死後の世界や、その行動自体を考えることがかなり減った。
自分にとってこの変化は大きいものだと感じている。
一般的に見れば、この考えが減ったことは良いことに感じられるかも知れない。
ただ現実味が増した結果なのか、希薄になった結果なのかは正直なところ今はわからない。
時間軸で今に焦点を当てることが多くなった、とすれば現在にいることになる。
だったら現実を見て過ごしていると言っていいのだろうか。
死後の世界を考えることはまるで空想を追う様に思っていたらまさにそうだと思う。
ただ、死から離れることは生から離れることとも同一だと思っている。
そうすれば、考える時間が減った今の自分は生きることに希薄になっている可能性だってある。
さらさらと通り抜けるように日々を過ごしているのではないかと考えるようになった。
いくら予定を詰めても、捉えようとしない毎日を過ごせばそれらは簡単に抜けていく。
表面が埋まっても、後方がスカスカになっているかもしれない。
メンテナスを怠って、そのままに荒れ、穴が空いた背中には魅力なんてないと思う。
ボロボロのハギレを繋ぎ止めてパッチワークみたいにまとまりようもなさそうに1になった背中の方がいいんじゃないか。
縫い合わせて行けば表にも糸が浮かびあがるかもしれない。
それは邪魔なのだろうか。
その糸を大切にしていくことが今、自分がすることなのかもしれない。