チャットGDPを、やっと使ってみた。

英語の論文を翻訳をかけても理解ができなかった。

送信したと同時にチャットGDPが文字を打ち込み始めた。

綺麗にまとめられた文章が送られてきた。


呆気なさすぎて少し放心した。


その後、調べものおそれに関するレポートを書くように頼んでみた。

やっぱり送信と同時に文字を打ち込みはじめて、書き終えた。


論文と、本の一部をアップロードさせて解釈をさせてみた。

これもいとも簡単に、処理してきた。


人がもういらないような気がした瞬間で怖くなった。

論文や本は大抵意図があって作られている。

はっきり、その意図は、結論や目的の形で書かれている。

その中で書き手がこの方向をみて、思い続けて書いた、という、背景に持っていかれたもう一段奥の意図を読み手がごちゃごちゃ考えながら読んでいくのが文を解釈していくものだと思っていた。


頭を抱えてた人を飲んで、AIがそれを連ねてきた。


まとめられた方の文章を読んで、理解した気になる。

フィルターがかかっていても。


誰も頭を動かす必要なんてもうないとスクリーン上の活字が冷たく迫ってきてた。



AIはわかりやすく画期的な存在だ。

その通りだ。

だから突然こんなにも人間の存在が変わりそうなのだろうか。


気が付いてないだけでずっとあったはずだ。

気がつくことなく受け入れた先の大きくなりすぎた先がAIだったんだと思う。



人の頭を動かすのをやめたらどうなるだろう。

いつもの癖みたいに、捉えようのない大きな主語で思ってみた。

そう思ったら自分1人の主語にすんなり変わってしまった。

急に1人の世界に落ちる。


赤の女王が話しかけてきた。


簡単に解決が渡されるツールに溢れるとき、多分半自動的に私たちは除速をはじてる。

それを完全にキャンセルする方法もわからず、

いつかのよそ見した時に絡んだ足元のリボンにも気がつくことなく

なんとなくの瞬間に除速に気がついて、焦り出してる。

走りづらさの原因を突き止めるために、足を止まるのが怖くて

そのまま

それがどの道に繋がっているのかどこも見えてないまま。



ある時ぱったり止まってしまったとき、

どこをどう来たのか分からなくなるのは、その時々の選択が乱雑だったからかもしれない。

その時の自分が目の前で口を開いてくるのが怖くて、次に行くべき看板を用意して。

目も合わせず、看板だけをみている。


止まることが退化に思えることもあれば、

本当は必要なことにもみえてきた。


こんな考えをしている人間が止まって見える人もいれば、動いているように見える人もいる。


チャットGDPは、

今も質問も渡した瞬間に動いて、

答えを渡したらぴたりと止まった。