すずが寝てから、
寝酒を1杯飲みながら、


録画やアマプラのドラマ・映画を

1時間ほど観るのが、

私たち夫婦の
毎日のストレス発散法になっている。



昨日はアマプラで、


映画「梅切らぬバカ」


を観た。

(プライム会員無料になっていた)


自閉症(重度知的障害あり)の40代の息子

ちゅーさん(塚地武雅)と、

母親(加賀まりこ)の日常を

淡々と描いた映画だ。



↓DVD





ここからは



⚠️ネタバレ注意



盛り上がる展開や

わかりやすい課題提起や結論

があるわけではないが、


リアルで、感じること、考えること

の多い切なくて温かい映画だった。



近所でのトラブルがあったり、

グループホームに入居したものの

グループホームの運営自体が

地域で反対されたりしている状況の中で、


母親は、謝りつつも、

凛として、地域の人と対話し、

息子を愛し、暮らしている。


息子のちゅーさんが

グループホームに入居する時には

寂しさと闘い、


グループホームを出ざるを得なくなって

家に戻った時には

切なさを感じながらも

また一緒に暮らせる喜びを噛み締める。




淡々と描かれる自閉症のある人の日常に、


何が言いたいかわからない、

何も解決していない、

と批判的な感想も目にするが、


自閉っ子すずと暮らしていると、

地域で迷惑をかけずに本人も安心して暮らすには

どうしたらいいか正解はわからないし、


日々生じる生活のトラブルは

解決したと思ったら次々にまた生じて、

実際、解決なんてしないのだ。


正解やハッピーエンド、

解決までを描かないこの映画は、


そういうふうに、


大変なことも、

ほっこりすることも、

この先もずっと続くのだ

という事実を描き出していて、


切なさと温かさ、

絶望感とわずかな希望、

そのすべてが感じられた。




いろんな方に見てほしい。


いろんな方に、

自分がご近所さんならどうする❓

この後、あの親子はどうなったかな❓

どうしたら子どもたちが、お年寄りが、

障害のある人が、

みんな穏やかに同じ地域で暮らせるかな❓

と考えてみてほしい。



主演のふたりの演技が自然で、


塚地さん演じるちゅーさんは特に

違和感がなく、

「いるいる、こういう自閉っ子」

と微笑ましかった。



ところで、タイトルは、


桜切るバカ

梅切らぬバカ


ということわざの一部。


桜の木は、

切り口から腐りやすいので、

むやみに剪定してはいけない。


梅の木は、

無駄な枝を剪定しないと

花や実がならないから切って整える。



つまり、

桜を切るのは

桜の木の特性を知らないバカで、


梅の木を切らないのは

梅の木の特性を知らないバカ

という意味だそうだ。


それが転じて、

人を育てるときには

その人の個性に合った育て方をしよう、

という意味で使われる。



でも。



この映画では、

庭の梅は切らずに伸び放題で

道路にはみ出て少し迷惑をかけている。


ちゅーさんも特性を活かして

規則正しい生活リズムで

暮らしているけど

時々トラブルになる。


梅切らぬバカですが、

それでいいんです。


それでも少しの実をつけるんです。

こんな木もあるんですよ。


と言っているのだ。



桜の木の、

梅の木の、

それぞれの特性を理解して


正しい形、花も実もたくさんつく

に育てることは、

バカではなく、賢いやり方かもしれない。



でも、

人間に置き換えてみると、

特性に合わせることは良いことだけど、


こうあるべきという正しい形を

目指して育てることが賢いとは思えない。



その子の特性を活かしたいがために、

この子のためになるから、

と親が手をかけ過ぎて


子ども本人が窮屈に感じて

心を病んでしまうこともある。


親の希望通りの高校、大学に受かったけど、

立派と言われる職業についたけど、

満たされない人たちがいる。


社会は、

同じような、形のいい、

花や実がたくさん成る、

画一的な理想の木を作り出している。



子どもの特性を知ることは大切だけど、

その特性のどれを伸ばして使っていくか

本人の意思とペースに任せて見守れたら。


時に失敗もし、

思った形にならなくても、

少ししか実をつけなくても、

気持ちよく自分らしく生きていく

わが子を見守れたら。



ちゅーさんの庭の

剪定しないで道にはみ出している

いびつな梅の木と、


生まれ持つ特性のまま

自然に育っているちゅーさんが

見事にリンクしている。



剪定していない梅の木は、

一本では実がならないはずなのに

風が運んできた花粉を受粉して

少しだけ実をつける。


その実を

母親は丁寧に擦って煮詰め、

梅肉エキスにする。


すごい薬ではないけれど、

お腹の調子を整えるのにちょっと役立つ。


梅切らぬバカですけど、


伸び伸びと、

明るい方へ、行きたい方へ
自然に枝を伸ばし、


いびつだけれど

少しの実をつけ、
それを楽しむ毎日を

送っています。


そんな深い特性理解、母親の愛情、

命そのものへの尊厳を感じた。




わが家のすずの枝も、

わしゃわしゃと、いびつに伸び放題。

時々方向を整えたりしてみるが、

切ることはできない。


多数派の、「良い子」「望ましい姿」

という枝ぶりとはほど遠いけれど、


時々小さな奇跡のような成長

(成らないはずの実)を見せて、

周りを驚かせたり

笑わせたりしてくれる。


何より、本人が楽しそう

わしゃわしゃの枝を揺らして

笑っている。


梅切らぬバカでいいじゃない。

親バカでいいじゃない。


障害がある人もない人も。


いびつだっていい。

無駄があったっていい。

伸び伸びと、

自分なりの実をつけてくれたらいい。




ご近所さんと筍堀り。

久しぶりに会ったママたちを見て喜ぶすず。


理解あるご近所さんに感謝。