日々レポ

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気まぐれ更新。

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とてもとても久しぶりな更新になりますね。

大丈夫です。僕はなんとか今日も生きています。

 

僕は最近立て続けにお芝居やLIVEを見に行ってきました。

 

僕の夢は数年前まで役者になることでした。

小さい頃は歌手になること、パティシエになること、声優になることなどでした。

高校生の時にはずっと裁縫を勉強しながら、工業にも少しだけ手を出してました。

何が言いたいかって言うと、僕は“表現する”ということが本当に好きです。

それは歌うことだったり、作品を作ることだったり、料理することだったり様々です。

 

小学生の頃、字が汚かった(今でも汚いです)僕は国語の書き取りの時間も書写の時間も大っ嫌いでした。

いつもいつも丁寧に書きなさいと親にも叱られるし、担任の先生にも読めない字ですねと言われ続けました。

それがもう嫌で嫌で(笑)

でも、唯一字を書くことで書道の毛筆の時間だけは褒めてもらっていたのを思い出します。

「鑾歌の書は字が生きているね」って。

毛筆の時間だけは丁寧に書くとかじゃなくて表現できる時間だと思っていたんですよね。

硬筆ではどれだけお手本のまねができるかみたいな時間だと思っていたので(笑)

あるとき書き初めの課題が“生きる”だったんですけど、僕はもうほんとすごい字を書きましたよ。

丁寧とはほど遠い字でしたが、今見てもきっとその書が僕は好きです。(どこにしまったのか忘れてしまいましたが)

生きるってすごく壮大な言葉ですよね。生きてれば辛いことも苦しいことも時には死にたいと思うようなこともある。

けれど逆にふと幸せだなって思ったり小さな出来事がうれしかったりもしますよね?

それをたった三文字で僕らは表現します。

僕の書は先生の特別賞を貰いました。金賞銀賞はやっぱり丁寧でお手本にそっくりな子だったけれど、それでも僕の書を先生は評価してくれたんです。

そのときに思ったんですよね。お手本がすべてじゃないんだなって。

 

昔から“変わってる”だの“ずれてる”だのたくさん言われてきましたが、それを僕は嫌だなと思うことは今はもうほとんどないです。

特殊でも、特異でもいい。自分が思う世界を表現しよう。

空は青いだとか、地球は丸いだとかそんなことはどうだって良いんですよ(笑)

僕は僕。人は人。

僕が感じたことは僕だけの宝物です。

だって全く同じ感覚なんて誰も味わえないんですから!

 

小学六年生の時、図工の課題で色味の違う青三色(明るい水色、紺色、その中間色。といっても色の感覚も人それぞれなのでこれも僕が感じたものですが)と一色の差し色(何色でも良い)で絵を描きなさいって言うのがあったんですよ。

そのとき僕は森を描きました。写実的ではなく所謂抽象画です。

青く伸びた幹にピンク色の差し色が入った三枚の葉をつけた大木の森です。その上に人が乗ってるんですよ。

僕にとって“森は青い”という言葉がずっと納得いってなかったんですよね。森は緑色だろ?ってさ“青々と茂る”とかも同じです。

で、結局描いたのがこの絵でした。なぜか母親がいたく気に入って、今でもリビングに額入りで飾ってあります(笑)

でも、自分にとって表現ってこういうことなんだと思うんですよね。

自分が感じたことや疑問に思ったものに形をつけること。その形が絵だったり歌だったり詩だったり...

どんな作品でも作られたきっかけや込めた気持ちがあると思うんですけど、僕の場合、ほとんどは“今の自分”ですね。

今の自分が好きなものだったり、今の自分の感情の浮き沈みだったり…

過去の自分の作品を見てるとそのとき何があったかとか、どんな気持ちだったかを思い出せるんですよ。

日記みたいな感じですかね。

 

で、話は戻るんですが(遠回りのしすぎw)

ここ最近のイベント参加で新しい夢ができたんです。

新しいって言う表現もちょっと違うような気もするんですがwもともと僕の大元の夢は“表現したい”なのでw

 

支える人間で居たいと思ったんです。

イベントのスタッフ(照明さんや音響さんなど)さんやLIVEのグッズ、キャストさんを見てて、一人一人が表現者だなって思いました。

僕がずっとやり続けてることは創るという表現です。

それはきっと表だけじゃなくて裏でだって輝ける。

自分がキャストさんを照らす光になれたら良いなって思ったんですよ。

キャストさんがピンスポットを浴びるみたいに、大好きな人たちを輝かせたい。

それは衣装製作だったり、作詞だったり、ポスターの製作だったりいろいろだと思いますが

誰かが輝くために頑張りたいなって思ったんです。

 

自分が輝くためじゃなくて誰かが輝くために何かしたい。

 

それが僕の今の夢。

夢のために僕はまた今日も一歩進めるようにしていきたいと思います。

 

結局いつも通りの駄文になってしまいましたね。

それでは今日はこの辺で。

 

最近ですね。僕の周りで傷付いたり、無理して笑ってる人を多く見かけるのでちょっと思ったことを書こうかなって思います。

 

まず、無理してる貴方は優しすぎますよ!

無理をしてまで周りの人に心配を掛けたくないなんて、自分が一番辛いことでしょうに

無理をしていることに気付かないような周りの人はそんなに大切ですか?貴方の事を本当に解ろうとしてくれていますか?

一方的に相手だけが楽しい空間が出来てませんか?

 

「半ばは相手の幸せを、半ばは自分の幸せを」

僕が習っている少林寺拳法の教えの一つです。本当に良好な関係を作るにはどちらかが我慢するなんて事はあってはいけないと思います。難しいことですがお互いに我慢することは我慢して、言いたいことはちゃんという関係を作れるといいですよね。

 

それに貴方の無理な笑顔を気付いてくれる人にとって貴方のその無理な笑顔は見ててとても辛いものですよ。

 

次に僕は言い方は悪いですがとても傲慢な人間です。

人のことを全部解りたいなんて傲慢もいいとこです。誰も傷付けたくないなんて僕は傲慢だなぁって思ってますしそれは自分が弱いからだって言うのも分かっています。

自分が誰かを傷付けたとしましょう。そのことによって僕は自分が傷付くんです。

なんで傷付けてしまったんだろう。もっと、他の言い方はなかったのだろうか。もっと僕が言いたいことを我慢すれば良かったんじゃないか。

ってあとあと悔やんで自分を責める癖があるのも自覚していますし(まあ自分が嫌いだからなんですけれども)。

そうやっていると誰かを傷付けた自分が許せなくなってくるんです。

だけどさ、後悔先に立たずっていうでしょ。悔やんだところで起きてしまったことはもうどうしようもないんだ。それに、傷付けたことを乗り越える強さも僕には足りないって思うんだよ。

傷付けたくないのは嫌われたくないからって言うのも多少はあるし、自分が傷付きたくないからって言うのもあるし。傷付けてでもその人に近づきたい、その人を解りたいって勇気が僕にはまだ足りない。

 

大事なのはこれからどうするか。

傷付けることは必ずしも悪いことじゃないと僕は思います。

矛盾しているように思えるかも知れませんが本心です。

 

 

ヤマアラシのジレンマって知ってますか?

肌を寄り添わせようとすればするほど互いのトゲで傷付けてしまうということから、近しい人ほど傷付けるというものの例えに僕はいつも使っているんですが、

きっと人も同じなんですよ。近づこうとすればするほど相手を傷付けてしまう可能性は高くなるんです。

だけど、それは必要なことだと僕は思ってます。本当に相手を想うのなら、言うべきことは言わなければダメです。優しくされすぎると人間堕落していきますしね。

寄り添いながらもちゃんとしかってくれる存在ほど有り難いものはありません。

怒られるのはいやかも知れませんが、怒ってる方だって気分がいいわけじゃありません。それでも、その人のためを想えばこそ、ちゃんとして欲しいって想うから叱るんです。

どうでもいいって思ってたら叱らずにきっと放置されますよ。

だから、叱ってくれる人は大事だと思います。

 

で、話は戻りますが、お互いを大事に思っている関係ならばきっと傷付けてもいいはずです!

そのことについてちゃんと受け止めて成長していけるはずだから。

 

 

 

悩んでるなら僕はごまかさずに言って欲しい。例え直接的な力にはなれなくても、知ってくれているって言う安心感はきっとどこかにあるはずだから。

それに、僕も見ててもやもやしたくないしね。まあこれも僕の傲慢なところではあるけれど。結局元をたどれば見ててもやもやしてストレスにしたくないからって言う自分の欲だからね。

なればこそ、相談するのが申し訳ないとかも考えなくていいよ。結局僕のためだから。

 

 

 

ああ、まったくこういうまじめなことを書いてると自分が何を言いたいのか解らなくなってくるよ。ホントつくづく文章書くの下手だなって思う。

少しでも正確に伝わってたらいいんだけど。

それじゃ、これ以上書くともっと支離滅裂になりそうだから今日はこの辺で。。。

 

僕の裏&趣味垢だった、C`S(創造P)のTwitterアカウント、及び公開していたアメーバのアカウント、HPをこの度この鑾歌の名義に統合することにいたしました。
理由はたくさんありますが、大きい理由としては
C`S(創造P)のアカウントがここ何ヵ月か全く使っていないために、定期ツイートを流すだけになってしまっていたこと。
また、複数のアカウントを運用することが必要ではなく、さらには双方のアカウントを知っている人の使いづらさや、自分自身の更新の頻度の低下を及ぼしていたため、このようになりました。

今後は鑾歌であり、C`S(創造P)でもあるというように認識いただければと思います。