関しては不寛容である。
なぜ一方は払拭するがもう一方は払拭しないのか。もし両者を対等と見なし、敬意を払っているならば、どちらか一方だけを払拭する、なんてことはしないはずだ。両者を価値中立的に扱うか、完全に「宗教色」を払拭する、それが公平というものである。ついでに言えば、もし後者(完全に「宗教色」を払拭する)を実行していれば、監督のほとんどの作品は生まれなかっただろう。(*5)
(*4) すべて意図的な可能性ももちろんあるが、なぜここであえて「無自覚・無意識的」と書くかというと、上にも書いたように幼少期から刷り込まれた宗教・文化・価値観・ローカルルールというものは、なかなか自覚しにくいものだからである。そうと知らずに、それを思考や生活習慣の根底に置き、それゆえに言動の端々に滲み、同国人にしか通じない・同国人同士ならスムーズに通じるニュアンス・エクリチュールが生まれる。同国人同士である限り、それが固有の文化やローカルルールであることに気づかない。異国の宗教・文化・価値観・ローカルルールと比較しない限り、自国のそれがどんなものであるか、自覚できないものなのである。
(*5) 「価値中立的」に「宗教色」を「払拭」し、無難なエンターテインメント作品に仕上げたのが「リトル・マーメイド」である。(2015年11月9日追記)
・・・
監督は子供の‘
純粋な眼でものの本質を見抜く'ことをしたとは言えない、すなわち、まっさらな目で「人魚姫」を見たとは言えない。もうすでに東洋的宗教観の中にどっぷりと浸かっていた。若干9歳の監督の中にはもうすでにアニミズムがしっかりと根付いていた。だからこそ‘
人間には魂があるが、人魚は"物"であり魂を持たない'という‘
キリスト教色’(=キリスト教的世界観)に違和感を持ち‘
納得が行かなかった’のだ。この違和感はアニミズムの申し子でなければ抱かなかったはずのものである。
本当に真っ新な子供の目で、ありのままに物事を見ているのなら、キリスト教的世界観に対しても違和感は抱かないであろう。西洋的世界観も東洋的世界観も、どちらも同等に、価値中立的に見るはずである。どちらか一方に反発を覚えるということが、どちらかの世界観の申し子である何よりの証拠なのだ。日本人が「宗教」と言う時、それは主にカルトや一神教だけを指している。
この記事を書いてはじめて‘
日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである'(*6)という言葉の意味が芯から理解できた。すなわち「昨今の日本人は自分たちの宗教に対して無自覚無頓着無関心で、それゆえに自分たちとは違う宗教の人々を忌諱している」という現代日本人の問題点を的確に表した言葉だったのだ、と。
今の日本で「自分は無宗教だ」と嘯いている人の多くは、その実‘
宗教的には無節操・無原則’(*7)なだけのただの宗教人である。そうでなければ宗教について語ることさえできない、どころか本当に「無宗教」ならば「宗教」という言葉を認識することさえできないはずだ。常日頃から「宗教」を見て見ぬふりなんてことをするから、ある日突然、高額な葬式・墓代を請求されてビックリ仰天する羽目になるのである。(2015年11月9日追記)
(*6) iwatamの個人サイト「
日本人の宗教嫌い|日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである」2004/07/06 iwatam-server.sakura.ne.jp/column/47/index.html
(*7) 内田樹の研究室「
賛美歌と国歌について」blog.tatsuru.com/2011/03/03_1034.php
・・・
なぜ監督は「キリスト教色」を払拭したのだろう、もっと言えば、なぜ好きではないのだろう。
キリスト教が嫌いな理由でよく上がるものの一つに「一部の教会・キリスト教徒がアニミズムを駆逐した」というものがある。「虫眼とアニ眼」(*8)を読むと、監督はキリスト教的世界観がもたらした近代文明の発展に対して懐疑的であることが窺える。(*9)
もし本当にこういう理由でキリスト教(西洋文明)を嫌い払拭したのなら、監督はキリスト教が嫌いなその当の理由と同じことをキリスト教に対して行ったことになる……それともこれ(作品外での発言)もわざとなのだろうか……あれこれ考えてもらうために?……「ポニョ」を見て、キリスト教や「人魚姫」の原典に当たった人が、果たして何人いるだろう。「ポニョ」という作品や日本社会に、こういった問題点が潜んでいることに、果たして何人の日本人が気づいたであろう。
(*8) 養老孟司と監督の対談本。
(*9) 本書で監督は高度経済成長で日本の自然や牧歌的風景や習慣が失われたことを嘆いていることや戦前に対して憧れを抱いていることなどを語っていた。
・・・ ・・・ ・・・
余談
つまり「ポニョ」は、アニミズムの観点から「人魚姫」を解体、再構築した作品ということなのだけど、どうにも中途半端な感が拭えない。そういうのってもう「リトル・マーメイド」や「もののけ姫」でやったしね。あっちの方が断然完成度は高い。まあ、西洋思想・西洋文明批判をしたかったから、わざわざ他国の他宗教の作品を持ってきたのだろうけれど。
ついでに言えば‘
異種婚礼賛’もアニミズムも、当然のことながら日本だけのものじゃない。世界は‘
そういう話’を‘
いっぱい持っている’。また日本でも「雪女」や「鶴女房(鶴の恩返し)」等に代表されるように、異種婚自体はそんなに礼賛されていない。それに西洋産の「人魚姫」より国産の「赤い蝋燭と人魚」の方が人魚を露骨に
“物”扱いし、特に救済もなく終わっている。監督がこれらのことを知らないはずはないのだが…。(「赤い蝋燭と人魚」については別の記事で掘り下げる予定)
それから前にも書いたけど・・・だから!異種婚礼賛したいなら!ポニョは!人間になったら!ダメでしょーが!
・・・
2015年11月9日追記
異種族のまま結婚するのが厳密な意味での異種婚だと思うのだけど、結婚というのがそもそも(たとえ人間同士であっても)どちらかの一族に「染まる」あるいは「融合する」(血統的にも価値観的にも)ってことなのか。そういや「狐笛のかなた」や「シュレック」もそうだったなぁ(「狐笛のかなた」、細野守か宮崎駿に映像化してほしい)。
それにしても付喪神思想や「もったいない」って言葉があるはずの日本がゴミ排出量世界一ってどういうことなんだろう。付喪神思想はもう死んだのか、日本人の中からもうなくなったのか。と、ここまで考えて、もしかしたら監督が本当に批判したかったのは西洋思想や西洋文明そのものなのではなく、それにどっぷり頭からつま先まで染まって自国の伝統的な文化や思想や文明を蔑にする現代日本の方なのかもしれない、と気が付いた。上記のとおり、アニミズムを表現した作品はすでにある、にもかかわらず「わざわざ他国の他宗教の作品を持ってきて」「アニミズム的に改変した」のは何故なのか・・・それは、婉曲的に日本を批判するためだったのか、「日本(ひいては世界)は‘
そういう話’を‘
いっぱい持っている’」というメッセージも外国ではなく日本にこそ向けられたものなのかもしれない(でも「好きじゃない」って言っちゃってるからなぁ。もっと好悪の情を介在させないクールな思惑での改変なら容認できたんだけどなぁ。ていうかやっぱり理解と敬意と誠意に欠けるよなぁ。・・・「人魚姫」は踏み台にされたのだ・・・)。
・・・ ・・・ ・・・
終わりに(2015年10月19日追記)
とりあえず「ポニョ」関連の記事はこれで最後です。本当に、ここまで話が広がるとは思ってもみませんでした。最初は作品の考察をちょちょっと書いたら、それで終わるもんだとばかり思ってた。
この連続記事を書こうと思った最初の動機は、ツイッターで「ポニョ」に対する無理解な感想や誹謗中傷的な解釈を見かけたのがきっかけです。それで、「ポニョ」は本当にそんな作品だろうか、と自分なりの解釈と考察を書いてみようと思い、考察というからには最低限のことは調べようとネットの海に潜ってみたら、例の「キリスト教色を払拭した」という監督の発言に出くわし、今度はそれに対する強烈な反発が心の中を駆け巡ったのでした(その時は、なぜそこまで反感を抱いたのか分かっていなかった。せいぜい自分が「人魚姫」愛読者だからかと思っていた)。そして次に、この発言のどこにどう反発を覚えるかを書いていくうちに、実はこの問題は作品や監督の個別的な問題なのではなく、もっと広い社会的な問題なのではないか、と思うようになりました。そうして書き上がったのがこの4つの連続記事です。
書きながら、色々なことに気づき、また書いたからこそ分かったこともありました。自分の考えをまとめるために文章を書くって(そしてちゃんと調べるって)、やっぱりいいことですね。
それではまたどこかで。
・・・ ・・・ ・・・
参考サイト
青空文庫 www.aozora.gr.jp
「
人魚のひいさま」アンデルセン(1836年発表)
楠山正雄訳「新訳アンデルセン童話集第一巻」同和春秋社 1955年7月20日初版発行
www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/42383_21527.html
「
赤い蝋燭と人魚」小川未明 東京朝日新聞 1921年2月16日~20日
www.aozora.gr.jp/cards/001475/files/54372_46225.html
「
雪女」小泉八雲(1904年発表)
田部隆次・訳「小泉八雲全集第八卷家庭版」第一書房 1937年1月15日発行
www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/50326_35772.html
「
雪女」田中貢太郎・再話 「新怪談集 物語篇」改造社 1938(昭和13)年
www.aozora.gr.jp/cards/000154/files/4947_16626.html
Old Stories of Japan www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/top.html
「鶴の恩返し・
Japanese」 www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/7211/Japanese/ongaesi.html
日本文化いろは事典 iroha-japan.net
「民話・
鶴の恩返し」 iroha-japan.net/iroha/D02_folktale/05_tsuru.html
ことばの畑 www.geocities.jp/kotobano_hatake/index.html
「日本語の学習・読書の時間・「
鶴女房」-日本の昔話より-」(C) 東律子・石崎晶子 1996年
www.geocities.jp/kotobano_hatake/reading/tsuru.html
///
公式サイト「
崖の上のポニョ」(2008年公開)www.ghibli.jp/ponyo(2014年9月8日アクセス)
シネマトゥデイ www.cinematoday.jp/index.html
「
宮崎駿監督もお手上げ!サイン攻撃で会場パニック!【第65回ヴェネチア国際映画祭】」
(取材・文:中山治美)2008年8月31日
www.cinematoday.jp/page/N0015075(2015年6月18日アクセス)
AFPBB News www.afpbb.com
「
宮崎監督『崖の上のポニョ』、ついにヴェネチア映画祭デビュー」(c)AFP2008年09月01日 10:10
発信地:ベネチア/イタリア
www.afpbb.com/articles/-/2512708(2015年6月18日アクセス)
ウィキペディア「
崖の上のポニョ」最終更新 2014年9月4日 (木) 11:39(UTC)
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%96%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%A7(2014年9月8日アクセス)
///
iwatamの個人サイト iwatam-server.sakura.ne.jp/
「
日本人の宗教嫌い|日本人の多くが宗教を敵視するのは、すでに宗教人だからである」2004/07/06
iwatam-server.sakura.ne.jp/column/47/index.html
「
宗教とは何か|宗教はカルトのことでも儀式や団体のことでもない」2004/07/27
iwatam-server.sakura.ne.jp/column/50/index.html
「
嘘も方便|目的のためには嘘をついてもいいのはどういうときか」2011/03/21 - 20:58
iwatam-server.sakura.ne.jp/column/117/index.html
「
宗教の話のお礼です」 yellow - 06/6/15(木) 15:53 -
iwatam-server.sakura.ne.jp/guestbook/c-board.cgi?cmd=one;no=3053;id=
「
はじめまして」 iwatam - 06/6/16(金) 2:07 -
iwatam-server.sakura.ne.jp/guestbook/c-board.cgi?cmd=one;no=3064;id=
「
Re:宗教の話のお礼です」 yellow - 06/6/20(火) 2:41 -
iwatam-server.sakura.ne.jp/guestbook/c-board.cgi?cmd=one;no=3115;id=
iwatam
@iwatamm twitter.com/iwatamm より以下援用
‘
念仏って、「どうか極楽浄土行きのチケットを下さい」ってお願いしてるんじゃないぞ。「極楽浄土行きのチケットを下さってありがとうございます」とお礼を言ってるんだ。’
19:45 - 2011年5月2日 twitter.com/iwatamm/status/65245541499547648
以上援用終わり
///
NHK高校講座 www.nhk.or.jp/kokokoza/
倫理
「
第7回 ソクラテス ~哲学の出発点~」2014/5/22
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter007.html
「
第8回 プラトン ~永遠への憧れ~」2014/5/29
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter008.html
「
第11回 旧約聖書の世界観 ~唯一なる神との出会い~」2014/6/19
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter011.html
「
第12回 キリスト教 ~神の愛に生きる~」2014/6/26
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter012.html
「
第13回 イスラーム ~弱き人間の支え~」2014/7/3
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter013.html
「
第14回 仏教 ~無常無我の真理~」2014/7/10
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter014.html
「
第15回 儒家思想 ~仁と礼の広がり~」2014/7/17
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter015.html
「
第18回 日本人のものの考え方」2014/9/4
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter018.html
「
第19回 日本人の宗教観と倫理観」2014/9/11
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter019.html
「
第21回 仏教の受容と発展」2014/9/25
www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/archive/chapter021.html
・・・
参考ブログ
内田樹の研究室 blog.tatsuru.com/
「
エクリチュールについて(承前)」 blog.tatsuru.com/2010/11/05_1518.php
「
エクリチュールについて」 blog.tatsuru.com/2010/11/05_1132.php
「
弁慶のデインジャー対応について」 blog.tatsuru.com/2011/05/07_1001.php
「
歩哨的資質について」 blog.tatsuru.com/2011/08/07_1200.php
「
教育の奇跡」 blog.tatsuru.com/2012/03/15_0854.php
『
伊丹十三と「戦後精神」』 blog.tatsuru.com/2012/07/12_1036.php
「
世阿弥の身体論」 blog.tatsuru.com/2014/05/23_1147.php
「
資本主義末期の国民国家のかたち」 blog.tatsuru.com/2014/11/26_1711.php
「
荒ぶる神の鎮め方」 blog.tatsuru.com/2011/04/07_1505.php
「
原発供養」 blog.tatsuru.com/2011/04/08_1108.php
「
テクノロジカルな付喪神たち」 blog.tatsuru.com/2012/05/28_1614.php
「
人間が人間であるための神について」 blog.tatsuru.com/2011/04/09_1952.php
「
祈りと想像力」 blog.tatsuru.com/2011/06/18_1251.php
『
「存在しないもの」との折り合いのつけ方について』 blog.tatsuru.com/2011/07/31_1703.php
「
『なめらかな社会とその敵』を読む」blog.tatsuru.com/2013/02/13_0755.php
「
声を聴くことについて」 blog.tatsuru.com/2010/10/28_1334.php
「
毎日新聞心のページ」 blog.tatsuru.com/2010/11/30_1104.php
「
エマニュエル・レヴィナスによる鎮魂について」 blog.tatsuru.com/2011/01/12_1030.php
「
最終講義と、パーティのお礼」 blog.tatsuru.com/2011/01/23_1244.php
「
アブラハムと顔の経験」 blog.tatsuru.com/2011/01/25_1336.php
「
賛美歌と国歌について」 blog.tatsuru.com/2011/03/03_1034.php
///
御坊哲のおもいつくまま ameblo.jp/toorisugari-ossan/
「
宗教は普遍的だが、普遍的宗教はない」2013-01-05 03:59:21
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11441968832.html
「
霊魂は(あるいは電子は)実在しうるのか」2013-11-27 11:14:25
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11713089346.html
「
私たちは信憑性のなかに住む (その2)」2014-05-30 12:23:09
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11865957916.html
「
私たちは信憑性のなかに住む (その5)」2014-06-07 15:47:30
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11873040502.html
「
科学も一つの信仰である」2015-05-19 13:27:52
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-12028461642.html
「
懐疑について」2010-01-22 11:38:10
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10440049377.html
「
概念の網の目」2010-08-09 15:15:58
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10614560147.html
「
天動説でもいいと思う」2011-12-24 22:32:14
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「
ダイナミックな視点」2014-11-16 11:41:18
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11952995235.html
「
ダイナミックな視点は大事」2014-11-24 12:06:52
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11956283990.html
「
現象学について 1」2011-06-05 11:02:23
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10913810544.html
「
現象学について 2」2011-06-05 21:00:00
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10914107782.html
「
現象学について 3」2011-06-11 17:12:59
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10920177176.html
「
現象学について 4」2011-06-12 15:51:30
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「
仏教的無常観」2012-11-23 09:37:23
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11410922544.html
「
ドストエフスキーと無常観」2014-03-06 18:30:00
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「
無常と妙について」2014-03-07 10:58:21
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11789796791.html
「
空(くう)について」2014-09-13 12:36:06
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11924255133.html
「
絶対無とは」2009-12-17 13:55:00
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10413177024.html
「
絶対無とは ≪昨日の続き≫」2009-12-18 14:20:11
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10413956190.html
「
親鸞」2010-01-28 13:39:03
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10444730262.html
「
親鸞(昨日の続き)」2010-01-29 13:05:18
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10445498176.html
「
非風非幡」2010-11-17 17:05:53
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-10709902657.html
「
脚下照顧」2013-03-18 11:07:15
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11492860015.html
「
柳は緑花は紅」2013-11-08 11:18:31
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11677142223.html
「
あるがままを受け入れるということ」2013-11-10 15:09:37
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11682345229.html
「
意識現象が唯一の実在である」2013-11-25 06:17:16
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11711684082.html
「
主客を解消する」2013-11-26 09:49:53
ameblo.jp/toorisugari-ossan/entry-11712357721.html
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参考絵本・劇画・実写映画・アニメ映画
「くるみわり人形」E.T.A.ホフマン モーリス・センダック・絵 渡辺茂男・訳 ほるぶ出版 1993年4月
「葉っぱのフレディ―いのちの旅」レオ・バスカーリア みらいなな・訳 童話屋 1998年10月
「タンタンの冒険旅行(1~21)」エルジェ 川口恵子・訳 福音館書店 1983年4月30日
「日出処の天子(全7巻)」山岸凉子 白泉社文庫 1994年3月22日
「オズの魔法使い」監督:ヴィクター・フレミング 1939年
「エルサレム」原作:セルマ・ラーゲルレーブ 監督:ビレ・アウグスト 1996年
「蛙になったお姫さま」脚本:M.ヴォリピン 監督:ミハイル・ツェハノフスキー 1954年
「森は生きている」原作・脚本:S・マルシャーク 監督:イワン・イワノフ=ワノ 1956年
「となりのトトロ」(1988年)、「もののけ姫」(1997年) ジブリ 監督:宮崎駿
「リトル・マーメイド」監督:ジョン・マスカー、ロン・クレメンツ ディズニー 1989年
「キリクと魔女」(1998年)、「プリンス&プリンセス」(1999年) 監督:ミッシェル・オスロ
「シュレック」監督:アンドリュー・アダムソン、ヴィッキー・ジェンソン ドリームワークス 2001年
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参考書籍
「シーシュポスの神話」アルベール・カミュ 清水徹・訳 新潮文庫 1969年7月17日
「風土 人間学的考察」和辻哲郎 岩波文庫 1979年5月16日
「ヘレン・ケラー 光の中へ」鳥田恵・訳 めるまーる 1992年10月
「マザー・テレサ 語る」ルシダン=ヴァーディー 猪熊弘子・訳 早川書房 1997年10月
「虫眼とアニ眼」養老孟司・宮崎駿 新潮社 平成二十年二月一日
「寂聴 般若心経―生きるとは」瀬戸内寂聴 中央公論新社 1988年10月7日
「空海入門」加藤精一 大蔵出版 1999年1月
『仏教「超」入門』白取晴彦 すばる舎 2004年6月
「コーランを知っていますか」阿刀田高 新潮文庫 平成18年1月1日
「ギリシア神話」石井桃子・編訳 のら書店 2000年11月30日
「ギリシア神話」高津春繁 岩波新書 1965年1月22日
「北欧神話」H.R.エリス デイヴィッドソン 米原まり子/一井 知子・訳 青土社 1992年
「エジプト神話」ヴェロニカ・イオンズ 酒井傳六・訳 青土社 1988年
「ケルトの神話―女神と英雄と妖精と」井村君江 ちくま文庫 1990年3月27日
「日本の古典文学1 古事記」大久保正・編訳 さ・え・ら書房 1975年3月
「イリアス」ホメロス 松平千秋・編訳 岩波文庫 1992年9月16日
「新訳アーサー王物語」トマス・ブルフィンチ 大久保博・訳 角川文庫 1993年1月
「ニーベルンゲンの歌(前後編)」相良守峯・編訳 岩波文庫 1975年1月
「ケルト妖精物語」W.B.イエイツ 井村君江・訳 ちくま文庫 1986年4月
「ケルト幻想物語」W.B.イエイツ 井村君江・訳 ちくま文庫 1987年8月25日
「ケルトの薄明」W.B.イエイツ 井村君江・訳 ちくま文庫 1993年12月
「マハーバーラタ ナラ王物語―ダマヤンティー姫の数奇な生涯」鎧淳・訳 岩波文庫 1989年11月16日
「封神演義(全3巻)」許仲琳 渡辺仙州・編訳 偕成社 1998年11月
「西遊記(全3巻)」渡辺仙州・編訳 偕成社 2001年3月
「日本の古典文学9 今昔物語」西尾光一・編訳 さ・え・ら書房 1975年4月
「日本の伝説」柳田国男 新潮文庫 昭和52年1月21日
「日本の昔話」柳田国男 新潮文庫 昭和58年6月25日
「遠野物語」柳田国男 新潮文庫 昭和48年9月30日
「怪談・奇談」ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 田代三千稔・訳 1956年11月
「学校の怪談6」常光徹 講談社KK文庫 1994年12月13日
「陰陽師鬼談安倍清明物語」荒俣宏 角川文庫 平成15年8月25日
「イソップ寓話集」中務哲郎・編訳 岩波文庫 1999年3月16日
「完訳グリム童話集(全7巻)」野村泫(玄に三水偏)・訳 ちくま文庫 2005年12月7日
「まざあ・ぐうす」北原白秋・編訳 角川文庫 1976年5月
「アンデルセン童話全集1(全5巻)」高橋健二・訳 小学館 1979年10月
「長靴をはいた猫」シャルル・ペロー 澁澤龍彦・訳 河出文庫 1988年12月
「美女と野獣」ボーモン夫人 鈴木豊・訳 角川文庫 1992年5月
「幸福の王子―オスカー・ワイルド童話集」井村君江・訳 偕成社文庫 1989年3月
「宮沢賢治童話全集(全12巻)」岩崎書店 1993年4月1日
「ピーター・パン」J・M・バリー 本多顕彰・訳 新潮文庫 1955年11月3日
「ピーター・パンの冒険」J・M・バリー 秋田博・訳 角川文庫 1988年11月
「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル 脇明子・訳 岩波少年文庫 2000年6月16日
「不思議の国のアリス」ルイス・キャロル 矢川澄子・訳 新潮文庫 1994年3月1日
「鏡の国のアリス」ルイス・キャロル 矢川澄子・訳 新潮文庫 1994年9月28日
「青い鳥」メーテルリンク 堀口大學・訳 新潮文庫 1960年3月22日
「星の王子さま」サン=テグジュペリ 内藤濯・訳 岩波書店 2000年6月16日
「ニルスのふしぎな旅(全4巻)」ラーゲルレーヴ 香川鉄蔵/香川節・訳 偕成社文庫 1982年12月
「ホビットの冒険(上下)」J.R.R.トールキン 瀬田貞二・訳 岩波少年文庫058 1979年10月23日
「新版 指輪物語(全10巻)」J.R.R.トールキン 瀬田貞二/田中明子・訳 評論社 1992年7月30日
「シルマリルの物語(上下)」J.R.R.トールキン 田中明子訳 評論社 2002年2月20日
「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ 上田真而子/佐藤真理子・訳 岩崎書店 1982年6月7日
「ネシャン・サーガ(全3巻)」ラルフ・イーザウ 酒寄進一・訳 あすなろ書房 2000年11月30日
「ライアルと五つの魔法の歌」キャサリン・ロバーツ 吉田利子・訳 サンマーク出版 2000年10月20日
「狐笛のかなた」上橋菜穂 理論社 2003年11月
「クリスマス・カロル」ディケンズ 村岡花子・訳 新潮文庫 昭和27年11月
「アルプスの少女ハイジ」ヨハン・スピリ 国松孝二/鈴木武樹・訳 偕成社文庫 1977年9月
「神さまの話」リルケ 谷友幸・訳 1953年6月10日
「箱舟の航海日誌」ウォーカー 安達まみ・訳 光文社古典新訳文庫 2007年4月12日
「かもめのジョナサン」リチャード・バック 五木寛之・訳 新潮文庫 1977年6月1日
「ロビンソン漂流記」デフォー 吉田健一・訳 新潮文庫 1951年6月4日
「狭き門」アンドレ・ジイド 川口篤・訳 岩波文庫 1967年1月
「蝿の王」ウィリアム・ゴールディング 平井正穂・訳 新潮文庫 1975年4月1日
「光あるうち光の中を歩め」トルストイ 原久一郎・訳 新潮文庫 2005年5月
「神を見た犬」ブッツァーティ 関口英子・訳 光文社古典新訳文庫 2007年4月20日
「金閣寺」三島由紀夫 新潮文庫 1960年9月19日
「錬金術 おおいなる神秘」アンドレーア・アロマティコ 種村季弘・監修 創元社 1997年12月10日
「ヨーロッパホラー&ファンタジー・ガイド 魔女と妖精の旅」荒俣宏 +α文庫 2002年9月20日
「霊ナァンテコワクナイヨー」美輪明宏 パルコ出版 2004年4月10日
「あなたのためのスピリチュアル・カウンセリング」江原啓之 中央公論新社 2004年12月16日
「霊界散歩」大川隆法 幸福の科学 2006年3月27日
「六星占術の魂生」細木数子 主婦と生活社 1987年12月23日
「六星占術 心の常識」細木数子 主婦と生活社 2003年1月17日
「六星占術 宿命大殺界」細木数子 日本文芸社 平成12年9月30日
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2015年10月19日加筆修正・参考にiwatamツイッター、内田「声を聴く」「心のページ」「アブラハム」「原発」「弁慶」「祈り」「存在」「なめらかな社会」「歩哨」「伊丹」追記
2015年11月9日加筆修正・参考に絵本、劇画、実写映画、アニメ映画にロシア監督作品・オスロ監督作品・「となりのトトロ」「シュレック」、書籍に「シーシュポス」「ヘレン・ケラー」「マザー・テレサ」「ギリシア神話」以下追記